第六話


 放課後も時間の経過と共に、教室から人気ひとけがなくなっていく。

 この学園は部活動も盛んなので、もともと教室に残る生徒が少ない傾向にあるのも幸いした。

 自分でも不審者かもしれない自覚を持ちながら、アリーチェは普通科の三年次生の教室があるフロアへとやって来た。アンヌ=マリーがそのうちのA組であることは聞いているので、そそくさと目的地へ向かう。

(殿下は、根拠が必要だって言ってたから……)

 もし本当にアンヌ=マリーの推測が当たっているなら、ジニーが真犯人であることの根拠――ようは証拠を見つける必要がある。

(気になるのは、『突風』)

 三年次生のフロアは四階にある。であれば、風が窓の外から舞い込むこともなんら不思議ではない。

(でもあの日、突風が起きるような条件は揃ってなかった)

 自然現象的に起こる突風というのは、主に二つの原因がある。温度差と、地形や建造物の位置関係によるものだ。

 これを知っているだけで、たとえば緑の魔導書を使わなくても、より難易度の低い赤の魔導書だけで突風を起こすことも可能だ。アリーチェに魔術を教えたトーマスおじさんは、何も魔術式を額面どおりに読み解くだけが魔術だとは教えなかった。

 難易度の低い魔導書で、難易度の高い魔導書と同じくらい威力のある魔術を行使する方法など、応用面についても叩き込んでくれた。

(そうすると、アヴリーヌ先輩の言っていた突風は、誰かがわざと起こした可能性が高いってことだよね)

 それこそ、魔術を使ったとか。

 普通科に通っているからといって、必ずしも魔術が使えないわけではない。

(魔術を使ったなら、痕跡を探せるかも!)

 お目当ての教室には、想像どおり誰も残っていなかった。

 窓の外はそろそろ日が沈みそうで、地平線の橙色と天空の青色が綺麗な層を作り上げている。

 もう部活動すら終わる時間が近づいており、それはもうすぐ寮の夕食の時間が始まることを意味していた。

(……夕食のときなら、犯人も食堂に来るよね)

 同性ならば、そのときにちょっとした工作もできるだろう。

 なお、もし男子だったらどうしようという一抹の不安を抱えながら、アリーチェは魔術を発動させた。


 *


 今日の夕食に出た牛肉のパイ包みは、ジニーにとって最高の食事だった。

 スパイスが控えめで素材本来の旨味がじゅわりと口の中に広がって、頬が落ちそうなほどに贅沢な時間である。

 一時いっときは、他国から輸入されるようになったスパイスが流行り、味の濃い食事が流行したものだが、ジニーの舌にはあまり合わなかったのだ。

(それに、今夜はそんなものがなくたって、が良い味を出してくれたわ)

 女子寮の食堂で夕食を終えたジニーは、足取り軽く自室へと戻っていく。

 これだけ気分がいいのは、何も食事に満足したからだけではない。

(アンヌ=マリー・ド・アヴリーヌ……ふふふっ。これであの女の信用は落ちたも同然。わたしを笑いものにしたこと、後悔するといいわ)

 それに、と下唇を舐めるように舌を出して。

(これで、王妃争いの女が一人減った)

 口の端からこぼれ落ちそうになる笑みを必死に堪えながら、自室の前に辿り着く。

 アンヌ=マリーもプライドの高い女性だが、ジニーも負けていない。

 今は王宮で次期王を巡る後継者争いが勃発しているが、同時に起きているのが王妃の座を狙った女たちの闘いである。

 王太子は未だに指名されておらず、貴族たちは第一王子、第二王子、第三王子の誰を支持するかという問題にぶち当たっていた。

 その中でも適齢期の第一王子と第二王子が有力候補なため、同じく適齢の娘がいる家門は、どっちの王子に娘を紹介するかでも頭を悩ませることになっている。

 アヴリーヌ公爵家は、第一王子派だ。

 ジニーのビュフェー侯爵家は、本来なら第二王子派であるものの、ジニーの好みとしては第一王子であるレイビス一択である。

 その王子の前で恥をかかせられたのだから、ジニーがアンヌ=マリーを恨むのは当然のことだった。

(ん? 何かしら、あれ)

