第3話 回復魔法も持ってない

「アキレス腱……足のここの筋が切れかけてるんだと思うよ」

 俯せにしたコレトウに脛を持ち上げさせる。足の甲から先が上がらない。怪我をしていない左足ならば上がる。これはアキレス腱を痛めた時の診断方法だ。なぜそんな事を知っているのかと言えば、それが僕が部活を辞めた理由だから。こんなところで役に立つとはおかしな話だ。

「ここの筋が繋がるまで動かさないのが大事だよ。治ればまた歩けるようになる」

コレトウに楽にするように言って、心配そうに覗き込んでいたサジにお湯の準備を頼む。傷はないけれど、洗ってから固定したほうがいいだろう。

「如何ほどの間でしょうか」

コレチカが問う。コレチカは縁側にいた親父だ。お館様の息子らしい。次期お館様ってことだよね。

「三〇日くらいですかね…その後はリハビリ……動かす訓練して」

神人云々のやり取りからともかくも僕はこの村での滞在許可(多分)を得た。神人がどのような存在かは不明だが、僕は異世界人のようなものだろうと推測している。神人だと言われても「そうなんですよ!」と胸を張ることは出来ない。無能だからね。と、そんな話よりもコレトウが痛めた足をかばって倒れた方が先だった。コレトウはあわや傷害事件というペットボトル騒ぎに割って入ろうとしたのだ。眉間に穴が開く5秒前だった僕も限界ですよ。運動という運動をしばらくしていなかった僕が丸一日山歩きだっただけではない。死んじゃうとこだったんですよ。話は明日、とにかく手当と休息をという事になった。そもそも僕の尋問より先に手当じゃない?と思うのだが、コレトウ自身が断ってお館様との顔合わせに同席したのだという事は後から聞いた。実のところコレトウは最初から僕のことを神人ではないかと疑っていたのだ。だから「貴族なんかじゃないよ」と言うと言葉も態度も素をあらわにしたサジと違って丁寧語を改めなかったのだ。そういう事は先に言ってほしい。

「お館様に会わせることができれば判ずることができるかと」

かつてお館様は都に住んでいた時期があり、神人と交流があったのだという。見てもらえばいいというのは分かるけど、死体になっては意味ないでしょ。何はともあれ、そのまま圧迫面接のあった方丈かお館様の家に泊まるよう勧められたが、コレトウの足の様子を見たいからと兄弟の家に案内してもらった。殺されそうになった場所より、一日一緒に過ごした兄弟の方がまだ安心できるってものよ。

「兄さんも都にいたことがあるんだ」

 何故かサジが自慢げに胸を張る姿が笑いを誘う。サジは器用に火打石(!)で火を熾し、鉄鍋を吊るし水を運びとくるくると動きまわっている。こんな小学生いないよなぁ、やっぱり。ため息を一つ。いい加減僕も腹をくくらねばならない。先ほど驚愕の事実が発覚したのだ。兄弟の家が、と言うよりはあの方丈以外のすべての建物は竪穴式住居だったんですよ!これが。枝を払っただけの丸太で柱と梁を組んだところに竹が立てかけてあり草で拭いてあるだけ。屋根をそのまま地面に下したような見た目と構造は博物館で見たことのあるそれなんですよ。中に入ってまたびっくり。やや窪んだ土むき出しの居住スペースには筵が敷いてあり、中央に炉があって中で焚火ができるというもので存外広いんだわ。これって時代が違うじゃん!って思うでしょ。そうなのだ。撮影用等にもっともらしく作るなら竪穴住居になるはずがないのだ。さらには水瓶に柄杓が架けてあったり、梁から藁草だとか籠や僕が知らない道具がぶら下がっている所、すすけた柱材、そしてこの臭いがここが長年にわたる生活の場であることを示していた。現代日本でこんな暮らしをしている人なんかいない。これまで異常事態ではあってもどこかでそれを否定している自分がいた。何故こんな事になっているのか分からないけれど、山を下りて町まで出たら一度親に電話を入れようと思っていた。迎えに来てもらえなくても電車かヒッチハイクでも帰れると思っていた。だがこれは、

帰れない。

どうやって帰っていいか分からない。確かにここは僕がいた世界ではない。コレトウの足をもらったお湯で洗い、

「え?洗うだけなの?」

衛生観念の異なるサジからは火を熾す必要がなかったと文句が出たが、残りの湯は僕らが飲む分を竹を切っただけの器に取り分けた後、どこからか運ばれてきた笊の食料を煮るのに役立った。運んできたのは無柄の浴衣のようなものを着て髪を一つに束ねた女性で、集落には女性もいるのが分かる。僕は焚き付けにするためだろう積んである木切れの中から角度の丁度よいものを二つ選んだ。紐を解き外した皮の脛当てをコレトウの踝の上にのせてみる。こうして左右から木切れを固定してしまえば動かないし痛くないだろう。包帯が欲しいけど兄弟の家の中には適当なものが見当たらない。ビニール紐ではあんまりな上に圧迫しすぎると思った。

「包帯……帯とか襷みたいなものはない?」

「使ってるのはあるけど?」

サジが帯を解こうとするので止めた。

「鉈貸して」

肌着代わりに着ていたTシャツを脱いで裂いた。

「何を!」

「もったいないっ」

悲鳴が上がる。そう言うと思ったから言わないでやった。彼らが着ている物を見れば包帯にするような布がないのは分かってたからね。スキルも何もないのならば、僕にできるのは少しでも楽に固定してあげる事くらいだ。逆に言えばこれくらいの事しかできない。おののく彼らを放っておいて適度な太さで斜めに割いていけば、そこそこの長さになった。二年前に僕がしていたような立派なギプスにはならなかったけれども、固定は出来た。

「このまま動かさないようにね…って?」

僕にしてみれば下着にしていた清潔でもない苦肉の代用品だが、彼らには違ったようで、あ、あれ?

「……あ…有難く存じ…」

感動に打ち震えてるとか?いやまさか……マジで?大の大人のコレチカまでが深く頭下げる。一八年の人生でこんな経験はない。僕の方が狼狽えた。

「たっ、大したことじゃないし、あ、そうだ、トイレってか、便所?厠?ってどこですか?」

席を外すことにした。サジが飛び上がって「こっち」先に立つ。

 ここで驚愕の事実がもう一つ。こんな山奥だし、トイレは汲み取りだろうと思っていたんですよ。違いました。住居からでてすぐの茂みにL字の竹囲いがあり、斜めに竹の屋根がかかっている。が、み、溝?どこから引いているのか水が流れていて、溝の側壁には半割の竹が並んでいた。こ、ここでしろと?小はいいよ。だが、大は?なんで囲いがL字なんだ?見えちゃうでしょ?集落には女性もいたじゃんよ。

「はい」

サジが近場で折り取った三〇センチ程の木の枝を僕に差し出した。棒?サジが歩きながら爪でしごいていたそれだ。何のために渡されたんだ、これ?しゃがむのが苦手な人もいるからつっかえ代わりにするとか?困惑する僕を他所に

「都みたいだろ?お館様がこうさせたんだ」

流れるトイレにサジが胸を張る。ってか都ってそうなってるの?いやいや、そうじゃない。溝ってことはここから先に流れて行くって事よ?溝には蓋もないからどんぶらこっこと流れて行くのが見えちゃうわけよ?

「あ、雨の時とか大変だね……」

「水嵩が増すと溢れちゃうからな。ま、しょうがねえけど」

この臭いの元ってこれか!あわあわしながら用を足し、振り返った空に降るほどの星と月が二つ。

「月が二つ……」

青白い月と橙色の月。もう間違えようがなかった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る