2-4.雪女のゆめ

 無駄に怯えさせても面倒なので、雪女に見つかったことは庄吉には告げずに、何食わぬ顔で夕餉をとった。

 夜間は最も妖が活発になる。庄吉とさねと俺は、全員本堂で雑魚寝することにした。

 本来は気軽に寝ていい場所ではないのだが、うちには僧房がないので、大の男が三人横になれる場所が他にない。緊急時には開放することもあるし、仏さまはきっと心が広いから問題ない。

 最初は怯えていた庄吉も、僧侶が付きっきりで守ってくれるということに、次第に安心感を覚えているようだった。元々図太いのか、今はもうすっかり深く眠っている。


 しんしんと。夜が深まっていく。

 冷えた空気。静かな音。

 閉じた瞼に、白が。


 舞った。


さね!!」


 大きな音を立てて、さねに体当たりする形で戸ごと吹っ飛ばした。

 境内に飛び出た二つの影から目を離さず、俺は庄吉を庇うように構えた。


「ゆめ……!」


 騒動に目を覚ました庄吉が、呆然とした様子で呟く。

 ということは、やはりあれが。

 

「雪女……」


 外にははらはらと雪が舞っていた。間のいいことだ。まさか匿ってすぐ雪が降り出すとは。

 ゆらりと立ち上がったのは、華奢な女だった。

 僅かな明かりを受けて煌めく髪は白く、地面につきそうなほど長いそれを結うこともなくそのまま風に揺らしている。

 白い着物を纏った肌も白く、顔は暗さの中にありながら、人ならざる美しさが見て取れた。

 彼女は庄吉に目を向けると、恍惚とした表情で口を開いた。


「庄吉さま」


 うっとりとした声色は、恋する乙女のそれでしかなかった。

 彼女を敵として対処しなければならないことが、俺の良心を痛ませた。


「待て」


 庄吉の方へ一歩踏み出したゆめの背後から、さねが大太刀ほどの大きさに変えた鋏を彼女の首に当てていた。


「それ以上近づくな」

さね!」


 冷たい声で警告するさねに、俺は非難を込めて名を呼んだ。まだ彼女は何もしていないのに、いきなり武器を向けるなど。

 彼女は人として庄吉と出会ったのだ。ならば人として、せめて先に話し合いを。


きよの優しいとこ、俺は好きだけどね。やっぱり妖はさ、人間じゃないんだよ」

「何を言っ――」


 ぞくりと。強烈な悪寒が全身を駆けた。


「邪魔をするな」


 恐ろしい声がしたかと思うと、途端に冷気が増して、鋏の先からぱきぱきと氷が纏わりついた。


「しまった……!」


 一瞬にして鋏はそれを握るさねの手ごと凍らせた。

 そして氷の侵食は尚も止まることなく、さねの体を凍らせていく。


さねっ!」


 焦りから名を叫ぶが、駆け寄るわけにはいかない。今俺の背には庄吉がいる。

 がたがたと震えて腰を抜かしている庄吉は、雪女に対抗する術をまるで持たないのだ。

 俺は懐から呪符を取り出して、威嚇するように構えた。

 ひたひたと、ゆめがこちらに迫ってくる。じとりと嫌な汗をかきながら、乾いた唇を開く。


「ゆめさん、待ってくれ。俺たちはあんたと争いたいんじゃない。まずは話を聞いてくれないか」

「庄吉さま、ゆめが迎えに参りました。さぁ、一緒に行きましょう」

「ゆめさん! 頼む、一度止まってくれ」

「いつ雪が降るものかと、毎日庄吉さまを思いながら空を見上げておりました。やっと約束が果たせて、ゆめは嬉しゅうございます」


 駄目だ。まるで話を聞いていない。会話をする気がないのだ。

 ゆめの視線は俺のことなど見えていないかのように素通りして、庄吉だけをその目に映している。


「庄吉さん! あんたから話してくれ! あんたの話なら、ゆめさんも聞くだろ!」


 怒鳴りつけるが、庄吉は目を見開いたまま、声にならない声を喉から零している。

 これは駄目だ。とうてい会話などできそうにない。

 俺は舌打ちをして、呪符に力を込めた。


「さぁ、庄吉さま」


 ゆめが庄吉に手を伸ばす。

 その手が触れる前に、俺はゆめに呪符を押し当てた。


「ぎぃあああああ!!」


 途端、ゆめの体が燃え上がる。ゆめは自分の体を冷やそうとしたが、それを上回る速度で火が回っていく。どうやら、この火は雪女でも消せないらしい。


「う……うぁ……み、ない、で……しょう、き、ち、さま……」


 ゆめは燃える袖で皮膚の溶ける顔を隠して後退ると、そのままどこかへと姿を消した。

 自分が燃えて傷を負ったことよりも、そのさまを庄吉に見られることを嫌がったように見えた。

 女にそんな仕打ちをしてしまったことが、俺の心を重くさせた。

 しかし、すぐにはっとして境内へ飛び出す。


さね!」


 ゆめの姿がなくなっても、雪女の氷はそのままだった。さねは体が半分以上凍って、身動きが取れずにいた。口元まで氷に覆われ、呼吸ができていないのではと俺は血の気が引いた。

 ためらう余裕はなかった。俺は最後の一枚である呪符をさねに当てて、力を込めた。

 強力な呪符は、しかしさねを燃やすことはなく、雪女の固い氷を溶かし、蒸発させた。

 さねが大きく息を吸ったのを見て、俺はその場にへたりこんだ。

 今更体が震えた。まさか、あんなにも話が通じないとは。そしてこんなにも簡単に殺そうとしてくるとは。

 いや、殺す気はなかったのかもしれない。自分の邪魔をされたから、黙らせるために凍らせただけ。

 ただそれだけ。それで、人を殺せる。それが雪女。


 俺が、甘かったのだろうか。


きよ……」


 さねが何かを言いかけて、結局口を閉ざした。

 雪女は退けたが、それは一時的なもので、事態は解決していない。誰も彼も、ただ沈黙するしかなかった。


 その晩、雪は降り続けた。

 しんしんと。しんしんと。

 全てを白く染め上げる。

 それは天の意向か、或いは。

 彼女の深い恋心なのかもしれない。

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