雪より白く、色褪せない恋模様。

@ishida_saima

第1話

 俺は自分の立場を弁えている。

 クラスでは基本目立たず、クラスカースト底辺に位置し、誰からも気に掛けられない存在、いわゆるモブだ。

 これは別に自分を卑下しているわけではなく、主観、客観どちらから見ても純然たる事実でしかない。

 恋だ愛だ、誰々が付き合い出したとか些末な話に興味はあるものの、気にしないふりをしつつ耳を傾けたりしていた。

 というのもこんな俺でも想い人がいるからだ。

 それはクラスメイトの七海ひかりさん。

 彼女は俺とは真逆。クラスカースト上位のグループに席を置き、常に話題の中心にいる人物。

 そんな七海さんが告白されたという話が定期的にクラスメイトの話題としてあがったりする。

 まあ、彼女は学年問わず人気なので仕方がない。

 困ってる人を見かけたら嫌な顔をせず率先して助けたりするのだから、そりゃ好意を持つ人が出てもなんら不思議はないだろう。

 今年に入って七海さんが告白された回数は俺が知ってるだけで二桁は超えている。

 ただ誰かと付き合ってるという話も聞かないため恋人はいないだろうと推測出来る。

 だから俺にもチャンスはある──なんて烏滸おこがましい考えは持ち合わせたりしない。

 七海さんからしたら俺は凡人。……や、それ以下の可能性すらある。

 クラスメイトのよしみとして笑顔で朝や帰りの挨拶をしてもらえるだけで俺は満足しているのだ。

 だから自分のこの好意に気づいた瞬間、すぐさま蓋をすることにした。

 深く関わらず、告白なんていう過ちを犯さなければ、好きだった気持ちを良い思い出として未来に残せるのだから。



× × ×




「ありがとうございました」


 丁寧にお辞儀をして老夫婦が退店していくのを見送る。

 そして食器を洗っていたこの喫茶店のマスター──佐伯さんの隣に立ち、皿などをテキパキと拭き、水滴を落としていく。

 と、不意に視線を感じそちらへ顔を向ければ佐伯さんがじっとこちらを見つめているのに気がついた。


「ふっ……」

「? どうしました?」

「や、なんでもない。悠太ももう手慣れたものだな」

「……まあ、バイトを始めてもう一年経ちますし」


 喫茶『ゆかり』、それが俺のバイトしている喫茶店の名前だ。

 徒歩で高校まで通ってる俺は丁度自宅と学校の中間にあるこの喫茶店によく通っていた。

 去年までは今のマスター(佐伯さん)と先代マスター(佐伯さんのお父さん)の親子二人三脚で店を経営していたのだが、お父さんの方が身体を悪くしてしまい、現マスターが一人になったところ、タイミングよくバイトを探していた俺に白羽の矢が立ったというわけだ。

