僕は人を殺してみようと思った。

ハナビシトモエ

第1話 親の子知らず

 目の疲れだろうか。


 日常に疲れを感じるほどの覚えはない。可愛い子供、阿吽あうんの呼吸で分かる妻、仕事はやりがいがあって、出世も近く上昇気流。

 だが、子供の後ろに黒い影は見えるのだ。部下でも妻でもない。六歳の息子だ。うすうす妻も私が何かを思っていることを気づいているだろう。


 二十五歳の頃に結婚した。すぐに子供が出来て、私と妻は三十二になる。子供は妻の体力的に二人目は少ししんどい。収入の面では不安が無いが、子供に充てるお金も多ければいいという夫婦での結論になった。有給休暇も取り易く、旅行にもたくさん行った。

 そんな充実した生活なのにいつまで経っても子供の後ろに影が見える。少し不安に思って、休日ソファーでたまった録画を見ながら、オープンキッチンの妻を見た。



「どうしたの? ドラマ見ているにしては珍しいわね。竜士たつとのこと?」 


「そうなんだけどな」


「何よ。もったいぶって」


「実は竜士の後ろに黒い影が見えるんだ」


「影?」


「あぁ、動かないから点なんだろうけど。ずっと竜士だけに」


「他は?」


「いや他は感じない」


「何か気味が悪いわね。病気かしら、試しに眼科に一緒に行きましょうか」


「いやいい、会社帰りに行くよ」

 妻に付き合ってもらうほどではないだろう。


 結果的に言えば、眼科的には異常が無かった。


「もしかしたら仕事疲れかもね。リラックスしているように見えるけど、神経内科行ってみない?」

 抵抗感があった。妻が見せてくれたのは大きなビルにあるのあるクリニックだったからだ。


「竜士だけそう見えるって変よ。行くだけ行ってダメならまた考えて」

 妻にそう言われた上、竜士の事を気味悪く思っていた自分が腹立たしく。クリニックを家族で訪れた。


 名前を呼ばれ、診察室には一人でと言われた。



 いつからこの症状が出たとか、眼科に行った事、仕事もプライベートも上手く行っていること。それを話すと医師は少し棚の本を出した。


「人間というのはどこかでバランスを取るものです。恵まれている人も何か一つくらいはマイナスを背負わないと不公平でしょ」


「分かりかねます」

 いいじゃないか。上手くいっていることの何が悪い。


「分かります。この症状に陥る人はみんなそのように何が悪いか分からないという表情を見せます。ええ、確かにどこも悪くないのです」


「だったら、何がおかしいのですか。なんで竜士の後ろに影が見えるのですか」


「この病は何か大切な物を差し出すと症状が治まります」


「大切な物?」


「ええ、その人しか分からない代償です」

 やはりヤブだ。


「もういいです」

 そういって診察室を出て、会計をした心配そうな妻を引き連れて家に帰った。


「一番大切な物を失う病気とかふざけている」


「他のお医者さん探す?」


「人間ドックに行った方がまだマシだ」


「大学病院でやっているかしら、大丈夫よ。今の医療は日々発展しているから原因が分かるわよ」


「それにしてもあの精神科、竜士の後ろの影はなんだったんだ」


「たつとってなに? あれ、今日行ったのって眼科でしょ?」

 あぁ、そうだった。黒い点が見えておかしいからって。


「しっかりしてよ。今日はお風呂にゆっくり浸かってね。良ちゃん」

 名前で呼ばれる時は致していい日だ。


 充実と少し疲れた朝を迎えた。こちらを向いて眠る妻の背後に黒い影が見えた。

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