【短編】私たちだけの卒業式

結城 刹那

第1話

 ノートに走らせたペンを止めると、無音の静寂が自室を包み込む。

 平日朝の時間帯は家の前を通る車はなく、外からも一切音が聞こえない。

 まるで私一人がこの世界に取り残されたみたいだった。もしそうなってくれるならどんなに有難いことだろう。だって、志望校の繰り上げ合格があるかもしれないから。


 次の問題に頭を悩ませつつ、チラッと置き時計に目をやる。

 10時30分を示す時間の下に記載された3月8日が嫌でも視界に入ってくる。その数字を見て、私は深くため息をついた。


 今日は高校の卒業式。本当なら今頃、私も参加していたことだろう。

 でも、それは叶わない。叶えたくないというのが正しい言葉かもしれない。知り合いがみんな高校を卒業して大学に入学する中、私だけ高校を卒業しても何もないという事実を受け入れるのが嫌だった。


 先月行われた国公立大学前期試験に落ちて、晴れて私は浪人生となった。

 教育熱心な親の元に生まれた私は県内で一番偏差値の高い大学以外の進路を断たれてしまっているのだ。その大学は後期試験がないため、もう浪人の道しか残されていない。


 パンッ、パンッと邪念を祓うように手で頬を叩く。止まったペンを走らせて、頭に浮かんだ考えをノートに書き殴っていく。


「ピンポーンッ!」


 ひたすら問題を解いていると、自宅のインターホンが鳴った。

 再び時計を見ると11時30分を示していた。こんな時間に誰だろうかと椅子から立ち上がり、部屋を出て階段を降りていった。階段からはインターホンよりも玄関の方が近いため直行。靴を履いて勢いよくドアを開けた。


「げっ……」


 門扉の前に佇む見知った顔に対して、眉間にシワを寄せる。

 アップバングのショートヘアに、毎日ケアしているのかと思うほどのきめ細やかな肌。私よりも頭二個分大きな身長の彼、悠凪 誠(ゆうなぎ まこと)は憎たらしいほど燦々とした表情で私に手を振る。


 手には卒業証書を入れる筒が握られていた。胸の辺りを見るとコサージュが付けられている。性格的に抜けているところがあるからか、コサージュをつける方向を間違えており、葉が上を向いている。


「何か用?」

「香恋が学校に忘れていったもの持ってきたよ」

「何も置いてきてないでしょ。前日までに全部家に持って帰っておいたから」

「流石はきっちりしているよね」


 そういう誠は最後の最後まで置き勉をしていたようで、大量の荷物を抱えている。重い荷物を抱えて歩くのは辛いだろうに私のところまで来てくれるとは面倒見のいいやつだ。まあ、自業自得か。


「でも、一つだけ忘れ物があります。これだよ!」


 そう言って、手に持っていた筒をもう一度振る。

 どうやら、あの卒業証書は私のものみたいだ。


「いらないから、誠にあげる」

「えー、俺の分はもうあるよ」

「それは学校からのでしょ。なら、手に持ってるそれは私からの。私たちの関係に対してのね」


 私は持っていたドアノブを引っ張り、勢いよく扉を閉じた。

「それは困るよ!」という誠の声が聞こえてきたが、無視して鍵をかける。その後も色々とガヤガヤ言っていたが、私は聞き入れることなく自室へと戻っていった。


 卒業式を機に私は再スタートする。合格するまでは全てと縁を切る。

 そうでもしないと自分を許せないのだ。約束を破った自分自身の存在を。


 ****


 私の強い決意はすぐに打ち破られることとなった。


「悠凪くん、ちょっと来てもらっていいかな?」


 予備校に入った私は初日に校長と軽い面談をした。面談を終えたところで、彼から担当するチューターを紹介してもらうこととなったのだが。


「げっ……」


 苗字からイヤな予感がしたが、私の予想どおり校長に呼ばれたのは誠だった。卒業式の日に会ったとき同様、燦々とした笑顔を向けて私のところへとやってくる。


「柊くんの目指す大学、それも同じ学部に通う学生がいてね。彼に担当してもらった方が色々と教えてもらえていいだろうと思ってね。悠凪くん、挨拶を」

「この度、柊さんの担当をさせていただくことになりました悠凪 誠です。よろしく」

「そんなかしこまった言葉遣いしなくていいから」

「へへへっ」


 誠は照れるように頭を掻く。校長は私たち2人のやりとりを見ながら私の個人情報が書かれた資料を手に取る。


「もしかして、2人とも同じ高校だったかな?」

「はい。香恋とは2、3年の時に同じクラスだったんです」

「なるほど。なら心配なさそうだね。悠凪くん、講義の仕方や受験に向けてのスケジュールについて説明をお願いしてもいいかな?」

「了解でーす」


 校長は「これからよろしくね」と一言置いて足早に立ち去っていった。たくさんの生徒を抱えているためか非常に忙しそうだ。


「まさか香恋がこの予備校に来るとはね」

「両親に塾から予備校に変えたらって提案を受けたの。私も場所を変えたいと思って否定しなかったから流れに任せて予備校に移ったの」

「確かに、香恋の場合は指導形式よりも講義形式の方が合うもんね。授業中も先生の話を聞かず、黙々と自習している感じだったし」

「うん。それにしても、まさか誠がチューターとは。給料がいいから選んだでしょ」

「バレた? でもまあ、勉強嫌いじゃないから性に合ってるんだよね。それに香恋の担当を任されたのがすごく嬉しい。よしっ。俺が絶対に香恋を合格に導いてやるからな」

「オンデマンド授業だから、あんたに出番はないわよ。せいぜい躓いたところを聞くくらい」


 私としては誠が担当と聞かされて嬉しさと悲しさは五分五分ってところだ。

 校長の言ったとおり、自分の目指す大学の学部生、それもまだ入学して間もないというのであれば、彼を再現すれば合格する可能性は高くなる。


 ただ、相手が交流の深い親友であるのが傷だ。

 誠のことだ。きっと楽しいキャンパスライフを私に聞かせてくれるだろう。私は彼の話を聞きながら厳しい受験戦争をしなければいけない。それは苦痛以外の何者でもない。


 でも、今更引き返すことはできない。

 デメリットしかないわけではないのだ。自分なりに誠がいるメリットを上手く活かせるように接すれば良いだけの話。


「じゃあ早速、今後のスケジュールについて話そうか」

「はい、よろしくお願いします」

「そんなかしこまった言葉遣いしなくていいのに。これじゃあ、さっきと逆だよ」


 こうして私の第2の受験勉強がスタートした。

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