♰Chapter 20:待ち人はポニーテール

それは帰りのHR後、部活動に行こうとしたときだった。


「なあなあ、東門行こうぜ!」

「行ってもいいんだろうが……だが断る」

「どこかで聞いたことあるセリフだな……。じゃなくてだな……流石にこの雰囲気が感じ取れねえわけじゃねえだろ?」


そう言われれば確かに教室の雰囲気がざわついている。

いやいつも騒がしいから、いつも以上にと付けるべきか。


「東門の方に他校の女子が来てるんだってよ! そんでやんややんやと見に行こうって話になってるわけ」

「別に珍しいことじゃないだろ」


小学校や中学校で同級生だった友達。

あるいはアルバイトや知り合い。

他校の生徒が来てたとしても特に珍しいことではない。


オレの思考を見透かしたように錦は言う。


「普通はな。でも今回は違う。実は誰かを待っているらしくてさ、なんと名門女学院の制服を着ているんだぜ? 言わずと物珍しさが勝つさ」


不吉な予感に駆られる。

もしかするとそれはオレの知る人物なのではないか。


「……気が変わった。オレも行く」

「お? 急にやる気出したな。お前もやっぱり可愛い子が見たいお年頃ってな!」


最近よく絡んでくる錦を尻目に、水瀬にアイコンタクトを交わしてから東門に向かった。



――……



「あ」


東門に立ち尽くしていたのは、こちらにひらひらと手を振ってくる人物。

名門女学院と聞いていたから嫌な予感はあったが、やはり東雲朱音だった。

ポニーテールに髪をまとめ、柔らかく微笑む彼女はどこからどう見てもお嬢様そのものだ。


「え? あ、おい。まさかお前、水瀬さんという人がいながら――」

「悪いな、錦。水瀬に今日の部活は休むと伝えてくれ」


呆然と立ち尽くす錦を背に、東雲を先導する。

曲がり角を過ぎた段階で背後の彼女に声を掛ける。


「……もうだいぶ離れたぞ」

「……はあ。普段と違う自分ってほんとに疲れるわね」

「普段というか、もはやあれはどこから出てきた人格なのかと疑ったぞ」

「蹴りがご所望ならいつでも叶えてあげるわよ?」


普段のざっくばらんな性格をしている彼女とは裏腹に、先程は完全に清楚可憐な女子を演じていた。

こう言ってはあれだが、素直に気持ち悪いと感じるほどだ。


「それで? あんな場所でオレを待っていた理由は?」

「急かさないでよ。何でもかんでも急ぐ男はモテないわよ」


そう言って今度はオレの半歩先を歩く。

ややもすればオレが勉強会の日にも立ち寄ったカフェに引き込まれた。

情報屋と密会したときにはメイドカフェだったはずだが、今は普通のカフェとなっている。

もしかすると曜日ごとにコンセプトが違うのかもしれない。


オレは東雲と向かい合うようにして座る。


「ご注文はお決まりですか?」

「あたしは抹茶ラテ」


半目で何にするのかと催促してくる。


「オレも同じので」


折角の機会だから同じものを呑むのもいいだろう。

注文を終えると東雲が大きく溜息を吐いた。


「あの、さ。まずは悪かったわね。いきなりあんたの学校まで押しかけて」

「……熱でもあるのか?」

「真面目に言ってるのよ! まったく……まあでもこの方があたし的には楽かな」


彼女はその過去から人――特に男との関わりを嫌っている。

もちろん彼女のいうお父様のような一部を除いてだろうが。

当然だがオレは彼女にとって深い関係を結ぼうとは思えない部類の人間のはず。

それなのにオレを強引に誘った理由。


東雲は逡巡しているようではあったが、注文した抹茶ラテが届くころには覚悟を決めたようだった。

強い意志を宿した瞳がオレを真っすぐに射貫く。


「あんたはあたしに借りがあるわよね?」

「借り?」

「忘れたとは言わせないわよ。この前、魔法を見てあげたこと」


そう言えば魔法の五大元素のうち、風――なかでも雷魔法に関しては修練に付き合ってもらったこともあった。

あれからも不定期に何度か面倒を見てもらっている。


「ああ、感謝している」

「そうよね、感謝しているわよね。じゃあ次。あんたはあたしとの賭けの結果として約束を交わした。どんな内容だったかしら?」


何だろうか。

これは尋問か何かなのか。

オレは何か途轍もない疲労感と共に、背筋に虫唾が走っているような感覚に陥る。

だが言葉は淡々と状況を変えていく。


「お前の願い事を一つ聞くと言ったな」

「うんうん。ならその権利と感謝、いつ返せばいいと思う?」


にっこり、という言葉がこれほど似合う人間は恐らくいない。

純粋な笑顔を装った不純な笑顔はそれだけで凶器だ。


「……今か?」

「はい、正解」


東雲は視線を窓の外へ移す。

それから抹茶ラテを一口。

ストローから唇を放した彼女が小さく言う。


「――あたしの、恋人になって」


その瞬間、オレの足元が抹茶ラテに沈んだ。



――……



「あはははは! まさかほんとの恋人だと思った? くくっ……はあ苦しいっ。それにしてもあんたがあんなに動揺するなんて思わなかった」

「別に動揺したわけじゃない。手元が狂っただけだ」


暗殺者としてのオレは数え切れないほどの修羅場を生き抜いてきた。

今更“恋人”の言葉一つで心が動かされるはずもない。

ただそう。

あえて言うならば、東雲と水瀬とは別系統の美人だ。


日常と幻影と。

二つの仮面を使い分けながら表と裏の顔を作っている。

前者で見せる淑やかさには品があり。

後者で見せる闊達な笑みは自信に満ちていて。

たったそれだけで手元が緩んだのはオレ自身がこの泥濘のようなぬるさに浸食されているからなのかもしれない。


「ふーん、まあなんでもいっか。それで偽恋人役は請け負ってくれる?」

「その自信に満ちた態度は気に食わないが、してもらったことは返すし、約束も守る。そもそもこの前『協力する』と言ったばかりだしな。できる限りのことはするつもりだ」

「決まりね。あーあ、嘘でもあんたと恋人か……」


じっと彼女はオレの顔面を見つめる。


「うぇ」

「人の顔を見てえずく振りをするな」

「悪いとは思ってるわよ? でもあたしはパーソナルスペースで男を見るとこうなっちゃう病気なの」

「そんな病気は聞いたことがないな」

「だって架空の病気だし?」


東雲が冗談を言ってくれるくらいには距離が縮まったのかもしれない。

そうでなくてはここまで弄られた甲斐がないというものだ。


「ま、あんたの鉄仮面は当分剥がれなさそうだし都合はよさそうね」

「釈然としないな」

「まあいいじゃない。それでこの後なんだけど、秘書が迎えに来ることになってるんだけど」

「そうか。ならオレがお前を屋敷まで送る必要はないな」


そう言ってカフェを後にしようと思った時だった。


「ちょっとどこ行くのよ?」

「帰る」

「駄目よ。あんたも一緒に行くの」

「どこに?」

「あんたにはあたしのお父様に会ってもらう。運がよければそれっきりでこの関係は終わり」

「やると言った以上はお前に合わせるよ」


かなり急なことではあるが、諦めるしかないだろう。

今のオレは東雲の短期恋人役を仰せつかったのだから。

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