 部屋の扉を開けようとしたときだ。扉と床の隙間に一通の手紙が挟まっていた。

「うそ……これって……!」

 差出人のところには、〝レイビス・ド・サンテール〟――意中の王子の名前があった。


 *


「――さあ、これで役者は揃った。始めてくれ、アリーチェ」

「は、はいっ」

 しかし、それを遮って椅子から立ち上がったのは、レイビスの名で出した手紙にまんまと釣られて生徒会室を訪ねてきたジニーである。

「お待ちください、殿下。まずはこの状況を説明してくださいませんこと? わたしは殿下に呼ばれてここに来たのですよ。それがなぜ、ランベルジュ様やデュボワ様、ヴァノ様の生徒会の方々までいらっしゃるんです? あげく、謹慎中のアンヌ=マリー様まで! それとそこのあなた!」

「はひゃっ……はい!」

 突然指先を向けられて、アリーチェは驚いた拍子に舌を嚙んだ。

「誰なのあなた!?」

「あ、し、失礼いたしました! えっと、お初に、お目にかかります。フラン子爵家のアリーチェと申します」

 アンヌ=マリーとの放課後レッスンのおかげで、以前よりスムーズに自己紹介ができた。アリーチェ的には満足のいく挨拶だったが、ジニーには不満だったらしい。

「子爵ですって? 子爵家の分際でこの場にいるのはなぜなの? 立場を弁えなさい!」

「ひっ」

 鬼の形相で怒鳴られて、この人はなんでこんなに怒っているのだろうとアリーチェは理解できなかった。

 ジニーが怒っている理由は、レイビスからの呼出しに甘い期待を寄せていたのに肩透かしを食らったからなのだが、もちろんアリーチェにそんな乙女心がわかるはずもなく。

 応接用の椅子に鷹揚に腰掛けているレイビスは、ジニーの怒りを理解しながらも特にフォローはしない。

 アランはそんなレイビスの後ろに控えるように立っており、今日アリーチェが知り合ったばかりの騎士科のロドリグとヴィルジールは、扉側の椅子に座らせたジニーの背後に立っている。

 そして、本棚側のソファに、アリーチェとアンヌ=マリーが座っている構図だ。

「ジニー・ビュフェー。立場を弁えるのはおまえだ。俺の最初の言葉を聞いていなかったか?」

「さ、最初の言葉、ですか?」

「始めろ、アリーチェ」

「は、はいっ」

 再度レイビスに促されて、アリーチェはばくばくする心臓を服の上から押さえながら説明を始めた。

 なぜここにこのメンバーが集まったのか。

 一連の事件の真相を。

「みゃっ、まず、皆さんは、中間試験で起きた事件について、ごぞ、ご存じでしょうか」

「知っている。概要はいい。それとおまえは俺を見て話せ。慣れない相手を前にすると嚙みすぎる」

「うっ……わかりました」

 悲しいが全く以てそのとおりなので、正面にいるジニーではなく、斜め横のレイビスに視線を移した。

 無愛想な銀色の瞳は、睨まれると怖いけれど、思いの外その回数は多くない。

 なんなら勉強会で褒めてくれるときは優しげに細まるので、おかげで早く慣れることができた。

 今も、簡潔な言葉から受ける無愛想な印象とは裏腹に、瞳は存外穏やかだ。

「改めまして。中間試験の日、ここにいるアヴリーヌ先輩が、カンニングをしたという事件が発生しました。でもわたしは先輩の無実を信じて、その前提で調査を開始しました。あの日、アヴリーヌ先輩は試験中に突風が入ってきたと証言していますが、これについて、同じ教室で試験を受けていたビュフェー先輩はどうですか?」

 そう訊ねておきながら視線はレイビスに固定したままなので、アリーチェはちょっと恥ずかしい思いに駆られる。

 でも今ジニーの方を見れば、嚙むどころではなくなりそうだ。なぜなら、身体の右側に彼女の視線を痛いほど感じているから。それも憎しみのような視線を。

「突風がなんだって言うのよ。確かに吹いたけど」

「ありがとうございます。ですが、実際に教室に行ってみて気づいたんです。あの日、突風が吹くような気象条件は揃っていませんでした。もちろん風の強い日でもありませんでした。他に突風が吹く原因としては、地形や周囲の建物による影響がありますが、教室をそんな怖い構造にするとは思えません」

