悲しみは仄めいて①

 母に一声かけ、カバンを片手にサトルは学校に向かった。


 高校生活が始まって一カ月、環境の変化に慣れてきた頃だが、背中に大きな口の空妖くうよう――バクが取り憑いているため、いつも通りにはいかない。


 バクの存在を知られずに無事に登校出来るか。これからそんなコトを毎日心配しなければならないこの現実に、心の中で声高に嘆いた。


「学ランか。いいな、この服は。黒いからワタシがそのままでも、バレにくいんじゃないか」


 周囲に見つからないように、サトルはバクに小さな状態を維持するように頼みこんでいた。しかし、バクにとってこの状態は身体中に――というよりも口中にだが、負担がかかるようで、度々弱音を吐いている。


「ガマンだ、ガマン」


 目線を下げ、スパイが味方に連絡するようにこっそり言った。


「そんなにバレるのが嫌か」


「当たり前だろ……おっと、人が来た。頼むよ」


「わかっているさ」


 サトルは予想外の答えに面食らった。平静を装いながら通りすがる人に軽く会釈をして、人がいないのを確認すると、すぐさまバクに話かけた。


「わかるって、見えてるのか? 口だけなのに?」


「ああ、言ってなかったかな」


 当然の疑問であった。大きな歯と舌しか持たない口だけの化け物が、どうやって周りを見るコトが出来るのか、サトルは甚だ疑問に思った。


「こんな見た目でも見えるし、聞こえるモンだ」


「ウソだろ、コワ……。おめーホント何者だよ」


「とっくにご存知だろ。化けモンだ」


 口を開くたびに、発せられるのは衝撃発言の連続だ。意気揚々と答えるバクにサトルは朝から驚くばかりで、疲労感が溜まる一方であった。


 しばらく歩いていると、前方に見知った人影が見える。紺色のブレザーとベージュを基調としたタータンチェック柄のスカートの制服の、その後ろ姿をサトルはよく知っていた。


「よっ、明璃あかり


 サトルは明璃と呼んだ少女の横に並び、いつものように軽く手を上げて挨拶する。


「ん、おはよう、サトル。……なんだか疲れてるみたいだけど大丈夫?」


「いやー勉強が忙しくて」


「ふーん、ウソつけ」


 サトルはバクのコトがバレたらマズいと思い、首筋を掻きながらウソをつくが、簡単に看破された。


 それもそのハズであり、サトルとこの紫城明璃しじょうあかりは幼稚園からの幼馴染で小さな頃から互いに良い面も悪い面も見てきたから、それぞれ互いのクセを把握していた。


 そのためサトルは自覚してないが、嘘をつくと首筋を掻く癖があるコトを明璃は知っていたのであった。


「で、なんでこんな早く出たの?」


「宿題やってないから、教室でやろうと思って」


「本末転倒もいいトコね。提出期限まで間に合いそうなの?」


「まあ、なんとかなるだろ。そういうワケでまたな。車に気をつけて」


「うん、わかってる。サトルも気をつけてねー」


 サトルは振り向きながら手を振ると、明璃は小さく返した。それを見てから前へ向き直ると、バクが小声で話しかけてきた。

 

「フフ、友達か。勘のいい子だ」


「どうしたんだろう、明璃も元気なさそうだったな」


「そうなのか。全然元気に見えたが」


 サトルの方も長年の付き合いを通じて、微小な気の変化を感じとっていた。少しだけ気がかりではあったが、問い詰められるリスクを考えると、とんずらをこくという結論に至った。


