♰Chapter 38:決着

「待って――……!」


視線を向ければ東雲が片目を瞑り、苦悶の表情でオレに近寄ってきていた。


――完全に意識を刈り取った。

そう認識していただけにオレの警戒は強まる。


彼女から魔法の気配は感じられないが、油断なく短刀の感触を確かめる。


「そいつを、殺さないでっ!」


その言葉を聞いたオレは静かに直視する。

それだけで東雲は怯んだように口をつぐむ。


「お前は自分の言っていることが分かっているのか? こいつはすでに何人もの犠牲者を生んでいる。お前にもその手で人を殺させようとした。いや」


オレは違うな、と首を横に振る。



紅雷は一般人を巻き添えに荒れ狂った。

確認はしていないが恐らく一部はただの火傷では済まない。

御法川に精神支配を受けたまま、訳も分からず死んだはずだ。


東雲の顔が悲痛に歪む。

オレの言葉は彼女の心を打ち砕いている。


殺そうとしてきた相手を殺さないなんてことはありえない。

それはだ。


「始末対象のはずだ」


「――それは……分かってる。でも繋がったとき、見えたのよ。そいつは――御法川伊織はあたしと同じなのっ……! もう一人の、あたし……っ」


それから言葉を止め、深く頭を下げた。


「……何のつもりだ?」


戦場で仲間に頭を下げる行為。

心の底から理解できなかったオレ。


敵に服従を示すなら理解できる。

だが今は味方であるはずのオレに対しての行為。


プライドの高い彼女が初めて頭を下げ、懇願した瞬間だった。


「多くの人を傷付けて、あんたさえも……あたしが犯した罪は絶対に……絶対に許されるものじゃない。それでもお願い――御法川はあたしに任せてほしい」


考えてみればおかしな話だ。

なぜ敵である御法川の味方を東雲が。

わざわざ頭を下げてまで自身に罪を負わせた人間を庇おうとする。


――そうか。


たっぷり数秒をかけ、オレの思考には無かった考えに辿り着く。

それだけ時間をかけなければ思い当たることもなかった感情だ。


「同情」

「っ」


オレの言葉は東雲の図星を突いたようだ。

御法川から情報を引き出すこと以外にも彼女はメリットを見出している。

どうにかして、彼に更生の余地を残そうとしている。


「間違っている。同情で罪人を救えばそれは恣意的な救いだ。お前は間接的にでも複数の命を奪った人間に手を差し伸べるのか?」

「それでもそいつには、その意味がある。そう思ったの」


甘い発言に反吐が出るといえばそれまでだ。

しかして戦場では一つの優しさが無数の死者を呼ぶ。


無駄な論議に花を咲かせるべきではなかったのだ。


「ああああああああああああああああああああ――――!!!!!!」

「っなんだ――っ!」


両目を喪失していた御法川が先にも増して悶え苦しみ始める。

胸を掻き毟り、過呼吸を繰り返しては手足が痙攣している。


尋常ではないこの様子。


「ちっ! 背理契約譜による副作用か⁉」


魔力が吸収されていく。

周囲に溜まっていた瘴気と聖杯が残した液体が、大気と共に全て彼を中心に渦巻き収束していく。


「ぐっああ……あぁっ!!」


東雲も再び頭を押さえ始める。

オレも御法川の瞳を見ていないというのに、心にざわつきを覚える。


――尽くせ。尽くせ。尽くせ!


もはや洗脳は絶対的な命令となって脳内を揺るがす。

これは背理契約譜のその先の何か。

そう直感させるには十分だった。


水瀬との会話を思い出す。

――魔女。


そのとき、御法川が残った片腕で銃を持ち出した。


頭の中の異常な服従の号令がオレの反応を遅らせた。


御法川は東雲に向けて容赦なく引き金を引き――


「——何をしている――朱音!」


血液が滴った。

次弾。そしてさらに次弾。


変わらぬ威厳に満ちた表情のまま、腕に三発の銃弾を受け、東雲を庇う男。


「あんたは――」


東雲の父親だ。

どういう原理か、より凶悪さを増した御法川の固有魔法の効果範囲にない。


「立て。お前が私に話したことは嘘ではないのだろう。信頼できるかもしれない人間を見つけたのなら、刃を向けるべきはどこか。それが分かるはずだ」

「おとう、さ……ま……うぅ」

「ああああああああああああ!!!!!!」


御法川はもはや人語を失い、獣のような雄叫びを上げて突っ込んでくる。

型などないが、それゆえに行動は読めない。


「ああ、言い忘れていた――お前は私の大切なモノだ」


東雲父の飾り気のない言葉。

彼は力の入らない腕を気力だけで持ち上げ、受けの姿勢を取る。

至近距離での残弾すべての発射。


――突風が新たな風の起点となる。


銃弾がすべて刀で弾かれる。

そして突っ込んできた御法川を疾風が蹴り飛ばす。

追い打ちのごとく、頭部と鳩尾に薙ぎと突き。


「ぐぁ……!!?」


潰れた蛙のような叫びを残して動かなくなる御法川。


「あたしも――あたしもです、お父様。あたしにとっては大切なです」


途端に紅雷が細く東雲の周囲を囲う。

それらは次々に分裂と融合を繰り返し、視界が明滅するほどに鮮やかな光をもたらす。


固有魔法を顕現した本人が意識を断ってなお、健在だった巨大な瞳。

それが初めて見開かれる。


”Ooooooooooooooooooooooooooooooo!!!”


