16・そして、現在

 あれから半年。今や夏樹さんよりも背が高くなった俺は、彼が隣に並ぶたびに「生え際の産毛が可愛い」とか「こめかみにほくろ発見」とか、ささやかな喜びを噛みしめていたわけだが──


「ただいま」

「おじゃましまーす」


 玄関で靴を脱ぐなり、ナツさんは慣れたようにリビングに向かおうとする。


「待ってください! どこに行くんですか!」

「えっ、おじちゃんとおばちゃんに挨拶──」

「うちの両親は、夏樹さんと面識がありません」

「そうなの!?」

「そうなんです。そもそも星井のことすら紹介していないですし」


 俺の言葉に、ナツさんは「ええっ」と声をあげた。


「じゃあ、やるときどうしてんの?」

「やる、とは?」

「ナナセとセッ──」


 とんでもない単語が飛び出す前に、俺は彼の口を右手でふさいだ。


「なんてことを……家族に聞かれたらどうするんです!」

「でも、それって大事なことじゃん」

「だとしても俺たちには関係ありません。──まだそういうことをしていないので」

「えっ、なんで!?」


 そりゃ、偽装交際ですから──とはさすがに言えないので「まだ半年だし」とか「高校生だし」と言葉を濁す。

 そんな俺に、ナツさんは「マジで?」未確認飛行物体を見るような眼差しを向けてきた。


「こういうのって、ふつう『もう高校生』って言わねぇ?」

「言いません。そもそも、ナツさんはそういう経験があるんですか?」

「あるよ。当然じゃん」


 あっさりそう告げられて、俺はめまいを覚えた。

 いや、薄々気づいてはいた──なにせ、保健室で寝ていた俺の「俺」に、手慣れた様子でサービスしようとしていた人だし。

 でも、やっぱりショックだ。頭のなかで、どんなに「この人は夏樹さんじゃない」と言い聞かせたとしても、そっくりなビジュアルで肯定されるのはただただしんどい。今にも、頭のなかが沸騰してしまいそうだ。


「青野、どうしたの? もしかして、また具合悪くなった?」

「いえ……どうかお気になさらず」

「でも、さっきからへんな顔してるし。大丈夫?」


 よしよし、となだめるように頭を撫でられる。その近すぎる距離に、不覚にも心臓が跳ね上がったのだけれど──


「行春? 帰ってきたの?」


 キッチンのドアの開く音が、俺を現実に引き戻した。


「あら、お友達?」

「う、うん。学校の先輩の星井夏樹さん。今日、勉強を教えてもらうことになって、うちに泊まってもらおうかなって」

「やだ、そういうのは早く連絡してよ。ごはん多めに作らないと」


 顔をしかめる母さんに、ナツさんは「大丈夫」と元気よく返事をした。


「オレ、カップ麺買ってきたから!」

「そうはいかないでしょ。高校生なんて育ち盛りだし……」

「えっ、じゃあオレ、おばちゃんの料理食べてもいいの?」


 やったーと無邪気に喜ぶナツさんに、俺も母さんも呆気にとられた。

 なんだろう、この人懐っこさは。夏樹さんも気さくな人ではあったけど、ここまで突き抜けてはいなかったはずだ。

 でも、あまりにもナツさんが喜ぶものだから、母さんも満更ではなくなってきたらしい。


「じゃあ、星井くんのは大盛りにしようかしら。今日はね、唐揚げなのよ」

「ほんと!? オレ、おばちゃんの唐揚げ大好き!」

「……えっ?」


 ちょっ……ナツさん!


「今のは『家庭の味が好き』ってことだから! スーパーのお惣菜とかそういうんじゃなくて!」

「あら、そうなの。じゃあ、美味しいの作らないとね」


 母さんはご機嫌な様子でキッチンに引っ込んだ。

 よかった、なんとか誤魔化せた。

 それにしても、どうしてこの人は浅はかなんだろう。ついさっき、うちの両親と夏樹さんは面識がない、と伝えたはずなのに。

 恨めしい気分で隣を見たものの、当のナツさんは「唐揚げ、唐揚げ」とこれまたご機嫌だ。


「向こうの世界で食べてたんですか?」

「ん?」

「うちの……青野家の唐揚げ」

「うん、食べた! おばちゃんの作るヤツ、どれも一個が大きめだからすっごい好き!」


 ナルホド、ソチラノ世界ノ「青野家」ノ人タチハ、ズイブン「星井夏樹」サント親シインデスネ。

 心のなかで呟きながら、俺は洗面所へ向かう。けれど、どんなに丁寧に手を洗っても、うがいをしても、モヤモヤした気持ちが晴れることはなかった。

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