ドライレイヤーを用意しよう




 靴職人のおじいさん……クライドさんに連れて行かれた先は、吸血鬼が住んでいそうな暗く怪しいお屋敷であった。


 メイドも執事も無愛想で、グレートデーンの番犬はそこらの魔物より強そうだ。


 カーテンはずっと閉じられっぱなしなのか、埃っぽさと蜘蛛の巣が合体してホラー屋敷のような雰囲気を放っている。マッドサイエンティストの秘密基地かな?


「はじめまして。巡礼者カプレー。オコジョと呼んだほうがよいのかな? 歓迎するよ。儂は錬金術師のコルベット。マーガレットくんは一年ぶりかな?」


 ピカッ、ゴロゴロとどこかに雷が落ちた。


「は、はい。お久しゅうございます、コルベット伯爵」


 誰がどう見ても歓迎していない、ふんぞり返った姿勢で、スーツ姿のおっさんが言った。

 カピバラも居心地悪そうにしているが、おじいさんは全然気にしていない。


「伯爵。もう少し愛想を良くしたらどうですか」


「大人のレディはいざしらず、子供に好々爺じみた顔をするなどごめんじゃ」


「それはあなたが子供だからです」


 しかしここまで「伯爵」が似合う人も中々いない。

 白髪の混ざったごま塩頭のオールバックに片眼鏡をかけ、女の子がいるにも関わらずパイプでタバコを吸っている。キャラが強すぎる。裏組織の首領とかかな。


「カプレー様。伯爵には、騎士団の装備類や魔道具を整える際に色々と相談を聞いてもらっているのです。ウェブビレイヤーの調整などでもお世話になりました。少々偏屈者ですが、仲良くしてあげてください」


 靴職人のおじいさんが遠慮のない紹介をする。

 仲がよさそうだ。友人なのだろう。


「巡礼者カプレー。オコジョと呼んでください。ウェブビレイヤー、スライムのミッドソール、どちらも最高でした。グッジョブ。伯爵は天才です」


 靴職人のおじいさんは、トレイルランニングシューズを開発する上で錬金術師の力を借りていた。その人こそ今、私たちの目の前にいる伯爵というわけだった。


 で、私たちは今、彼に説明というか釈明をしなければならなかった。


「お褒めにお預かり光栄の至り……と、言いたいところだがね。儂は、失望しているよ」


「失望?」


「君の考案した登山靴はよいものだ。よく考えられている。トレイルランニングシューズというのも素晴らしい。だというのに、だというのにだ」


 伯爵がわなわなと手を震わせる。

 マッドサイエンティストしぐさが似合う人だ。


「そんなきみが、この天才たる儂に、男をたらしこむようなふしだらな下着を作れと?」


「カプレー様。私も理由が気になっておりました。何かお考えがあってのこととは思いますが」


 靴職人のおじいさんも、少々恥ずかしそうに疑問を投げかけた。

 まあ確かにそうだろう。

 あみあみスケスケの下着を作ってくれだなんて頼まれて、「なんで?」と思わないはずがない。


「……ということは、みんな、まだ、着てない?」


「着るわけがなかろう!」


「オコジョ様、無茶をおっしゃらないでください」


「無理に決まってんでしょ!」


 三方から同時に責められた。

 なるほどなるほど。

 色々と誤解が生じている。


「わかった。ちゃんと説明したい。どうしてこれを必要としているのか」


「ああ、聞こうじゃないか。もっともらしい理由があるのならば」


「今、私たちオコジョ隊は裏スライム山を走破して無殺生攻略をしようと、ギア開発とトレーニングを並行して進めている。トレーニングにおいては完璧な状態になりつつある」


「知っている。靴は完成したのだろう? ならもうそれでよいだろう」


「……夏が近い」


「夏?」


「登山口は来週には摂氏25度近くに上るけど、上に登れば20度程度。風を遮るものがない稜線に出たら風が吹いて、体感温度は一気に下がる。天候の問題には気をつけられるだけ気をつけたい」


「だが無殺生攻略をこなすのであればその程度の問題、力技でなんとかなるだろう。仮に道具にこだわるにしても、靴を魔道具化するとか、もっとよりよい手段があるのではないかね?」


