第2話 雪の中に見つけたもの

 突然、僅かに鼓膜を揺らした声。

 発生源は室内ではなく、外。カーテンが掛けられている出入り口の先から聞こえたように思えた。

 この部屋の外に、誰かいるのだろうか。

 気になった俺は暖炉の傍から離れ、悩むセフィの横を通り過ぎ、カーテンを開き外を視界に映した。


「……凄いな」


 視界の全てを埋め尽くした光景に、俺は感動の声を零した。

 一面の銀世界。あらゆる箇所に降り積もった、今も空を占拠する灰色の雲から降る雪が、地上の全てを白で覆い隠している。まるで、白以外の色が存在することを否定するかのように。


「……っ、寒──ッ!」


 やや強い風が吹き付け、全身を襲った猛烈な寒さに身震いする。

暖炉で温められた室内とは比較にならないほど、外は冷え切っている。気温は氷点下を下回っており、その証拠に、屋根には幾本もの氷柱が形成されていた。吐いた息は濃い白に染まり、煙草の煙を吹かしたように、空気に溶けて消滅する。これほど厳しい寒さを経験するのは、初めてだった。


「ど、どうしたんですか? 外は寒いので、中にいたほうが……」

「声が聞こえたんだ。微かにだが、女の子の声が」


 部屋に戻るよう促したセフィに理由を告げ、俺は寒さを我慢し、足元の雪を踏みしめ歩き出した。

 向かうのは、俺が眠りに就いた部屋の前に造られた、天空庭園。そこには本来、色とりどりの花が咲き乱れ、見る者を楽しませているはずなのだが……残念ながら、今は分厚い雪の下に埋もれてしまっている。例え除雪したとしても、深々と降る雪はすぐに白に染めてしまうことだろう。

 俺の鼓膜を微かに揺らした声は、確かに、この庭園から聞こえたのだ。

 踏み出す度に足首まで埋まる新雪の上を進み、視線を八方に散らして声の主を探す。けれど、何処を見ても雪しか見当たらず、目的の人物を見つけることができない。

 もしかして、気のせいだったのか?

 寒さに身体を震わせながら、俺は自分の勘違いを疑い、部屋に戻ろうと踵を返し──気になるものを見つけた。


「? 雪洞か?」


 足を止め、目に入ったそれをジッと見つめる。

 庭園の中央に、不自然に盛り上がった場所があった。半球状、雪洞の上部のように見える。雪国では雪で雪洞を作り、その中で食事を楽しんだりする風習があるそうで、誰かが似たようなことをしたのかもしれない。

 もしかして、声はあそこから聞こえたのか?

 十分にあり得る可能性に、俺は自分の地獄耳に驚嘆しながら、そこに近寄った。


「これは……」


 俺の後ろをついてきたセフィに、自分の予想を教える。


「雪洞っぽい。……叩けば壊れそうだな」


 軽く触れると、人の手で固められていることがわかるものの、強度はそこまであるわけではなかった。力を込めて数回叩けば、きっと壊すことができるだろう。

 果たして、声の主はいるのか。

 その答えを求め、俺は半球状の雪に拳を振り下ろした。


「…………マジでいやがった」


 雪の塊を破壊した俺は、その下から現れた空間を見つめて呆れの声を零した。

 俺たちがいる地点から一メートルほど下、雪洞の中央にいたのは、金糸の髪を持つ少女。黄色の寝袋に全身を包んだ彼女は眠気に抗っているらしく、半分に閉じた瞼を必死に持ち上げようとしていた。近くには小さな火が灯ったランプが置いてあるものの、それで暖を取ることなどできない。ガタガタと全身を震わせ、焦点の合っていない瞳で真上を見つめていた。

