第16話 ぎゅーっ!



 玲の筆跡で、手紙を出そうという試み。


 一時間ほど、十六歳の女子高生に密着される形で奮闘したところ、なんとか文字と認識できるぐらいのものが書けるようになっていた。


 幽霊が見える、触れるというこの謎の体質を、今日ほど感謝したことはないだろう。


 口では「まともになってきたな」とか「いい感じじゃないか?」などとノートに書かれたミミズを評価していたのだけど、脳のリソースの大半は視覚ではなく触覚に割かれている状態だった。


 閑話休題。


 お昼前になってから、玲に教えてもらった食材をスーパーに買いに行って、ちょっと寄り道してから帰宅。


 そして前回同様、玲の指導を受けながら、本日はオムライスを作った。


 ふわとろを目指していたのだけど、オムライス初心者どころか料理の経験がほとんどない俺には難しく、ケチャップライスは玉子からはみ出ていたし、固いし、崩れているし――料理ってやっぱり難しいんだなぁと再確認した。


“市之瀬さん、私が最後の仕上げをしていいですか?”


「仕上げ……? あぁ、ここにケチャップかけるのか。そりゃそうか」


 俺は玲に言われるがまま、ケチャップを右手に持つ。いちいち霊体接触のオンオフを意識するのも面倒になってきたので、いまはオンにしっぱなしだ。


 彼女は俺の手を上から握って、お皿に盛られたオムライスに狙いを定める。


 先ほどの訓練の成果が、はたしてこのケチャップの絵や文字に現れるのか否か――でもまぁ、文字よりサイズが明らかに大きいから、書きやすいことは書きやすいはずだ。


“ん~ふ~ん~ふ~”


 楽し気な鼻歌を歌いながら、玲は俺の手を操作する。俺は彼女が動かしやすいように、極力右腕を脱力させるように努めた。力を抜くってのも、なかなか難しいもんだ。


“できましたっ!”


 玲が書き上げたケチャップの絵に、俺は思わず頬をヒクヒクと動かす。いや、嬉しいんだけどさ。


「ハートとはまたベタな……でもまぁ、うまく書けてるな」


“でしょーっ! もっと褒めてくれてもいいですよっ! それともドキドキしちゃってそれどころじゃないですかね!?”


「うるせぇ黙れ」


“ひどいっ!?”


 ぽかぽかと俺の背を叩く玲を無視して、お皿をリビングに運ぶ。それからスーパーで買ったサラダと、インスタントのスープもつければ立派な昼食の出来上がりだ。


 我ながら、なんてまともな食生活なんだろうと思う。

 玲がいなければ、きっと今日もカップ麺で済ませていただろうなぁ……。


「サンキューな」


 スプーンを手に取ったところでお礼をぼそりと言うと、俺の正面に座る玲が、首を傾げてキョトンとした表情で“え? なにか言いましたか? 市之瀬さん”と問いかけてくる。


 ……聞こえてないならもういい。二回も言うのは恥ずかしいわ。


“んふ~、エスパーな私にはわかりますよ! きっとお礼の言葉ですよね? なんとなく市之瀬さんのことわかってきましたので、これぐらい予想できますっ!”


「……勝手に予想すんじゃねぇ」


“んふふ、これは図星の反応ですねっ!”


 ……ダメだ。アホの癖に妙に鋭い。このままでは俺が墓穴を掘り続ける可能性が大いにあるな。話題を変えることにしよう。戦略的撤退だ。


「やれやれだよ……」


 幸い、彼女の気をそらすのにちょうどいいものを買ってきているし。


 俺は手を伸ばしてソファの脇に置きっぱなしにしてあったビニール袋を掴む。手繰り寄せ、袋の中身をテーブルの上にポンポンと置いて行った。


「ほら、ノートの切れ端じゃ不満なんだろ」


 今朝手紙の話が出た時に、俺が『ノートの切れ端でいいか?』と聞くと、彼女は『大丈夫』と返事をした。だけど、返答するまでに間があった。


 本当はきちんとしたメッセージカードのようなものが欲しいけれど、わがままを飲み込んだ――真実がどうかはわからないけど、俺は玲の反応を見て、勝手にそう予想した。


 だから、スーパーに行くついでに、ちょっと寄り道をして本屋の文具コーナーでメッセージカードを買ってきたのだ。無駄足だったら泣く。


“な、なんでぇ!? べ、別に私は欲しいなんて言ってないですよっ! しかもこんなにいっぱい……”


「あいにく俺にこういうセンスは皆無なんでな。どれか一つに絞るなんて無理だ無理。まぁ玲のおかげで家賃は安く済んでいるし、受け取る側もノートの切れ端よりは嬉しいだろうからな」


 少し照れくさくて早口になってしまった。


 だが、彼女はそんな俺の照れ隠しに気付く様子もなく、テーブルの上に並べられた十種類のメッセージカードを楽し気に眺めている。

 まるでおもちゃをもらった子供みたいだ。


 うずうずした様子の玲を見るのが面白かったので、ひとつひとつ袋からカードを取り出し、裏表を見せる。玲は“あう、これも好き。でもこっちもいいなぁ”と吟味していた。


 大量に買ってしまったが、これっきりにせずに、何度か書かせれば無駄にはならないだろう。もしいらなくなったとしても、このアパートに住む誰かにあげたらいいし。


 メッセージカードを三分ほど眺めていた玲は、はっとした様子で俺の顔を見る。そして、


“私のためにありがとうございますっ! 市之瀬さん大好きっ!”


 正面から抱き着いてきた。


「――な、ななっ、ばっ、何やってんだお前!?」


“感謝のハグですっ! ぎゅーっ!”


 彼女は楽し気な声色でそう言うと、俺を包む力を更に強くする。


「ぎゅーっじゃねぇよ! こんなところ誰かに見られたらどうすんだっ!」


“ここ市之瀬さんの部屋ですし? そもそも私は市之瀬さんにしか見えないのでやりたい放題ですねっ!”


「い、いや、そうかもしれないけどさぁ……」


 混乱して意味のわからないことを言ってしまった。そうだよ。傍から見たら俺が一人で騒いでるだけなんだよなこれ。落ち着こう、落ち着け。円周率を思い出せ。


 さんてんいちよんいちごーきゅーにーろくごーさんごーはちきゅーななきゅー……あっ。

 そうだよ、なんで俺はこんな簡単なことに気付かなかったんだ。こうすればいいじゃん。


“――あぁっ! ず、ずるいですよ市之瀬さんっ! それは反則です!”


 霊体接触をオフにした。初めからこうすればよかった。俺を貫通した玲は、文句を言ったあと、不満げに頬を膨らませる。どんまい。


 あのまま抱きしめられるのも悪くはないとは思うけど、恥ずかしすぎて顔が尋常じゃないぐらい熱くなっていたし、頭がクラクラしてきていたからな……あんなので気絶なんてしたらダサすぎる。


 これからまたあの二人羽織でペンを動かさなきゃいけないのだ。

 昼飯時ぐらい、休憩とさせてもらおう。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る