大気の唸りとも思える暴風の音。

それは正しく眼球の悲鳴に近い。


「――服従の命令が……消えていく」


頭一杯に満たされていた服従の号令が鳴りを潜める。

代わりに巨大な瞳の周囲に小さな無数の瞳が生成される。


――千の目。


東雲の髪をまとめていた組紐が解け、彼女の髪が天に逆立つ。

膨大な魔力、それもこれ以上ないほどに清冽な魔力の奔流。


「背理契約譜——」


禁忌の言葉が告げられる。


東雲が伸ばした片腕。

瞳までの道のりに巨大な魔法陣が幾つも展開される。

ついには横にもかなりの数の魔法陣が展開される。


「この規模は――」

”Ahhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhh!!!!”


無数の小さな瞳から光線が一斉に照射される。

大地に幾百の流星が堕ちるように。

一撃一撃が人を、そして建物を焼き尽くすだけの威力が込められている。


暴風からを守りつつ、視界を確保しているオレにはどうすることもできない。


「――あたしがあたしであるために。そして道を踏み外してしまったあんたに引導を渡してあげる――」


東雲が展開した大規模魔法陣。

それは等しく光線を拡散する。

弾かれる敵の流星が、次々に魔力に帰していく。


お返しとばかりに魔法陣から紅雷が放電される。

焼け落ちる小さな瞳の集合体。

遥か上空で行われる異次元の魔法の応酬。

残るは巨大な瞳、本体のみ。


地上の東雲から、上空の瞳へ展開されていた魔法陣が強い輝きを帯びる。

これまでにない規模で路面が砕けた。

それを彼女が跳躍した余波だと認識できただけで奇跡だった。


気付けば遥か上空、巨大な瞳の真正面に東雲の存在を捕捉する。


「さようなら」


雷光が瞳を貫き、音が――消えた。

地面の一部が捲り上がり、目を開けていられないほど強烈な衝撃波が駆け抜けていく。


最後の瞬間。

東雲が何をしたのか、それを追える者は誰もいなかっただろう。

夜空に紅の一閃が光ったことで、何をしたのかを推測するばかり。


”OOOOOOOOOOOOOOOooooooooooooooo……”


鈍い悲鳴のような音を立てて不気味なほど大きな瞳が魔力に返っていく。

おびただしい規模の魔力の残滓が風に乗り、地上に降り注ぐ。


――幻想的な風景に思わず魅入ってしまう。


「君が行ってやれ」


ふと東雲の父から声を掛けられる。

そしてオレが落下するときにも用いられた減速のアーティファクトが投げられる。


反射的に受け取った左手。

いつの間にかオレの腕の麻痺も腹部の傷も修復されていることに気付いた。

代わりに首元にかけていた魔石のネックレスが消えている。


――水瀬のお守りが、オレを救ったのか。

その事実にあとで感謝を伝えなければと思う。


東雲父の表情は複雑だった。

疲労と威厳と反省と。

そしてわずかな悔しさと不満だろうか。


オレは推測するより先に空中から力なく落下する東雲のもとへ駆ける。

それから風魔法による自身の上昇とアーティファクトによる彼女の落下速度の低下を行う。

魔法陣を通過するたびに加速度は落ち、彼女がオレの腕に収まる。


暴れるでもなく、意識を手放しているわけでもなく。

一切の抵抗はなかった。


「——ったくあんたにお姫様抱きされるなんてね。最悪だわ」

「そうは言いつつもそれほど嫌そうじゃないな」


彼女は言葉とは裏腹に柔らかく笑っている。


「まあ悪くは――ないわね」


それから彼女はそっとオレの首に腕を回し、表情が見えなくなる。

かなりの高度があるとはいえ、それも数十秒の間だ。

そのわずかな間に言葉が紡がれる。


「……ごめん。いっぱい傷、負わせた」


不器用だが素直な言葉。

飾り気はないが、だからこそ相手の感情がまっすぐに伝わってくる。

オレの言葉はどれも婉曲で分かりづらいものになってしまいそうだ。

今の彼女の言葉に返すべき言葉がすぐには思いつかなかった。


だから。

だから――オレは〔宵闇〕の守護者の言葉を借りることにする。


「これはとある大鎌使いの受け売りなんだが『ごめん』と言われるより『ありがとう』と言われた方が嬉しいらしいぞ」


ぽかん、と抱かれたまま呆然とする東雲。

それから思わず、といった感じで笑い出す。


「ぷっ! あはは! あいつ――ううん、優香がそんなこと言ったのね」


東雲から初めて聞く水瀬の下の名前。

そこには普段の嫌悪ではなく、確かな親愛の情が込められていた。

それに本人は恐らく気付いてはいない。

今この瞬間だけの特別な空気がそうさせたのだ。


それから彼女ははにかんで笑った。


「なら、ありがと八神!」


ゆっくりと地上まで落下していくのだった。

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