「つまり何が言いたいの?」

 イライラしたようにジニーが先を促す。

「つまり、魔術が使用されたんです」

「魔術ですって? 誰が、なんのために? 馬鹿らしい」

「そうですね、とても馬鹿らしいと思います。魔術をそんなことに使うなんて」

「……なんですって?」

「だってそうじゃないですか! 魔術というのはですね、卑怯なことに使うものじゃありません。あの芸術美を兼ね備えた式を鑑賞するでもなく、読み解くでもなく、また式同士を組み合わせて新たな魔術を編み上げるのでもなく! あんな! 酷いことに使うなんて! 馬鹿にしてますよね!?」

 つい熱く拳を握ってしまったら、視界のレイビスが小さく吹き出す。なんならアランは盛大に笑っていた。他の人の反応は怖かったので見ないことにする。

 オホンッ、と咳払いをして気を取り直す。

「と、とにかく、その可能性が浮かんだとき、殿下の言葉を思い出したんです。実は試験のあの日、事件は二つ起きていたんですよ」

 もう一つの事件というのは、魔術科の実技試験で起きたものだった。

 アンヌ=マリーのことを相談しにレイビスの許を訪ねたとき、アリーチェは彼から魔術科でもトラブルがあったことをチラッと聞いていた。

 本当は、アリーチェがその言葉を思い出したのは、魔術の痕跡を探していたときだ。というのも、見つけた痕跡には、また別の行使者による魔術の痕跡が絡みついていて、もしかしてこれが『トラブル』に関係しているのではないかと思ったからだ。

 けれどそこまで言ってしまうと、アリーチェが魔術を使えることがバレてしまう。

 なのでレイビスには、あくまでどんなトラブルがあったのかを訊ねた。

 返ってきた答えは、ある生徒が放った魔術が突然暴走した、というものだった。

 もちろんその場には監督官がいたため、事なきを得たらしいけれど。

「最初は事故だと思われたそうです。でも、魔術を失敗してさせるならまだしも、させるのはあまり例がありません。だから殿下も、個人的に調査していたらしいんです」

「ちょっと待って、話が見えないわ。だから何って言うのよ?」

「わかりませんか? 魔術が暴走を起こすのには、いくつか理由があります。その中に、他者が行使した魔術と衝突した場合があるんです。でもこれは、互いに力が拮抗しているという条件下でないと発生しない現象です。片方が強ければ、弱いほうの魔術は押し負けますから。そして魔術の実技試験が実施されていたのは、ちょうど教室に面した運動場です。つまり、魔術の暴走が起きたのも、自然現象で起きるはずのない突風が起きたのも、魔術によるものであれば説明がつくんです。わたしは体験していないのでわかりませんが、おそらく今回の突風はその魔術を行使した人の予想以上に強い風が吹いたと思われます。アヴリーヌ先輩に聞いたところによれば、問題用紙が散らばってかなり大変なことになったそうですから。犯人もそこまでするつもりはなかったんじゃないかなと思うんです。ちょっとみんなの、そしてアヴリーヌ先輩の意識が別のところに向けばいいくらいの風を起こす予定だった。突風を起こすつもりはなかったんだと思います。けれど、運悪く他人の魔術と衝突してしまい、意図せぬ突風になってしまった――。ここまでわたしの仮説をお話して、殿下に痕跡を辿ってもらいました」

「!」

 ここでやっと雲行きの悪さを理解したのか、ジニーの顔色が変わった。

 アリーチェはすでに自分で見ていたので、レイビスによって真犯人が判明する前に誰の仕業かはわかっていた。

 確信をもってレイビスに「誰か魔術の痕跡を辿れる人はいませんか」と協力を願いでたら、まさかのレイビスが可能だという。魔術の痕跡を辿るには、白の魔導書の力がいる。だからアリーチェは教師の中にいてくれればいいけど……と半ば賭けのように頼み込んだのに、あっさりと返ってきた答えにはかなり驚いたものだ。

(正体さえ隠してなかったら、殿下と色々語りたかったなぁ)

 魔導書のこととか魔術の応用式とか魔術の将来性のこととか!