 まあ当時を思い出すと恥ずかしすぎて目を背けたくなる。

 根がコミュ症なので客前でどもり、身体が硬直してバランスを崩し、食器も何度か割っていた。

 そんな俺に佐伯さんは叱ることはなく、優しく……優しく……。


「くくっ」

「佐伯さん、今絶対去年のこと思い出してましたよね?」

「ほう? よく分かったな」


 思い出した。

 この人、俺がミスするたびに今みたいに、いや今以上に腹を抱えて笑ってたな。

 基本的にこの店は常連ばかりだから、ミスのひとつやふたつで早々トラブルは起こらない、というのを何度も失敗してた時に慰め程度に聞かされた気がする。

 それからリラックスして接客できるようになった気がするけれども、俺はその時にいつか佐伯さんを見返すことを心に決めたのだ。


「人の過去を平気で笑って心の傷を抉ったりするから、彼氏と長続きしないんじゃないですか?」

「あ? なんか言ったか?」

「ひぇっ! な、なんでもないです!」


 ドスの聞いた声。

 さすが元ヤンマスターなだけはある。

 思わず声が上擦ってしまう。

 拍動しつつある心臓を鎮めようと深呼吸をしていると、佐伯さんが「あっ」と小さく呟いた。


「そういや今日から新しいバイトの子、一人入るから。そいつの指導係よろしく」

「……えっ! や、あの、聞いてないんですが」

「ああ、だから今言った」


 ニヤリと笑う佐伯さん。

 すぐさまこの意趣返し。

 やはり佐伯さんに敵いそうもないです、はい。

 佐伯さんが付きっきりで指導するのは難しいから俺が指導係なのは百歩譲って我慢するとして、今日からバイトの人の年齢はいくつくらいだろうか。

 俺より年上か、年下か……。

 いや、同級生という線もあり得る。

 俺がそわそわしていると、佐伯さんは「落ち着け」と言い、いつの間にか挽いていたコーヒーを渡してくれた。


「今日来るのは父の友人の娘でな。年は悠太と同じだし、学校も同じだから知り合いの可能性もあるんじゃないか?」

「……学校で喋るのが先生に指された時くらいしかない俺に知り合いがいるとでも?」


 無言が俺たち二人を支配する。

 佐伯さんはサッと俺から目を逸らした。

 やめて、別にそこまで悲観してないから。

 むしろ中学から大体こんな感じだからもう慣れきってるんだよなぁ……。

 そう言うと佐伯さんは懐からクッキーを取り出し、無言で手渡してくる。

 俺はそれを受け取りモソモソと食べ出した。

 ……………………。

 ん、美味い。

 喫茶店を経営し、料理や家事スキルもある佐伯さんが彼氏と長続きしないのはやはり性格面に問題があるからなのだろう。

 とりあえず気に入らない相手がいた時にすぐ威圧するような眼光をむけるのは、今すぐやめたほうがいいと思います。

 そんなことを直接いうと先ほどよりもさらに面倒なとばっちりを食らうかもなので、口を噤んでおく。

 その後も客がいなくなった喫茶店で佐伯さんと二人で雑談をしていると、入り口の扉につけてある鈴が鳴り響いた。


「あの、今日からニヶ月間バイトとしてお世話になります、七海ひかりです、よろしくお願いします!」


 その言葉を聞き、俺は硬直してしまう。

 ……えっ、今なんて言った?

 七海、七海ひかりって言ったよな。

 綺麗な角度で頭を下げているおかげで、彼女の顔は伺えない。

 けれどさっき佐伯さんが言ってた同級生で同じ学校で七海ひかりなんていう人物、そんなのもう一人しか居ないのでは無いだろうか。


「ひかり、久しぶりだな」

「はい、雪穂さん!」


 顔を上げた彼女を見て確信、いやそれよりも前から確信はしていた。

 やはり、俺が知っている七海ひかりさんで間違いは無い。

 一言二言ひとことふたこと佐伯さんと会話をした七海さんは、やがて俺の存在に気づき、びっくりしたように目を見開いた。


「あれ、浅葱くん?」


 関わることはないと思っていた彼女と、まさかこんな形で関わることになってしまうとは思いもしなかった。




× × ×




 七海さんが更衣室で準備をしている間に佐伯さんから多少詳しく聞いたことがある。

 まず、七海さんは親から知り合いの喫茶店が十二月に忙しくなると聞き、今日から約二ヶ月間のバイトを快く引き受けてくれたらしい。

 確かにうちは俺が働き始めた年から、この店で期間限定カップル割引を開催していた。

 十二月。クリスマス。

 恋人たちが大いに盛り上がる月。

 だからこそ便乗した結果、去年はまさかの大盛況。

 今年もやるとはあらかじめ聞いていたが、まさかそのためだけに人を雇うとは。

 や、まあ、確かに去年は忙しすぎて眩暈がしたから、正解かもだけど。

 それでもまさか、よりにもよって俺が関わらないようにと決めていた彼女がくるとは……。

 まあ、決定事項は覆らないし、七海さんがここで働くことになったのは断じて彼女に非があるわけではないので、責めるつもりは全くない。

 むしろ勝手に彼女に深入りしないと決めていたのは俺なのであって──、


「えっと、じゃあよろしくね、浅葱くん」

「ああ、うん。よ、よろしく」


 いつの間にか戻ってきていた七海さんに改めて挨拶をされる。

 こうなっては仕方がない。気を取り直して彼女と向かい合う。

 喫茶『ゆかり』の仕事着は白シャツに臙脂えんじ色のエプロン、そして髪を長く伸ばしている人はバンダナか帽子を身につける決まりになっている。

 普段は髪をストレートに流したままの七海さんがポニーテールにしてバンダナを身に付けてる姿を見ただけで、俺の胸は高鳴った。

 端的に言おう。

 とてつもなく可愛い、似合ってる!

