山椒魚とピザガール

新星エビマヨネーズ

1. 奇妙な注文

 アヤメは小さな橋のたもとに自転車を止めた。

 夏休み初日だというのに、強すぎる日差しのせいか、川遊びする子供の姿はどこにもない。ただ雑草ばかりが夏を謳歌おうかするように青々と生い茂っていた。

「誰よ、こんなとこでピザ頼んだの……」

 ブツブツ言いながら自転車から降ろしたバッグには、「PIZZAピザ ANNAアンナ」というとろけたチーズのようなロゴと、とびきりの笑顔でピザを頬張る少女アンナちゃんのイラストがプリントされている。アヤメは華奢な背中にそれを担ぐと、長い足でガードレールをひと跨ぎにした。


 アヤメは田舎町の高校一年生で、今日がバイトの初日だった。

「これに着替えて」

 先輩から制服を手渡されたのは、つい一時間ほど前のことだ。

 水色のポロシャツはアンナちゃんのバックプリント入りで、ショートデニムは太ももが丸見えになるほど短い。浅く被ったキャップは短く切り揃えた前髪とツインテールによく馴染んだ。

 子供っぽくも大胆なコスチュームは、スタイルのいいアヤメが着るとどこか健康的な色気が漂った。

「アハハ、ちょっと似合いすぎちゃったね。バカどもみんな見とれてる」

 先輩がちらっと後ろを振り返ると、数人の男性スタッフたちが慌てて目を逸らした。

「さてと」次に差し出されたのは、五人前のピザだった。「初めての届け先がちょっと面倒なところで悪いんだけど……」


 自転車を降りてかれこれ二十分は歩いた。真新しい制服は吹き出す汗でとっくにびしょ濡れになっていた。

 この辺りはもう山の入り口といってもいい。大きな木や石ばかりで人家はなく、涼しい空気に響く蝉の声は一層やかましかった。

 なんでも、届け先はこの辺りのだそうだ。

「——岩屋ってなんですか?」それがアヤメの初めての質問だった。

「岩と岩の隙間の洞窟みたいなとこよ。着いたら入り口にこれを置いて、中に一声かけるだけでいい。決して覗かないこと」

 キャップに染み込んだ汗を振り払い、顔を上げたそのとき、アヤメはすぐ先に言われた通りの岩屋を見つけた。重なり合う岩の下に高さ1メートルほどの空洞がある。

「……あれだ!」

 駆け寄るなり、言いつけを破っていきなり頭を突っ込んだ。が、中は暗くて何も見えない。奥には水が湧いているらしく、それが川へとチロチロ注いでいる。一見、ただそれだけの穴蔵だった。

 こんな中で誰かキャンプでもしているのだろうか? しかし、五人前もピザを頼むわりにはやけに静かだ。

「ピザ・アンナです、お届けにあがりました!」

 アヤメは教えられた通りにピザを置いてその場を離れ、近くの草陰に隠れて穴を見張った。一体この奇妙な注文の主は誰なのか。しばらくして、闇の中から二本の太い腕が伸びた。

 ——その光景に息を飲んだ。

 人間の腕ではない。まるで大きなトカゲかウシガエルのような、ヌメヌメとした茶色いまだらの腕が、五段に積んだピザの箱をひと抱えに引き込んだのだ。

 ほんの一瞬の出来事だった。

 川のせせらぎと蝉の声だけが、何事もなかったかのように続いている。

「……いまのなに?」

 再び穴蔵に駆け寄ると、闇の奥、湧き水の音に紛れてかすかにピザを食べる音が聞こえる。

 アヤメは膝をついて岩屋をくぐった。音を立てないようゆっくり這い進むと、すぐにぽっかりと広い空間に出た。頭上から細い一筋の光が差し込んで、中の様子がぼんやりと浮かんで見える。アヤメは体を伏せたままじっと息を殺して、そこにある不思議な形の大きな岩に目を細めた。

 それは、岩ではなかった。

 岩と見紛うほどの巨大な山椒魚さんしょううおが、こちらに背を向けて、ガツガツとピザをむさぼりり食っている。

「ヒッ!」

 小さな悲鳴に山椒魚が振り返った。

「きゃあああ!」

 回れ右して逃げ出そうとすると、背中で大きな声がした。

「待って!」

 驚いて振り返ると、なんと山椒魚が大粒の涙を流して泣いている。

「僕、ここから出られないんだよぉ! ウオオオン……!」

 アヤメは呆気に取られてしまった。

「さ、山椒魚が、喋った……?」

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