「魔力を消費するものは強さが石の大きさに比例する。重量を減らすことも大事」


 私だって魔道具をたくさん持っていきたい。

 だが魔道具は効果が強力であればあるほど、大きな魔石が必要になる。

 発揮する力と重量の関係で言うと、リチウム電池の方が遥かに効率的な感じがする。

 魔法でしかできないこともたくさんあるから、一概には比較できないんだけどね。


「まあ、確かにその問題もあるんじゃろうが」


「だから最小限、最軽量のウェアで、最大限の効果を発揮させる必要がある。冒険者も巡礼者も、みんな漫然と衣服を着ている。私はそれに異を唱えたい」


「……続けたまえ」


 伯爵が煙草の火を消した。

 どうやら真面目に話を聞く気になったようだ。


「防寒の基本は重ね着レイヤリング。だけど服には一枚一枚に目的がある。間違った考えで重ね着をしても効果は発揮しない」


 登山におけるレイヤリングの基本は、三つに分かれる。


 まずは肌に触れるベースレイヤー。

 つまり下着や肌着だ。

 速乾性の高い生地の肌着を着ることで、汗を吸収して外へ放出させ、汗冷えを防ぐ。

 冬場であれば速乾性と保温性を持つ生地……メリノウールなどの高級生地を使って体温を保護することも必要になる。


 次にミドルレイヤー。

 日本語で言えば中間着で、具体的にはフリースジャケットを使う人が多い。

 役割は保温。

 暖かい生地の服を着て外の寒さから体を守るために着る。

 また、汗を外に放出する透湿性も求められる。


 最後にアウターレイヤー。

 レインウェアや、あるいは雪山用のハードシェルという特殊な服などがある。

 これらは風、雨、そして雪から身を守ることを目的としている。


 真夏であればベースレイヤーとしてTシャツ一枚で済むこともあるし、厳冬期登山であれば2種類のミドルレイヤーを着込んで4枚重ね着ということもあるが、基本的にはこの三種の重ね着をする。


 ……といったことを説明すると、伯爵のみならずクライドさんもカピバラも驚いていた。

 初めて聞く話なのだろう。


「慣習としてそうする者は多いが、改めて言葉にする者は少ない。服の役割を明確化し、分類するのは……ふむ……面白い」


「そこで話は終わりじゃない。ここからが本題」


「本題?」


 近年、レイヤリングに新たな概念が生まれた。

 その名前は。


「ドライレイヤー。既存の3層に、新たに1層追加する」


 ドライレイヤーとは、ベースレイヤーの下に着て、皮膚を常にドライに保つための肌着だ。


 ベースレイヤーとは違って汗を吸収することはないし、これ単体で性能を発揮することはない。最低限、上にベースレイヤーを着る必要がある。


 ドライレイヤーは、汗をベースレイヤーに送り出すという役割を持つためだ。だが汗を送り出すということがどういうことなのか、性能を列挙しただけでは伝わらないだろう。


「激しい運動をすると汗腺の多い場所……背中とか脇からビショビショになっていく。けどドライレイヤーを着ると、汗は上着に移動する間にも乾いてくれるし、汗を薄く全体に広げてくれる。背中だけベッタリ服が張り付いてるとか、脇だけなんか汗で色が違ってくるとかを防げる」


 発汗による見た目の問題も解決してくれるので、ライブで踊りまくって汗をかくアイドルや、炎天下で厚着しなければいけないコスプレイヤーなども愛用している。


「美観の問題……を語りたいわけではないな。それだけ行動をしやすくなるわけだ」


 伯爵がニヤっと笑う。


「その通り。不快さが少なくなれば体力の消耗も防げる。汗が出る場所の偏りがなくなれば乾くのも早くなって、熱中症、低体温症のリスクも減る。極端な話だけど、重い魔道具や大きな魔力消費に頼ることなく、過酷な環境での活動時間や生命維持の時間を多少なりとも長くすることができる」


「オコジョくん、そういう話を聞きたかったのだよ!」


「あ、はい」


 急に大声出されるとびっくりするのでやめてほしい。


「それならば儂の作った素材を下着にすることもやぶさかではない。きみの言う目的のために作ったものではなく、たまたまそういうものができあがったというだけだから、期待する性能が出るかどうかは試験せねばならんだろうが……恐らくきみの考える性質は備えておる」


「あるんですか?」


 伯爵は、答えを言う代わりに自分の座っている机の引き出しを開いた。

 そこには、タオルケット程度のサイズの一枚の生地があった。


「天女クモという魔物は糸を吐き出すのじゃが、時折それを生地や反物のような面として生み出す。水を吸い込みにくい網状の生地としてな。そこで天女クモを人工的に飼育してその生地を何かに使えないかと模索しておった」


「やった……!」


 まさに天佑だ。

 しかも蜘蛛の糸ってすごくない?