 この子は一体誰で、どうしてこんなところにいるのか。

 浮かんできた当然の疑問に頭を悩ませていると、隣で俺と同じように下を覗き込んだセフィが『え!?』と声を上げた。


「ユ、ユティルちゃんッ!? どうして雪の下で眠っているんですか!!」

「ん、んぅ……?」


 セフィの声に反応し、ユティルと呼ばれた少女は顔と視線を俺たちのほうへ向けた。


「おぉ、セフィ……助かった。危うく、一人で凍え死ぬところだったよ」

「何をしたら庭園で雪に埋もれることになるんですか?」

「いやぁ、ちょっとした手違いでさ」


 寒さで震えた声で、ユティルは笑いながら言った。


「かまくらの中でお昼寝がしてみたくてさ。造って眠ったのはよかったんだけど、寝てる間に入り口が雪で塞がれちゃったんだよね。で、閉じ込められちゃったの」

「馬鹿だな……」


 埋もれた理由に、俺は反射的にそう言ってしまった。どれだけ眠っていたのかはわからないが、豪雪の中、外で眠ること自体が自殺行為。少し考えればわかることだと思うが……。

 呆れる俺に、ユティルがこちらに目を向けた。


「隣の君は……英雄様だよね」

「英雄を名乗ったことは一度もないが……ロゼル=フォーレルンだ。ついさっき、目を覚ましたんだ」

「お~。伝説は本当だったんだ──くしゅんっ!」


 言葉を言い切る前に、ユティルは大きなくしゃみをした。これだけ冷え切った雪の中で居眠りをしていたのなら、風邪をひくのは当たり前のこと。凍死していないだけ、断然マシとすら言えるだろう。

 とにかく、まずは彼女を引き上げて暖炉の前で温めるべきだ。

 雪洞の中に降りた俺は、寝袋に包まれたユティルを横抱きに抱え、壁となっていた雪を踏み固めながら部屋へと足進めた。


「うわぁお。救世の大英雄様にお姫様抱っこされるなんて、生きていたら何が起こるかわからないものだね」

「自称したことなんて一度もないから、英雄って呼ぶな。ロゼルでいい」

「は~い」


 身体の芯まで冷え切っているのに元気だな。

 呑気な返事をしたユティルにそんなことを思いつつ、カーテンの掛かった入り口を通過し、暖炉の前に彼女を横たわらせる。と、ユティルはすぐに寝袋から脱出し、火の傍で膝を折った。


「はぁ~……あったかい。心と身体に熱が染み渡るよ……」


 手袋をつけた両手を炎に向けて暖を取るユティルに、セフィが呆れた声を発した。


「もぉ。ユティルちゃんが一日の大半を眠って過ごしているのは知っていますけど、流石に寝る場所くらいは選んでください。このままだと、いずれそのまま永眠することになってしまいますよ」

「う~ん。究極の睡眠を得るためには、危険も覚悟しなくてはならないのである……う~寒っ!」


 身震いし、ユティルは更に炎のほうへと近づいた。

 雪の中にいたのだから、そう簡単に温まるものではない。今は炎の近くに寄り、身体の外側から熱を得ているだけの状態だ。しっかりと身体を温めたいと思うのなら、やはり、内側からも熱を得る必要がある。

 俺は出入り口のカーテンに近付き、二人に声をかけた。


「何か、温まるものを持って来てやるよ。相当冷えているだろうし、必要だろ」

「え? いいの?」

「それくらい構わない。味の保証はできないけどな」


 冗談のように言った俺は再び雪の降りしきる外に出た後、城の地図を思い浮かべた。

 温かい飲み物が欲しいので、目的地は当然調理場になる。七百年の時が経過しているとはいえ、部屋の場所が変わっている、なんていうことはないはずだ。俺の記憶通り、調理場は城の二階にある。

 場所は把握した。あとは行き方についてだが……。

 下へと続く階段の手すりを掴んだ俺はそこから顔を出し、数十メートル下を覗き込んだ。


「問題は、魔筆まふでがない状態でも、俺が魔法を使えるかどうか……」


 落ちれば確実に落命する高さの眼下を見つめながら、俺は不安を吐露した。

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