第5話

 我に返った男は突然の乱入者に目を瞠っている。行き場を失った拳は力なく下ろされていくが、少女を掴む右手が緩む様子はなかった。


「……なんだ、いきなり」


「こんな幼い女の子に手をあげるのはいかがなものかと」


 ね、と言わんばかりに目を細めて小首を傾げて見せる。


「何があったんです」


 男を宥めるように両掌を向け、静かに問いかける。少女を男の視界から外すために体を半分ほど間に滑り込ませると、シャーラの背後に隠れる形となった少女が不安そうに彼の服を握ったのが背中越しに分かった。


「……この餓鬼が!」


「いたっ……」


 再び興奮してきた男が少女の腕を強く掴んで引き上げる。


「手を放して。君も逃げたりしないでしょう?」


 首だけで少し少女を振り返ると、小さく頷いて見せた少女にいい子だねと微笑み、安心させるようにシャーラの服を掴んでいる震える手を後ろ手に握る。そして再び男と向き合えば、男はばつが悪そうに目をそらして手を放した。


 その様子を確認したシャーラは一歩身を引き、少女の横でその細い肩を支えるように立ち、男に話を促した。


「その餓鬼が俺の財布を盗んだんだよ」


「盗んでない!」


 少女は目尻に涙を浮かべながらも強く反論する。


「なら何でお前が持ってたんだ!」


 語気を強めて凄む男に怯んだ少女の目から涙が一滴、零れた。服を握る力が強まる。


「ほら、落ち着いて。怯えさせたら話を聞くことも出来ませんよ」


 男は一つ舌打ちをした。


「どうして彼の財布を持っていたのか教えてくれる?」


「お、落ちてたから……」


「渡そうとした?」


 か細い声で話し始めた少女に問えば、少女は小さく頷いた。


「だ、そうですが」


 男のほかに少女が財布を盗んだと主張する者が出てくることはなく、男は唇を噛んだ。シャーラが余裕を崩さない様子も男の居心地を悪くする。


「もういい!」


 吐き捨てて男は去って行く。


「さ、もう大丈夫。行こうか」


 促すように支えていた少女の肩を押すと、少女はその細い足をゆっくりと踏み出した。その先ではライアが笑顔で手を振っている。


「そもそも、なんでスラムの餓鬼がこんなところにいるんだか」


 後ろからの声に耳を向ける。声の主は、先ほどの男が訪れていた屋台の店主のようだった。独り言のようなそれに、聞こえていないようなふりをして歩みは止めない。少女にも聞こえたのだろう、小さく息を呑んだのが伝わってきた。


 店主は少女の身なりを見て判断したのだろう。平民も裕福な暮らしをしているこの町で、継接ぎだらけ、汚れも落とせていない、いわば襤褸のような服を纏う少女は確かに異質な存在だ。店主の発したスラムの存在について、門から広場まで進む中で見た豪奢な町並みからは想像できなかった。


 動揺を隠せない少女を落ち着かせるようにシャーラは口を開く。


「君の名前は?」


「……ニナ」


「ニナというんだね。僕はシャーラだよ」


「シャーラ……さん」


「ふふ、シャーラでいいよ」


 ニナと名乗った少女は不安そうにシャーラの琥珀色の瞳を見上げており、シャーラが微笑んでやれば少女もわずかに笑んでみせた。

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