へんせいけんたい

春乃光

1

 どうしたことでしょう。正気を取り戻した私は、仰向けに寝かされていました。腹部の痛みで七転八倒していたのを覚えていますが、その後の記憶が定かではありません。ということは、恐らく気を失っていた。

 目玉をぐるりと回転させてみると、私の周囲を緑色の集団が忙しなく動き回っています。彼らの腰当りに目線があるということは、何らかの台の上に私の体は乗っているのでしょう。肉切り包丁を摘まみ上げて満足げに天にかざし、裏表を丹念に確認していましたが、冷ややかな視線を私に落としながら何やらワゴンらしき物の上に置かれた金属の皿に並べました。あたかも準備運動をするように薄手の手袋を嵌めた両手を組んで合掌したり、結んで開いてをしたかと思えば、左右交互に揉み解し終えると、真上から私を覗き込んできました。冷徹な目は物欲しげで、獲物を射程圏内に捉えた証だと言わんばかりに緑布の裂け目から漏れる眼光がぎらついています。

 捕食者の思惑から逃れるように、私は目玉を横に滑らせました。と、二人重なった緑色の着衣の隙間からチラと純白を認め、見え隠れする光景に思わず息を呑み込んだのです。隣の台にもう一人横たわっているではありませんか。私と同じく剃髪し、形良い鼻梁の横顔です。蒼白した肌が生々しい……。

 ──死体……?

 目を凝らして白布で覆われた人体の様子をうかがいましたら、胸辺りが小高く盛り上がり、女性だと気付きました。その丘が微かに上下を繰り返すように見て取れます。ということは、頼りなくも呼吸していたのです。

 ──生体に違いない!

 彼らの淡々とした規則的な身のこなしようといったら、あたかも動物実験の準備でも行うかの雰囲気なのです。人たる感情の欠片すら持ち合わせぬようにこの目には映ります。やはり血に飢えた獣にしか見えません。

 悲しい気分に苛まれながら、目玉を天井に戻しますれば、灯を落とした無数のライトがひしめき合っていました。私の意志は、最早四肢に伝達せず、標本台に金縛りにされてしまった。行動も制御され身動きは叶いませんが、意識だけはあるのです。ただ、声が出せない。既に、麻酔がわたくしそのものを凌駕したのです。自由を奪われた私の周囲で、彼らはオペの準備を手筈通りに着々と進めています。

 と、天井から閃光が放たれ、眩しさに耐え切れず目を瞑る。左足の親指にメスが入った。肉を削がれる感覚は左足の甲、脛、腿、臀部、片半身の神経を這いずり、脳へと伝わります。オペは前触れもなく突然始まったのです。

 痛みは……全くない。だが、私は「痛い」と叫びたい衝動に駆られた。そうすれば不安は解消できると思ったからです。

 メスは我が身の至る所に同時に当てられ、あたかも試し切りでもするように容赦なく振るわれる。武芸達者たるを競わん、と誰しもが躍起になっているみたいです。真っ先に勝ち名乗りを上げた者にこそ栄達の称号を与えん、などとまな板上の鯉の気分で獣たちに身を委ねる決心をして、しばらくの間目を閉じます。

 胸が重苦しくなり、目を開ける。胸の肉を剥がされ、パックリと割れたあばらの下の内臓が蠢いています。私の心臓は規則正しい周期で時を刻み続けましたが、ひとたび不安感が胸底から込み上げた途端、拍動数は自ずと増し、呼吸も荒くなってしまいました。その動きを凝視し、収縮する回数を数えながら息を整えてゆく。三百まで数え切ったら、幾分収縮は減速し出しました。それに伴い、心も平安に保たれつつあります。

 ──焦げ臭い!