 通学路を小走りで向かうと、いつもより30分は早く学校に着いた。校門をくぐっても、思ったより人影がまばらで、どこか寂しい雰囲気を醸し出している。


「あれ、禅院じゃん。こんな早く来るとは、さてはワケありか?」


 玄関のロッカーを開けて、上履きに履き替えようとしたら、中学校からの友人であり、この高校での数少ないサトルの友人――真島悠吾ましま ゆうごに声をかけられた。


「なんでだと思う? 真島」


「あー、わかるよ。そりゃアレだろ、宿題だろ!」


「大正解だよ、名探偵」


「ふふん、当たって当然。なにせ、おれもだからなっ!」


 真島は途端に、悪いコトを思い浮かんだようにニヤリと笑った。


「正解のご褒美としてぇ……。行こうぜ、あのウワサの場所」


「ウワサの場所?」


「決まってるだろ。6年前の女子の自殺現場だよ、ほら、出るってハナシ」


「ああ、なんか聞いたな。……あれ、宿題は?」


 入学から1カ月も経ち、ガラリと変わった環境にも慣れてくると、悠吾の言っている噂話が取り沙汰されるのがこの学校の恒例らしい。


 なんでも創立以来飛び降りたのは、その女子生徒も含めて3人もいるそうだ。初めて聞いたときは、この学校は呪われてるのではないかと思った。


「すぐだよ、すぐ!」


「幽霊か。……会えたらいいよな」


「おっと、もしかして怖いのか―? 強がっちゃって」


「いや……」


 サトルは苦い顔をして、アゴを親指と人差し指ではさみ、考える仕草をしてみせた。


 ちらりと真島を見ると、「来てくれるよな?」と言いたげに瞳を輝かせていた。イヌにずっと『待て』をしているようで、なんだか申し訳ない気持ちになる。


「まあ、すぐだろ。そんなの出るわけないだろうしな」


「んじゃあ早速行こーぜ!」


 サトルも口ではこう言うが、若干興味が湧いていた。悩んだ末の肯定に悠吾は遠足に出かける子供のようにはしゃいで、ウワサの現場へ足を運んだ。




「……たしか、屋上からここに飛び降りたって話だったよな」


「ふうん。そうには見えないけどな」


 女子生徒が飛び降りたとされる中庭には、花壇が広がっていた。ここで人が死んだという悲劇を感じさせないまでに、赤、黄、青など、色とりどりの花が太陽の下に咲き誇っていた。


 サトルは花壇の手前に立てられている看板を覗き込んだ。看板には5年前に整備された花壇であるコトと、その終わりには、当時の副担任の小林という名前が記載されている。


 真島は花にも看板にも目もくれず、周辺を見回して女子生徒の幽霊を探していたが、すぐに飽きたようで、


「うん、いないいない。やっぱデタラメだったな!」


 と、早々に結論づけた。


「……ふつう、幽霊って出るなら夜に出るモンじゃねえかな。こんな朝っぱらからいる?」


 サトルが思ったコトを率直に言うと、真島は口を半開きにした。しかしサトルは言った矢先、バクという前例がいたのを思い出し、前言撤回したい気分になった。


「それでは結論。幽霊はいない! 禅院くん、異議はありますか!?」


「異議なしです、裁判長」


「それでは、これにて閉廷! HRホームルームに行くぞ!」


 サトルは頷き、悠吾のうしろを歩いてHRに向かおうとすると、すぐ背後から小さく呼びかける声が聞こえた。バクの声だ。


「どうした、バク」


「見上げてみろ。屋上だよ」


 たった一言だが、どうも余裕のない様子だった。まさかと思い屋上を見上げると、そこには明璃と同じ制服を着た少女が立っていた。……いや、膝から先が半透明になって足が視えない。浮いているように見える。


 柵の間から覗かせる目は、憎しみ、妬み、恨み、人が持ちうる全ての負の感情をミキサーにかけて乱暴にぶちまけたようだ。まるで輝きがない。


 晴れやかな青空の下、その禍々しい瞳と目が合ったサトルは、彼女こそが件の自殺した女子生徒の幽霊だと確信した。


「どした禅院、屋上なんか見上げて。もしかしてけっこう乗り気だった? 幽霊探し」


「なあ、視え――」


「まぶしっ。お日様まぶしっ! やっぱりいるワケねえよなー。そもそも屋上には入れないしさ」


 振り向いて立ち止まる真島は、サトルと同じように屋上を意識して見るが、なにもいないのを確認して、止めた足を動かした。


「バク、おまえか? おまえがいるからオレだけアレが視えるのか?」


「厳密に言えば呪われているからだな。その証拠にマシマには視えていないだろう」


「幽霊が視えるようになるなんて、聞いてないぞ」


「じゃあ、今知れたな」


 再び幽霊に目を向けた。彼女は依然として、鋭く見据えている。するコトはただそれだけだろうか。サトルも応えるようにジッと見つめた。


 すると、霊は口を動かし始めた。声は聞こえない。まるで読唇術だ、と思いながら、目を凝らした。


「……えっ――」


 霊は沈黙を言い終えると、満足げに憎たらしく口角を上げ、霧が晴れるように、その場から消え去った。


 ただそれだけ。しかし、サトルには重いモノがのしかかった。なによりもドス黒く、残酷なまでに凍てつく霧が心を覆いつくした。理解してしまったのだ、彼女の沈黙を。


 こんな所に来なければ。好奇心を抱いたコトに後悔しても、すでに遅かった。いや、夢を見たときから既に始まっていたのかもしれない。


 日常が非日常に変わる、怪奇な運命への旅路が。


「禅院、おれ先に行ってるぜ。宿題遅れても知らないからなー」


 面白くなさそうに目を細め呼びかける真島を尻目に、サトルはあの夢をはっきりと思い出しながら考える。


 なぜ、空妖に惹かれあうという夢を見たのか。なぜ、視えないはずのモノが視えるのか。そして今、どうして幽霊と出会ってしまったのか。


「……必ず間に合わせる」


 あの時、彼女は確かにこう言った。


『明日、紫城明璃を殺す』――と。

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