第39話(★書き下ろしエピソード)~幕間②~人を呪わば穴二つ

「かしこまりました」


 部屋付きの侍女は寝間着と寝所の支度を整え、唯一の照明として蠟燭に火を灯すと寝室の外に下がりました。外には護衛と侍女が控えていますが、王妃は彼らを就寝中は立ち入らせないようにしています。ここは離宮の最上階である四階。しかも真下の階には見張りも居ます。誰かが壁を登り彼女に会う事などできないため、窓を開けて一人で眠る事を許されているのです。


 一日の中で唯一監視の無いひと時に、テレーザ妃はまさに息抜きとばかりに深く息を吐きました。寝台に身を横たえ、瞼を閉じます。しかし怒りに気持ちが昂ったためかすぐには寝付けません。彼女の手は自然と拳となり、ぐっと握られます。


(まだよ、まだ私の負けではない……ここから覆し、あの烏を墜としてみせる!)


 エドワード王子を亡き者に、あるいは失脚させ、代わりに自分の生んだ第二王子を王座に着ける。そしてゆくゆくは王の母としてこの国を牛耳る。それが彼女と彼女の父親である北の帝国の皇族の狙いだったのです。


 王妃は瞼の裏に蠟燭の明かりが揺らめくさまを感じながら、寝台の上で横になっていました。

 ところが突然。世界が真っ暗な闇に支配されます。


「!」


 テレーザ妃は目を開けますが、視界の色は黒いまま変わりません。蝋燭の火が消えた……いいえ、消されたのだと理解しました。なぜそんな事を理解できたのか。それは、過去にだからです。勿論、この後起きる事も。


「い、嫌……」


 彼女は寝台から身を起こし、震えながら辺りを見回します。と、しんと静かな闇の中で何かがゆらめきました。

 はすぐに真っ暗な影から産み出されたかのように現れ、色を得ます。浅黒く細い腕がすう、と宙に伸び、続いてその先に下着とおぼしき白い粗末な服だけを纏った身体が現れました。

 その人物の腕にも服にも、長い黒髪が千々に乱れて絡み付いているのが妙にくっきりと見えます。


 裸足の、背の高い少女の姿をしたは、細く痩せた指をゆっくりと王妃に向けました。


「許さないわ……私は……あなたを呪う……」


 地獄の底から響くような低いかすれた声が、切れ切れながらも呪いの言葉を紡ぎます。


「あなたのせいで……私は死んだ…………殺された……13年前」


「ひいっ!」


 王妃は握っていた上掛けを頭からかぶり、両耳を手でふさぎます。しかし呪いの言葉はその手の間に沁み込むように彼女の耳に入ってくるのです。


「あなたが……母様に毒を盛ったから……母様のお腹の中に居た私も死んだの……」


「い、嫌! 知らない! 私は何も知らないわ!」


 子供のようにかぶりを振るテレーザ妃。口にしている言葉も子供のような稚拙な嘘です。

 昔、側妃だった頃の彼女は密かに前王妃へ嫌がらせを仕掛けていました。しかしそれでは満足せず、遂に13年前には人を使って前王妃を暗殺したのです。その時前王妃のお腹には新しい命が宿っていました。


 裸足の少女は、黒い髪に浅黒い肌。前王妃と同じものを持っています。そして「母様のお腹の中に居た私」の言葉。そこから導き出されるのは……


「もうやめて!」


 テレーザ妃の懇願は聞き入れられません。少女は尚も怨み言を続けます。


「今頃、私だって綺麗なドレスを着て……宝石を身に付けていた筈よ……あなたみたいに」


 少女は音もなく王妃に歩み寄り、恐ろしい声と形相で語りかけます。


「許さない。……あなたが生きている限り一生許さないわ……呪いに苦しむがいい!」


「嫌っ、嫌あああああーーー!!!」


 テレーザ妃は恐怖のあまり叫びます。声の続く限り叫び続けました。そのただならぬ様子に、続き部屋から侍女と護衛が飛び込んできます。


「王妃様!!御無事ですか!?」


「いかがなさいましたか!?」


「……あの娘が!! 出たのよまた!! 私を許さないって……呪うって……」


 王妃は自分の足元の側を指差します。が、侍女が手燭をかざしてもそこには誰も居ません。勿論部屋中を改めますが王妃以外の人物は部屋の中で確認できませんでした。窓は開いていますから念の為下を覗きますが、特に何も見つからず、護衛は首を横に振ります。


「……そんな! 確かに居たのよ!」


「大丈夫です、王妃様。誰もおりません」


「だから居たって言ってるじゃない!!」


 金切り声で主張するテレーザ妃を宥めるように、侍女が言います。


「よろしければ私が寝室の中で寝ずの番をお務め致しますが」


「……! そこまでは、要らないわ……」


「では、良く眠れるようにお茶をお淹れ致しましょうか」


「!!」


 一度は生気を取り戻した王妃の顔が、再び真っ青になります。


「あ、あなたの仕業ね!!」


「王妃様? 何を……」


「私にはわかってるのよ!! あなたが茶に薬を入れたんでしょう! げ、幻覚を見せる薬を……!」


「そんな、私は何も……」


「誰に雇われたの……!? この女を捕まえなさい!!」


 侍女を指差し叫ぶテレーザ妃。護衛は無表情で「かしこまりました」と言うと、青くなっておろおろしている侍女の肩に手を回し部屋の外へ連れ出します。


「あ、あの! 信じてください! 私は何もしていません!」


「ああ、わかっている。いつもの事だよ」


「え?」


「明日には君の仕事は配置換えになるが、多分悪いようにはならないから。とりあえず別の人間を呼んできてくれ」


「は、はい……」


 侍女は急展開を呑み込めず、顔色を変えながら退出します。暫くすると年嵩の、一目で侍女のまとめ役とわかる女性がやってきます。彼女は王妃の寝室に繋がる扉をちらりと一瞥し、今は静かになっているのを確認すると嘆息しました。


「……また妃殿下の発作ですか」


「最近は起きていなかったんですがね」


「困ったものです。いつまで隠し通せるか……」


 女性の言葉に護衛も苦い顔で頷きます。が、続く彼女の言葉に小さく驚きました。


「……本当に呪いかもしれませんね」


「おや、現実主義リアリストの侍女長様のお言葉とは思えませんね」


「ひとことで呪いと言っても色々あるんです……多分、王妃殿下には呪い返しが来たのだと思いますよ」


「呪い返し、ね」


 護衛はそれを一笑にふそうとしましたが、直前で取りやめました。あの王妃なら、前の王妃に呪いをかけるくらいやりかねないと思ったからです。そして今、その代償としてに憑りつかれ時折真夜中に「少女の幽霊が呪いに来る」や「侍女が私の飲み物に薬を入れた」という妄想を叫ぶようになってしまったのだろう……と納得したのでした。

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