 でも泣く泣く諦めて、そうして、突風を起こした犯人が判明した。

「罪を認めて、アヴリーヌ先輩に謝ってください」

「はあっ? わたしが?」

「すでに突風を起こした犯人はわかっているんです。あれでみんなの気を引いて、その隙にアヴリーヌ先輩の机の中にカンニングペーパーを入れたことを認めてくれれば、先輩も許してくれるって――」

「はい? 『許す』ですって?」

 その瞬間、空気にピシッとヒビが入ったような気配がした。

「ふふ、ふふふっ。殿下の魔術で辿られたのでしたら、確かに言い逃れはできませんわね。ええ、そうです。突風を起こしたのはわたしです。でもそれがカンニングに繋がる証拠とは言えません。そうでしょう? 殿下」

「まあ、そうだな」

「カンニングしたのはその女です! アンヌマリー! どうせお咎めを受けるなら、あんたも道連れよ!」

 興奮しながらアンヌ=マリーを指差すジニーは、追い詰められた犯人というよりは勝利を確信した勝者のように見えた。

 対してアンヌ=マリーは、負けを認めることも、異議を唱えることもせず、冷静に彼女を見返している。

「そんなことより、殿下の前で本性なんて出して良かったのかしら? ジニー」

「ふん、別にもうどうでもいいわ。どのみち父は第二王子の許へわたしを嫁がせようとするもの。今回のことでわたしの評判が地に落ちたとして、第二王子の許へ嫁がなくて済むなら本望よ。あんな二重人格男の妻だなんて、身が保たないもの」

 アリーチェは恐る恐るレイビスを窺った。第二王子ということは彼の弟だ。弟を貶されて怒り心頭になってないといいけど……という心配は杞憂だったらしい。彼の表情はぴくりとも動いていない。

「でもあんただけは許せない。アンヌ=マリー・ド・アヴリーヌ! わたしをみんなの笑いものにしたこと、後悔するといいわ!」

「――ふふっ。ふふふ、うふふふふっ」

 すると、今度はアンヌ=マリーが壊れたオルゴールのように可憐な声で笑い出したので、アリーチェは彼女とジニーを交互に見やるので忙しくなる。

「馬鹿なジニー。突風を起こした証拠さえあれば、他の証拠なんて要らなくってよ? そんなこともわからないのかしら。必要なのは役者はんにんではなく演出家。わたくしを悲劇のヒロインに、そしてあなたを悪女にする、腕のいい演出家だけ。それが貴族というものでしょう?」

「アンヌマリー、あなたまさか……!?」

 もう何がなんだかわからなくなってきたアリーチェは、助けを求めるようにレイビスをじっと見つめた。気づいた彼が首を傾けて「どうした?」と仕草で応えてくれるけれど、その顔は完全にこの状況を愉しんでいる。

(こ、心が強い……!)

 アリーチェなんかはピリピリしたこの雰囲気だけで胃が痛くなりそうなのに。

 ジニーの向こうにいるヴィルジールとロドリグの様子も窺ってみたら、二人も特に顔色を変えることなく、むしろヴィルジールは退屈そうにあくびをしていた。

(ど、どうすればいいの……!?)

 確かにアリーチェは、カンニングに関する証拠は用意できなかった。

 けれど、突風の証拠を突きつければ自白してくれると思ったのだ。だって、状況証拠は揃っているのだから。

 しかしアリーチェが思ったより、ジニーの恨みは深かったらしい。

(この展開をわかってたんだ。殿下も、アヴリーヌ先輩も)

 二人とも――というより生徒会の面々は、アリーチェから今回の話を聞いたとき、少しだけ悩む素振りを見せた。それはきっと、カンニングに関する決定的な証拠がないために、そっちに関する自白は難しいかもしれないと最初から予測していたからだろう。

(わたしが、中途半端な証拠しか掴めなかったから……)