 地球でも蜘蛛の糸を人工的に製造して、完全防水でありながら透湿性を持つという高機能ウェアが販売されている。一着二十万とか三十万とかする高級品ではあるが。


「だがな。一つ問題がある」


 伯爵がしかめっ面で言った。

 なんか展開が読めた。


「あっ、ハイ」


「この見た目、なんとかならんとは思わんかね?」


「……構造と機能が密接に結びついてるから難しい。見た目の問題をクリアしたものがあれば欲しいけど、難しいと思う。ていうか、伯爵が作ったものでは……?」


 ドライレイヤーの最大の問題点。


 それは、表面積を減らして汗が張り付くのを防ぐ構造であるため、あみあみのスケスケなのだ。


 伯爵の机の上にある生地は、まさにあみあみのスケスケだった。


「仕方なかろう! 天女蜘蛛は糸を吐いて、またそれを組み合わせて生地のような形にする。それは敵の攻撃を防いだり巣を強固にするためのものなのじゃ。最小限の糸の量でやりくりするという本能が根付いておる。もう少し密な生地にできぬかと試行錯誤しておったのじゃが……」


「糸の状態から機織りして布にするしかないのでは?」


「糸の一本一本が細すぎて、一枚の布を作るだけで作業時間が膨大に掛かる」


 伯爵が呻く。

 どうにも私が提案できる程度のものはすでに実践していそうだ。


「生地は高品質じゃ。さらりとした肌触り。糸一本一本の輝き。伸縮性があって着る者の体型を問わぬ。それゆえに……ショールやレディースインナーとしての要求ばかりじゃ! 金のレースをつけろだの、色は黒がいいだのベージュや紫がいいだの! 儂は下着デザイナーではないわ!」


 なんだか悪の首領のように思っていたが、むしろ大学のすみっこにいるちっちゃい研究室の教授とかに見えてきた。産学連携で産業側の都合に右往左往している雰囲気である。


「別にいいんじゃよ、着飾るくらい! じゃが本来の機能性を無視されてただの嗜好品として消費されては研究した甲斐がないじゃろうが! スライムにしてもそうじゃ! 子供の玩具としか思われてこなかった! おかしいじゃろうがい!」


 伯爵が熱弁を振るう。

 この人も色々と苦労してるんだなぁ。


「それで伯爵。こちらを使わせてもらえるなら、この生地の有用性を証明できる。見た目の問題はあるけどインナーとして使う分には目立たない。男にも着てもらって感想やレビューを聞き出す」


「えっ」


 伯爵がびびっている。

 そこで引かないでほしい。


「有用性の前にはこの程度の見た目の問題、まったく大したものではない。見ようによってはオシャレだし、気にいる人もいる」


「そ、そうじゃといいんじゃが……そこまで言うなら使ってみるか?」


 チラッチラッと伯爵がこちらを見る。

 使ってほしいくせにまったくもう。


「4人分のTシャツが着れるくらいの生地をください。上手く言ったらロングTシャツやタイツも作りたい」


「おまえ、顔に似合わず要求が図太いの」


「よく言われる」


「……そもそも、お前の望むスペックを満たしているかはわからん。汗処理のために作った生地ではなく、たまたま我が研究成果の一つにお前が望みそうなものがあっただけだ。性能は当然保証はできんぞ」


「でも、下着として愛用されているということは何かしらあるはず。助かります」


「わかった。そういうことならば提供しよう。服にするまでは自分でやってくれ」


 勝手にやります。

 むしろその方が助かる。


「オコジョ様。ここにはわたくしの頭では理解しがたい珍妙な発明品や素材が数多くあります。あなたの知見であれば何か活用方法が思い浮かぶこともあるでしょう」


 靴職人のおじいさんが珍しく毒舌を放つ。

 伯爵とは仲がよいんだなぁ。


「この宝の山を前にして珍妙はなんじゃ、珍妙とは!」


「珍妙と言わずしてなんと呼べばよいのです。スライムの素材にしても、オコジョ様が提案しなければ子供のための玩具として消費されるだけでしたでしょう」


「ぐぬぬ……玩具としては人気商品なんじゃぞ……!」


 任○堂とか○ンダイかな、ここ。


「と、ともかくじゃ! オコジョとか言ったな? 成果が出たらまたここに報告に来るがよい。それが生地を与える対価じゃ」


「伯爵。一つ質問」


「なんじゃ?」


「汗処理のためでもなく、この生地を研究したのって目的はあるの? 色々と試した結果、面白い成果物ができたにしても、当初の研究の目的って、ないの?」


「あるに決まっておろう」


 私の問いに、伯爵は即座に断定した。


「……自然の猛威が襲う極寒の地であっても、生きて帰ってこられる服じゃよ」


 伯爵の言葉には、今までにない不思議な重々しさがあった。

 なぜそれを追求するのかを尋ねたかったが、それは憚られた。


「この生地、役立つと思います」


 ドライレイヤーの価値は、夏に着るだけではない。

 むしろ極寒の場所……厳冬期の雪山でこそ真価を発揮するものだ。


「ふん。それはお前たち次第じゃ。また来るがよい」


 つまらなそうな態度で、伯爵はくるりと背中を向けて窓の外に目をやった。


「……まあ、次に来るときは茶菓子でも用意してやる」


 と思ったら、ちょっとデレた。



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