 が、もちろん口に出して伝えたりはしない。

 そう言うのはある程度親しい仲だからこそ言い合えるものなのだ。

 所詮はただのクラスメイトで偶然同じバイト先になった俺に褒められたところで、七海さんはなんとも思わないだろう。

 ここでドギマギすると、佐伯さんに過去みたいな弱みを握られてしまうので、俺は咳払いをしてから毅然とした態度で口を開いた。


「じゃあ、今はお客さんがいないから店内清掃から始めて行こうか」

「はい、先輩!」

「っ……⁉︎」


 あっぶない……。

 せっかく堂々振る舞えてたのに危うく出鼻を挫かれるところだった。

 俺は手に持っていたモップを七海さんに渡す。


「はいこれ。……あと、先輩とかじゃなくて普通にいつも通りで良いよ」

「えっ、あっ、そっか。ごめんね急に」

「あー、いや、別に」


 会話がぎこちない。

 や、ぎこちなくしてるのは間違いなく俺なのだが、いかんせんどういう対応が正しいのか分からない。

 いつもはただ教室で挨拶を交わすだけ。

 本当にそれしかないのだ。

 彼女と雑談なんかしたことないのに会話のラリーを続けるなんて到底不可能。

 俺が言葉を交わすのを諦め、モップで床拭きを始めると、彼女もそれにならい、俺とは逆方向からモップの床拭きを開始した。

 二人なのでいつもの倍早く終わり、モップを掃除用具入れに戻すと、二名のお客さんが来店される。


『いらっしゃいませ』


 七海さんと言葉がハモる。

 それに一瞬ドキッとするも、いちいち気にしてもいられずお客様を席へと案内する。


「ひかり、今日一日は悠太に付いて覚えな。分からないことはその都度尋ねればいい」

「はい、分かりました」


 佐伯さんの言葉に頷くと七海さんが隣にやってくる。

 と、お客さんがそちらに目を向けた。


「あら、新人さん?」

「あっはい、今日から二ヶ月だけバイトすることになりました!」

「そう、頑張ってね」

「あっ、ありがとうございます!」


 七海さんがお辞儀をする。

 意外、と言うかなんというか、今の七海さんは声が震えて若干緊張しているようにも見えた。

 バイトが初めてと言っても彼女は分け隔てなく人と接するタイプだ。

 こんな接客くらいそつなくこなすものだろうと考えていたのだが……。

 注文を取り、お客様の元を離れる。と、隣をついてきてた七海さんが小声で話しかけてきた。


「ふふっ、私少し声震えてたよね?」

「えっ、あっ、うん、そうだね」

「やっぱり? はぁ〜、緊張したよ〜」


 俺の見立ては間違っていなかったらしく、やはり彼女は緊張していたらしい。


「七海さんでも緊張とかするんだ」


 言ってから「しまった」と思ったが、口から出してしまった言葉は取り消せない。

 不快にさせてしまったかもしれないとすぐさま謝罪しようとするも、その前に七海さんは柔らかく微笑んだ。


「そりゃするよ〜。だってバイトとか初めてだもん。今だって心臓バクバクだよ?」


 言いつつ、胸を抑える仕草をする七海さん。

 俺はそれを見て働き始めの自分を思い出した。

 傍からみれば俺もこんな感じだったなかもしれない。や、ミスしまくってたことを踏まえればこの状態よりも酷かったはずだ。

 七海さんでも緊張する、それを知れただけでも得した気分になり、少しだけ親近感が湧いてくる。

 それと同時に押さえ込んでいた蓋が少しだけ開いた気がした。

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