 ある意味アリーチェにとって、これが初めて与えられた任務のようなものだ。

 なのに完璧にこなせなかった自分を、アリーチェは内心で責める。

「この卑怯者! そうやってこれまでも何人ものライバルを蹴落としてきたんでしょ!?」

「言いがかりは醜くてよ、ジニー。そもそもわたくしがあんな簡単な公式を覚えられないはずがないでしょう? きっと信憑性は出るわ」

「は!? あれは応用数式よ! あんたでも難しいもの、に――……!?」

 そのとき、ジニーがまるで声を奪われたように静かになって、口をぱくぱくと開閉するだけの人形のようになった。

 空気が変わったことだけはアリーチェもわかって、他のみんなを見回す。生徒会の面々はみんな一様に、不気味なくらい同じ笑い方で微笑んでいた。

「――さて、まさかここまで綺麗な自白をもらえるとは思ってなかったよ、ジニー・ビュフェー」

「で、殿下……」

「ちなみにここでの会話は全て魔術道具で記録させてもらっている。まあ、正直、あの事故の原因がわかった時点で俺には興味もなかったが、生徒会長としてはメンバーの濡れ衣は晴らさないといけないだろう?」

「……全部、殿下が仕組まれたのですか?」

 さっきまでアンヌ=マリーと言い合っていたのが嘘のようにジニーが大人しくなる。

「自白の部分はな」

「アンヌマリーの、ために?」

「いいや?」

 即答したレイビスが、なぜかアリーチェに視線を流してきた。

「アンヌマリーが言ったようにに解決することもできたが、それだと納得しなそうなのが一人いたからな。せっかく張り切っていたんだ。綺麗に終わらせてやりたいだろう?」

「まさか、そっちのちんちくりんですか!?」

 大きな声に仰天して、アリーチェは思いきり椅子からお尻を跳ねさせた。

「えっ! わたし、え!? 何かしました!?」

 あとちんちくりんと言われたのは二回目で悲しい。貧相も合わせるなら三回目だけれど。

「俺は気に入った玩具には目を掛けるんだよ。さて、じゃあヴィルジール、ロドリグ」

「「はっ」」

「この記録機と共に連れて行け。説明の必要はない。それを見せれば教師もわかるだろ」

「「承知いたしました」」

「殿下」

 アリーチェが椅子にしっかりと座り直していると、隣にいたアンヌ=マリーがレイビスの方を向いて立ち上がった。

「このたびはご迷惑をおかけし、大変申し訳ございませんでした」

「おまえは相変わらず演技がうまい。自白させたのはおまえだし、突風の証拠を見つけてきたのはアリーチェだ。俺には感謝も謝罪もいらない」

「……わかりましたわ。では、アリーチェ」

「は、はいっ」

「お礼を言うわ。……ありがとう、信じてくれて」

「え、あっ、あのっ」

「それでは殿下、わたくしはデュボワたちとジニーを教師の許へ連れて行きますわ。当事者ですし」

「ああ、わかった」

「ま、待って、先輩……!」

 しかしアリーチェの呼び止める声も虚しく、アンヌ=マリーはヴィルジールたちと一緒に生徒会室を出て行ってしまった。

「『どういたしまして』って、言えなかった……」

「言いたかったのか?」

 レイビスは最初から最後まで泰然と構えている。

「友だちづくりのための本に、お礼を言われたら、そう言いましょうって。コミュニケーションは大事らしいです」

 だからちゃんと返したかったのに。

 正直、役に立てた実感はあまりないけれど。

「そうだ。殿下、色々と協力してくださったり、助言をくれたり、あの、ありがとうございました!」

 まさかアンヌ=マリーの挑発的な最後の言葉が、自白させるための演技だとは思わなかったけれど。そしてそれを画策したのがどうやらレイビスのようだと、アリーチェも話の流れで理解した。

 やっぱり、なんだかんだ優しい人だ。

 すると。

「『どういたしまして』、アリーチェ」

「! ふふ、はい!」


 そのあとは、アランも交えて少しだけ雑談をした。

 そのときアランから、アンヌ=マリーがさっさと部屋を出て行ったのはただの照れだと教えてもらって、半信半疑なアリーチェは、でもそうだったらいいなと思いながらはにかむ。

 友だちはゼロになってしまったし、恩人をかっこよく助けることもできなかったけれど。

(なんだろう……楽しい、のかな)

 自然と笑っている自分を自覚する。もうずっと、笑うことを忘れていたはずの自分なのに。

(リーシャ)

 寮の自室へ帰る途中、アリーチェは夜空を見上げながら内心で語りかけた。

(わたし、まだ、頑張れそうだよ。だから楽しみに待っててね)

 星々の輝きに、妹の笑顔を見た気がした。



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