幕間 レイビスとアラン


 何を考えてるの? と側近であり従兄弟でもあるアラン・ド・ランベルジュに問われて、レイビスは先ほどから堪えられない笑みを口端に残したまま答えた。

「特に何も?」

「そんなわけないでしょ。君が女子生徒にあんなこと言うなんて」

 アランが言っているのは、今日の昼休みのときのことだろう。

 貴族令嬢にしては珍しく、高等部から編入してきたアリーチェ・フラン子爵令嬢。

 それが気になって少し調べてみれば、彼女は子爵家の養子だった。それなら途中編入も不思議ではない。

 不思議なのは、レイビスでさえぼんやりとしか思い出せないほど弱小貴族の老いぼれが、何を思って今さら養子など取ったのか、ということだ。

 けれど、そこまで調べるほどレイビスも暇ではない。

 今は学生の身とはいえ、卒業すれば公務ばかりの毎日を送る羽目になる。好きなことを好きなだけ自由に学べるのは、今このときしかないのだ。

 だからこそ、魔術科という選択をした。

「ねぇレイビス。ちなみに訊くんだけど、本当にさ、見えてるの?」

 遠慮がちにアランが訊ねてくる。実は昼からずっとそれを訊きたそうにしていることは知っていた。いつ訊ねてくるのかと待っていたら、もうとっぷりと日が沈んでから訊いてくるとは、昔から変わらず臆病な従兄弟である。

「ああ、見えてる。驚くほど鮮明に、おまえの情けない顔がな」

「うっ。それは見えなくていいよ」

 寮の部屋は、王侯貴族なら一人一部屋を与えられるが、レイビスの部屋にこうしてアランが遊びに来ることはよくあることだ。

 レイビスだけは特別に寝室と前室に分かれた部屋を使っており、今は二人でその前室にいる。

 ソファに寝転がったアランが、クッションに自分の顔を押しつけた。

「でも、なら、良かった」

「何度も言ってるだろ。おまえは気にしすぎなんだよ」

「そりゃ気にするよ!」

 女性にはいつもかっこつけて優しい紳士を演じてばかりいるからか、『春の貴公子』と呼ばれている男がまるで叱られた仔犬のように落ち込んだ姿を見せる。

「だってレイビスの視力が落ちたのは俺のせいだよ? 俺が昔、君が止めても木に登って落ちたから。君が受け止めてくれて、俺は無傷だったのに、君だけが目を悪くした!」

「アラン」

「なのにレイビスは眼鏡は嫌だって、俺が贈ったやつを夜にしか掛けてくれないしっ」

「夜には掛けてるだろ」

「まあそうだけど。……でももう、それも必要なさそうで本当に嬉しいよ」

「……いや、それがそうでもない」

「?」

 レイビスがアリーチェから注意事項として聞いたのは、常時魔術を発動するのはなるべく避けたほうがいいということだ。

 あんなに挙動不審で会話も詰まらせることが多い彼女だが、この魔術の説明をするときだけは生き生きと輝いていた。

『この魔術はですね、眼鏡の仕組みを取り入れたものなんです。眼鏡って、簡単に言えば目に入ってくる光の方向を変えることで、光を適切に集束させているんですよ。おそらく殿下の場合は、遠くのものがぼやけて見えているようですので、光が網膜より手前で焦点を結んでいるんだと思います。これを直すには、光を分散させて目の焦点を合わせる力を低下させる必要があるんです。つまり、目の焦点を後ろにずらして、網膜上に合うようにすればいいってわけです! そこで青の魔導書の魔術式を利用するんですけど、第三十六篇ラモラックの章二十三ページにあるものを応用します。これで目にぴったりと合うように薄い膜を張って、その膜で眼鏡と同じように光の方向を変えるんです! 眼鏡と違って瞳との距離が短い分、あんなに分厚いレンズのような膜を張らなくていいのがこれのメリットです。すごいでしょう!? ただ、やっぱりデメリットはありまして。膜のもとは水ですので、丸一日は保たないんですよ。なので必要のないときは魔術の稼働を止めてくださいね…………ってしししし知り合いが言ってましたぁ!』

 これにはレイビスはもちろん、アランも、ヴィルジールも驚嘆した。

 特にレイビスは青の魔導書も使うからこそ、彼女が示した魔術式が確かにそこに刻まれていることを知っている。でもまさかそんな応用方法があるとは思いつきもしなかった。

(その『知り合い』が亡くなっているのが残念だな。生きていれば話を聞きたかったが……)

 この応用方法を、本当に彼女の知り合いが見つけたのかと、少しの疑いは持っている。それにしては彼女の説明に淀みがなかったから。誰しも伝聞の話はそこまで正確に覚えられるものではない。

 それとも、友人づくりが絶望的に下手なだけで、実は彼女は記憶力が良いのだろうか。

(少し、探りを入れてみるか)

 最初はただの変な女だと思った。

 いくら友人がいないとはいえ、裏庭で昼食をとる貴族令嬢なんていない。

 貴族令嬢でなくとも、そもそも一般棟から遠く離れた裏庭に人が来ることなど滅多にない。

 だからレイビスはあの場所から学園を抜け出し、また戻ってきたのだ。

 あのときは、前日に誤って割ってしまったアランから贈られた眼鏡を急ぎ修理に出しに行っていた。

 この従兄弟はほぼ毎日この部屋に遊びに来るため、外出許可なんてもらっている余裕がなかったのだ。

 王宮にいれば、それも侍従に頼んだことだろう。

 けれど、学園生活を送る間だけは、全て自分の力で成し遂げたいと父に伝えて了承をもらっている。よってこれも自分でなんとかしなければならなかった。

 だから初めて会ったアリーチェ・フランに、あの場で口止めをしたのだ。彼女があの場で自分を目撃したことを誰かに話し、それが噂となって、いつ本人アランの耳に入るかわからなかったから。