 電気メスで焼かれた脂肪のにおいでしょうか。しばらくしてはらわたを掻き回される感触が吐き気を催します。ふくよかな腹部の裂け目から、胃袋が引っこ抜かれ、すぐにまた両手がはらわたを弄ったかと思えば、無造作に引き抜いたシリコン手袋の掌には赤黒い臓物の一部が握られていた。レバーの欠片なのですね。

 体を切り刻まられ、バラバラにされる。私から次々と臓器が失われてゆく。が、それらと引き換えに別の臓器で我が肉体は補完されます。再び目玉を横に滑らせる。恐らく、彼女からの賜りものなのでしょう。私を離れた臓器は彼女と交換されたのです。


 私の肉体は遺伝的、後天的な病巣に蝕まれてきました。それは複数の内臓に及び、匙を投げる医師が殆どです。殊に胃痛を抑えるのは至難の業なのです。薬物で騙し騙し凌いできたのですが、最近、痛みは日毎に増す一方で、内科的な薬物療法にも翳りが見えてきました。最早、いかなる薬剤でも制し得ぬほど悪化の一途を辿ってしまいました。次に選択したのは患部の切除。しかし、通常の外科的な療法でも再発は防げなかった。

 私の病を完治させ得る治療法が必ずどこかに存在するはずだ、との淡い希望を抱きつつ、藁にもすがる思いで名医探しに明け暮れていました。

 一部の臓器を人工臓器で置換する方法も視野に入れましたが、予後は決して良好というわけではありませんでした。縫合した箇所が剥がれてしまえば、その時点で即お陀仏となるのは避けられない。

 また、脳と一部の臓器を機械仕掛けのボディに移植するというハイブリッド化も選択肢のうちにはあるのですが、生物としての感覚を犠牲にせねばなりません。そうなれば生きている意味など薄れてしまう。この術式が初めて世に知らしめられた当初こそ、永遠の命がもたらされるなどとメディアも騒ぎ立て、不治の病に苦しむ者どもを煽ったりしましたが、無機物に脳だけをくっ付けた、いわば生ける屍同然だとの体験談が報道され出すと、瞬く間に人々の熱は冷め、不人気の術式へと追いやられ、今では廃れました。そんな理由から、その選択をする患者は少数なのです。サイボーグなど私も絶対に嫌です。いつまでも人間の人間たる尊厳を失いたくはない。もっとも、生きる意味など問わない一部の不老不死願望の信奉者のみが選択する術式として罷り通ってはいます。

 動物から人への臓器移植や、現在主流である自己の細胞を培養生成しての再生医療も勿論考えましたが、どれも一長一短なのです。そうして最後に辿り着いたのが、まさに今行われている術式というわけです。

「如何なる病をも完治させてみせます」

 との謳い文句で華やかに登場をきめる医師の動画をたまたま目にしたことが切っ掛けでした。全身黒ずくめで、どこか奇術師かと見紛ういでたちは些か禍々まがまがしくもあったのですが、超一流国立大卒で症例数もずば抜けて豊富。何よりも世界の要人を幾人も救ってきたという経歴に惹かれました。プロフィールも完璧な今季最高峰の医学賞受賞との呼び声も高いスーパードクター。すがる思いでこの医師に賭けてみようと決心したのです。

 ですが、どんな名医を前にしたとて不安を拭い去ることはできません。

「失った足が痛んだり、痒くなったりする感覚を経験する、と聞いたことがありますが?」

 初診時に私は恐々疑念をぶつけてみますと、

「そんな不快な現象はなく、お互いに取るに足りぬ痛みのみ。痛み分けとでも申しましょうか……」

 と穏やかな顔で返答してくれました。 

 再生医療華々しい昨今、他人の臓器を移植とは、一見、時代錯誤も甚だしい術式のような印象を受けますが、医師の説明によれば、

「この術式こそ最新。弊害の少ない、否、皆無だ。副作用のない完璧な術式なのだ」

 とのこと。威厳たっぷりの確固たる自信に私も絆され、信じてみようという気になったのです。

 こうして最後の砦にすがることにしました。やっと名医を見つけ出し、最新の療法でかたをつけるしか方策はなくなったのです。

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