第四話


 不思議な夢を見た日から、アリーチェの心は不思議と凪いでいた。

 あれは本物のレイビスではないはずなのに、アリーチェにはそれだけでも効果抜群だったのか、ナタリーの話を耳にしても魔力が暴走しそうな気配はない。

 ナタリーとレイビスが親密そうにしていた噂を聞いても、彼からもらったネックレスをぎゅっと握り締めて、夢の中での彼の言葉を思い出せばなんとか耐えられた。

 耐えなければならないのだと、自分に言い聞かせている部分もある。

 なぜなら、これから先、アリーチェは十三番目の魔女として彼を守る魔術師にはなれても、彼の隣に立つことを唯一許された彼の妃にはなれないから。

 第一王子であるレイビスは、遅かれ早かれ正式な婚約者を迎えるだろう。

 そうして妃を迎え、子を成し、偉大な王となる。

 アリーチェの中では彼以外の君主などありえない。

 だから、あの夢を見られたのは幸運だった。あの夢の思い出とネックレスがあれば、今後彼が誰と共になろうとも、耐えられそうだと思った。

(今日は……いた)

 特別棟にある音楽室へ向かう途中、周囲を威嚇するように鋭い眼差しをするレイビスを見つける。その隣にはアランもいて、この内回廊で初めて会ったときのことを思い出す。

 ここでのレイビスの態度もヒントに、彼の視力が悪いことに気づいて魔術道具おまもりを渡したのは、確か春のことだった。もう今ではあのときに咲いていた花が枯れ、葉は衣替えを始めている。

 長いようであっという間だった時間に思いを馳せながら、アリーチェは横目でレイビスを見つめた。

 彼の視線はアリーチェとは別の方を向いていて、こちらには気づかない。気づいてほしいような、ほしくないような、矛盾した思いが胸の内で疼いている。

 そのとき彼の隣にいるアランがアリーチェに気づいて、遠くから手を振ってくれた。

 最近は彼とも会っていなかったので、なんだか嬉しくなって小さく手を振り返す。

 すると、レイビスの蹴りがアランの脛にヒットして、アランが彼に何か文句を言っている。それでもやっぱり、レイビスの銀の瞳がこちらを向くことはない。

(今までがおかしかったんだよね、きっと)

 アリーチェは前へと向き直り、小走りで回廊を渡っていく。

(わたしは、十三番目の魔女)

 だから、遠くからでもいい。これからは、今までの恩を返すために彼を守ることだけを考えよう。そう決めて、訓練棟を後にする。

 背中に突き刺さるレイビスの視線には、気づかないまま。


 放課後になると、アリーチェは図書館へと向かう。

 今までは生徒会室でマナーレッスンを受けていたけれど、今はその予定もなくなってしまった。

 寮に直帰してもよかったが、レッスンがなくなってからのアリーチェは図書館に通うようになっていた。理由は二つある。

 部屋で一人でいたくなかったからと、図書館なら色々な本が揃っているからだ。

 レッスンはなくなってしまったが、だからといって学ぶことをやめる理由にはならない。あれだけ親身に教えてくれたアンヌ=マリーを失望させないためにも、アリーチェは吸収できるものは吸収しておこうと考えたのである。

 知識が武器になることは、魔術を学ぶ上でも知っていた。

 そうして図書館の閉館時間までここで勉強し、寮に帰って夕食と入浴を済ませ、そのあとに魔術の勉強をするのがここ最近の日課ルーチンである。

 寮までの帰り道、ふと空を見上げた。茜色の空はいつもと変わらず綺麗で、でもどこか寂しげに見える。

(今夜は、王宮の舞踏会があるんだっけ)

 これもやはりクラスメイトの女子の会話で知ったことだが、となると、今夜の夕食時は人が少なそうだなとぼんやり考える。空いた席が目立つ広い食堂は、がらんとして物寂しい。だから今日の空は寂しげに見えるのかな、なんて取り留めもないことを考えていたら、行く手を阻むように誰かが立ち塞がった。

「ごきげんよう、アリーチェ。いえ、今はアリーチェ・フランだったかしら?」

 ばさりと、目の前に現れた人物が金色の髪を靡かせる。こちらを憎々しげに睨んでくる目は、アリーチェの髪色と同じ桃色だ。

 妖精のように愛らしいと褒めそやされる一方で、その性格は傲慢と名高い令嬢――ナタリー・ヴィッテ。

 アリーチェを見下すように顎を上げる仕草は、あの頃と全く変わっていない。

「な、んで……っ」

 突然のことに動揺する。ナタリーが表舞台に出てきたことは知っていたし、もし彼女が噂どおりレイビスの婚約者になるのなら、いつかは会ってしまう日が来るだろうと覚悟もしていた。

 けれど、それはあくまで〝十三番目の魔女〟としてだ。

 アリーチェとして彼女に会うことはないだろうと、完全に油断していた。

「やっとあんたを見つけたわ。ずっと……ずっとずっとあんたに復讐してやる機会を窺ってたのよ!」

「ふく、しゅう……?」

 何を言っているのだろうと思った。復讐なら自分がしたい。自分のほうが妹の復讐をしたいくらいなのに、どうして彼女に復讐されなければならないのだろうと、怒りに似た感情が浮かぶ。

 おかげで彼女に対する恐怖心が沸き上がってこなかったのは幸いだった。でなければ、すぐにでも魔力を暴走させていたかもしれない。

「あんたのせいで家は半壊。直るまでしばらく別荘のあるド田舎で暮らさなきゃいけなくなったわ。このわたしが! 事件のあと使用人も何人か辞めていって、不便で仕方なかったのよ!? あんたにこの屈辱がわかる!?」

 わかるわけがない。ナタリーが同じ言語を話しているのか疑問を持ちたくなるほど、一欠片も理解できなかった。

(なんで……リーシャはもっと、もっと、酷い場所にいたのに……!)

 沸々と腹の底から煮立つ怒りに身を任せそうになって、ふと、服の中で揺れる存在に気づいた。

 レイビスからもらったネックレス。

 縋るようにそれを服の上から押さえると、お腹の中の熱がすうっと引いていく気がした。

 いつだって冷静な銀の瞳を思い出せば、心が落ち着きを取り戻していく。

 ――が、今回はそれが隙となってしまった。

 ガンッと頭に強い衝撃を受ける。

「ふふ、知ってるのよ、わたし。あんたがレイビス殿下を慕っていること」

 なんで、と言葉にしたいのに、目の前が霞んでいく。

「慕っている男を惨めに奪われる絶望がどんな味か、あとで教えてちょうだいね。そしてわたしが王妃になったあかつきには、あんたを惨たらしく殺してやるわ」

 歪な弧を描く口元を最後に、アリーチェの意識はぷつりと途絶えた。



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