(アランはうるさいんだよ)

 無断で外出したなどと知られれば、目の一件以降過保護になってしまった従兄弟が問い詰めてくるのは火を見るより明らかだ。それが面倒で内密に事に及んだ。

 だが、まさかそれがこんな出会いを運んでくるなんて。

(〝十三番目の魔女〟以来だ。こんなに心が踊るのは)

 未だかつて誰も解読できなかった、黒の魔導書。

 初めてそれが行使されたとき、レイビスはたまたま図書館の窓から外を眺めていた。

 忘れもしない。黒い柱が一瞬で天を貫いたときのことは。

 遠くからでも感じるほど重い波動に無理やり鼓動を叩かれた。

 これほど身勝手に蹂躙されたことのない心臓は、初めての興奮でさらに鼓動を加速させる。

 やがて柱はいくつかの細い筋になって、上部からほどけるように消えていく。

(あのときの感動は忘れられない。やはりもう一度くらい、あの魔力に当てられたいな)

 そう願ったら、父からはなぜか十三番目の魔女と会うことを禁じられてしまったが。興奮したまま父に願ったのは失敗だった。おそらく息子が喜々として死を望んだと思われたに違いない。

(まあでも、代わりにアリーチェに楽しませてもらおう)

 レイビスにとって、魔術は飽くことのない玩具である。

 魔術だけが、決められた人生の中で、そしてなんでもできてしまう退屈な人生の中で、唯一思いどおりにいかなくて熱中できる大切なものだった。

「なあ、アラン」

「なにー?」

「友人なら、共に勉強することは不自然じゃないよな?」

「? そりゃあね。あ、もうすぐ中間試験があるから? じゃあ俺、明日から勉強道具持ってくるよ」

「違う。おまえとじゃない」

「え……レイビスって俺以外に友人いたっけ……?」

「信頼しているのはおまえだけだ。ただ、今回はアリーチェ・フランを考えてる」

「ああ、フラン嬢ね……って、あれ本気で言ってたの!?」

「俺はくだらない嘘は吐かない」

「あー、ね。くだらなくない嘘はたくさん吐くけどね」

 呆れた視線を寄越されるが、必要な嘘をついて何が悪いという気持ちだ。

「一番長い嘘はこれだよね。レイビスが周囲を睨むようにしてるのはさ、フラン嬢が言ったように視力のせいもあるけど、本当は別の理由だもんね?」

 そう言いながら非難ではなくニヤついた笑みを浮かべてくる時点で、アランも同罪だとレイビスは思う。

「女の子がギャップに弱いからって、酷いよねぇ。題して『いつも睨んでくる殿下が自分にだけ笑ってくれるなんて』作戦だよ。もうそれハニートラップでしょ」

「作戦名が壊滅的にダサい」

「うるさいな。事実でしょ」

 そこは否定しない。無愛想で冷たい男を演じていると、たまに笑顔を見せただけで男も女もコロッと落ちてくれる。そのとき彼らの中には「自分にだけ微笑んでくれたのは殿下が自分を信頼してくれているからだ。期待に応えないと」という心理が生まれるらしい。

 なんとも好都合な心理である。

「で、無愛想な演技は続けるのかい?」

「ああ。不必要な女も寄ってこないから楽なんだ」

「もー、レイビスも。女の子の前では使わないようにね、その呼び方」

 怒られて、面倒だなと思ったけれど反論はしない。アランがキャラ作りでもなんでもなく、素で女性が好きなことは重々承知している。余計な火種は撒かないほうがいいだろう。

「とりあえず、しばらく昼は抜ける」

「え~、俺も一緒に勉強した~い。フラン嬢って、震えるうさぎみたいでかわいいんだよね。俺も仲良くなりたいな」

「却下。他を当たれ」

「えっ」

 なぜかアランが横にしていた身体を起こすほどびっくりした様子を見せる。

「え、え? 彼女ってもしかして、なんかの事件の容疑者だったりする?」

「は?」

「それとも関係者?」

「何を言ってる?」

「だって! そういうのナシにレイビスが女性に興味を持つなんて……」

「ああ、そういうことなら、確かめたいことがある」

「あ、やっぱり? だよね~! びっくりした! でもそういうことなら了解。他のメンバーには適当に言っておくよ。生徒会室使う?」

「いや、図書館にする」

「そうだね、そこなら人もあまり来ないだろうし、参考書もあるからね」

「ああ」

 あとは、どう誘うかだろうか。

 でもまあこれは簡単だろうと、レイビスはもうそれについて考えることはしない。

 意識は明日の授業に向いており、予習をするからそろそろ帰れとアランを追い出す。

 一般科目も、一般教養も、レイビスにとっては予習なんてしなくても問題はない。

 ただ魔術学だけは、どれほど先を予習しても興味が尽きない。

 どれだけ授業を振り返って復習をしても飽きが来ない。

 それを知っているアランは、大人しく自分の部屋に戻っていった。



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