第30話 細工

 少女たちが配置についたのを確認し、俺は魔筆を再び宙に走らせた。

 もう間もなく、月が姿を現す時間になる。月光が世界を照らしたと同時に儀式を開始できるようにしたい。今の内に、それぞれの配置について貰わなければ。

 指示に従い、少女たちが魔筆を片手に四つの燭台の前に立ったことを確認し、俺は眼前に描いた幾つかの魔精文字を見つめ、指を鳴らした。

 生み出されたのは、魔法陣。

 大樹を起点として一体に展開されたそれは青い光を発して周囲を同色に染め上げ、その範囲内に、立体の幾何学模様を構築していく。自然界ではあり得ない、人工の幻想的な光景を前に、少女たちの視線は強制的に吸い寄せられた。

 二ヵ月という時間を要して俺が創造した、桜を開花させ冬を終わらせる魔法だ。これを無事に構築することができた以上、俺の役目はほぼ終わったと言っていい。あとは少女たちが燭台に火を灯せば、それを起爆剤に冬眠している大樹が目覚め、冬の原因である地下の魔法陣を吸収し消滅させる。

 頼むぞ、お前たち。

 構築した魔法陣が消滅しないよう維持しながら、祈るような気持ちで少女たちを見た──その時だった。


「! 来た」


 分厚い灰色の雪雲が一部割け、光輝く満月が姿を見せた。久方ぶりに見る夜の導は思わず目を細めてしまうほどの眩い月光を地上に降り注ぐ。

 神々しい、一瞬で注意を強奪される存在感。

 この場にいる全員が出現した天の玉兎に目を奪われ、呆然とそれを見つめる。しかし、幸いにも数秒足らずで我に返ることができた俺は停止しかけた思考を再起動し、動きを止めている四人に叫んだ。


「燭台に火を!」


 俺の声が空間に響き渡った直後、動きを止めていた少女たちは構えた魔筆を宙に走らせ──完成した魔精文字を見つめて指を鳴らし、燭台に巨大な炎を灯した。

 白い炎──セフィ。

 金の炎──ユティル。

 赤い炎──テフィア。

 蒼い炎──メルフ。

 四つの燭台に灯された炎はそれぞれが違う、少女たちの個性を表すような色に染まっている。水面にたゆたう小舟のように揺れるそれらが発する色彩豊かな光が世界の一員に加わり、俺の視界に映るものを色鮮やかに彩る。

 炎に向かって手を伸ばす少女たちは皆、必死の形相。自らが生み出した炎から片時も目を離さず、必要最低限の数少ない瞬きを繰り返し、呼吸を微かに乱しながらも炎が消えてしまわないよう懸命にマナを供給し続けている。

 まだ、彼女たちには他ごとをしながら魔法を維持する実力はない。どころか、儀式が終わるまでの間、炎の形を保つことができるかもわからないのだ。発動は成功したとはいえ、ここから先は運の要素も絡むことに──いや、そんなことを考えるのはやめよう。一度信じると決めたのだから、今更不安になったり、ぐだぐだ言うのはみっともない。黙って、教え子たちの成長を見届けるだけだ。

 桜にマナを供給する魔法に綻びはなく、燭台に炎が灯された今、桜にマナは注がれ続けている。この魔法の役目はあくまでも、桜を目覚めさせること。枝に数輪の花が咲けば、あとは復活した桜が自ら地中や大気から膨大なマナを吸収し、冬を終わらせてくれるはず。

 俺の計算によれば、きっかけとなる数輪はマナの供給が開始されてから数分程度で開花するはず──なのだが。


「……妙だな」


 算出した時間を過ぎても尚、桜は一向に開花しない。開花に必要な量のマナは十分に送られているはず。魔法陣の術者である俺にはマナの流れが感知できるため、それが問題なく機能していることがわかる。

 炎から送られたマナは、しっかりと桜に送られている。なのに、桜には一向に変化が見られない。花は咲かず、寂しい姿から何も変わらない。

魔法陣や炎に問題が見られないとなれば、原因は桜そのものにあるのかもしれない。

そう考え、俺は懸命に炎を維持している少女たちから桜へと視線を向けた。


「桜の内部にあるマナ回路が死んでる……ってオチはやめてくれよ?」


 硬質で凹凸が目立つザラザラとした手触りの幹に触れ、俺は触手のように伸びる枝を見上げる。

 花が散った桜は誰の目にも留まらない。早く花を咲かせて表舞台に立ち、人の目と心を奪う美しい姿を見せてくれ。

 そう願うが、桜からの返答は当然なし。沈黙した大樹は吹き付ける冷たい風に枝を微かに揺らすだけだ。

 時間がない。早々に原因を突き止め、対処しなくては。

 俺は桜の状態を調べる魔法を使うため、一度地面に構築した魔法陣を消滅させようとし──その寸前、積もった雪から顔を覗かせていた根の一部を見て、気が付いた。

 歪んだ根の側面に、注射器のようなものが突き刺さっていることに。透明な内部には焦げ茶色の奇妙な液体が五分の一ほど入れられており、その不自然な量を見れば、残りは根に注入されたことがわかった。

 あれは、まさか。

 嫌な予感を覚えた俺は根に刺さったそれを引き抜き──魔法で調べる必要すらなくわかった液体の正体に、手にした注射器をぐっと握った。

 ──桜の開花に固執して、薬を作って細工。


「クソが」


 脳裏を過った文言に、俺は手中の注射器を足元の雪に叩きつけた。

 それは、レザーナが口にした言葉だ。当初はてっきり、薬とは焼き菓子に混ぜたパラドチウムのことを指していると思っていたのだが……ここに来て、それが勘違いであったことが明かされたわけだ。

 この薬は──壊死の薬。毒性の強い薬品であり、名前の通り、投与した生物を壊死させる効果がある。植物に対して投与すれば、数週間程度で朽ちさせることができる。

 ボロボロに朽ち果てていないことから、この桜はまだ完全に死んだわけではない。見上げなければ頂が視界に入らないほどの大きさであることも相まって、薬の効果が現れるのに時間がかかっているのだろう。

 だが、時間をかけて、着実に薬はこの大樹を蝕んでいる。外部から供給されたマナが正常に巡っていないことから、既にこの木が死ぬ寸前であることがわかる。万物と同じように、一度死んでしまえば、二度とこの木に花が咲くことはない。永遠に、この国の冬は終わらず、春は訪れなくなってしまうのだ。

 厄介なことを。

 悪態を吐き、感情に流されるままに足元の雪を蹴り上げようとし、寸前で俺は思いとどまった。今、少女たちの集中を乱すような真似をすることはできない。それ以上に、教え子たちの前でみっともない真似をするわけにはいかない。心を落ち着け、頭を冷やし、この状況を切り抜ける方法を考えなくてはならない。

 今の俺がやらなくてはならないことはわかっている。しかし現実問題、残された時間は二十分程度と極僅か。その短時間の間に案を浮かべ、実行に移すことなど不可能だ。こうして悩んでいる間にも、時間は刻一刻と過ぎ去っていく。それは二度と取り戻すことができない。頭を必死に回転させても、打開策は見えてこなかった。

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