境界線

梅里遊櫃

混濁

 私という人間は元より二人の人間であった。

 なぜだか私たちは一つになってしまったわけだが、もとから一人であったかのようだった。


 夕暮れも忘れるような時間のことであった。私と彼はひとりひとりそれぞれの人間であった。

 なんで私が二人でなく一人になってしまったかと言うと溶け合ってしまったからとしか言いようがない。

 私の境界線と彼の境界線が消えていき、私と彼は一つになった。それだけのことなのだけれど、他人にはうまく説明できないモノだ。


 空は晴れわったて、すごく綺麗な夕焼けで、海が見えたらきっと海はオレンジ色に染まっていたことだろう。

 雲が一つも見えないそこは私にとって幻想的な空間であった。

 私にとって彼はかけがえのない存在であり、消えないであろうと信じ切っていたモノであった。


「ここを超えたらきっと私たちは自由になれる」

「そうだね、きっと一緒になれる」


 私たちは信じていた。

 二人だけの世界を構築できると。

 一人ではなく二人としての人生を歩むことができると信じていた。


「どうしてここから出ることができないんだろう。

 ごめんね君をいつも傷つける結果になってしまって。

 僕はずっと君と一緒にいたいのだけど。

 でもいつもすれ違ってばかりだ。

 なんでだろう。僕はこんなにも君を愛しているのに」


「仕方ないことよ。

 だって生まれてきてしまった場所が悪いのだから。

 でも大丈夫よ。

 これからはずっと一緒にいられる。

 変わらずに一緒にいるためにここにきたのだから」

 

 海はとっても綺麗で、私は誘われるままにその海に入っていった。少し冷たくて二月特有の寒さを感じた。


「きっと私たちは幸せになれるわ。だって愛しているんだもの。愛されているんだもの」

「そうだね、僕もそう思うよ。君を愛しているし、君も僕を愛していると確信している」


 二人で幸せになるには絶好の機会だった。間違いなくここが正しい場所だった。そうして私は夢から覚めた。



 耐えがたい絶叫は私のそばにいるはずであった片割れが私の中に入って消えていってしまった事実を物語っていた。

 なんでいなくなってしまったのここにいるはずであったのに。

 なんでいなくなってしまったの私と一緒にいてくれるって約束をしたのに。

 なんでいなくなってしまったの私のことを一生愛していると伝えてくれていたのに。

 私の中に溶けて消えていった私の片割れ。

 私の中にいた元より二つであった私の分身。

 溶けて消えていった。溶けた。

 私の心の中に、彼の息吹があるのを感じている。



 でも私が求めているのはそう言ったことではなかった。思い出なんかではない。生々しい、愛を感じる強い意志。人格そのものを求めていた。


「なんでどこに消えてしまったの」 


 私は求め、時間を見る。夕方だ。私は病院につけられた点滴を抜いて、そっと抜け出していく。


「どこにいってしまったの私の片割れ。私ともう一人いたはずの貴方」


 夕暮れの海岸、貴方と夢を見た一緒になることはこう言う結末を生むためのものではなかった。


 親が言った。「もう貴方は大丈夫よ。もう一人なんだから」


「大丈夫なんかじゃありゃしないわ」


 私の中にいた大事な片割れを返してよ。私はずっと彼に助けてもらってこの世に生きていたんだから。ずっとずっとあの人だけを求めていたんだから。


「なんで、どこにいったの」



 そうして海を目指した私は海を見ることもできないまま、また病院に連れ戻された。今度はもっと奥深く。なんだか私の自由も効かなくて。


「どうしてなの! 返してよ!

 返して、私の片割れ」


 失った片割れを返して。

 私はここにいるべきじゃないのに。

 待っている人が海にいるのに。

 私の片割れが私の心の中にいて、それを解き放つために海に行く必要があるのに。


「溶けて消えたのよ」

 注射を打った後、医者は私に言う。

「海にはいないわ。 海はね。 貴方の心の中の魔物が呼んでいるだけよ。

 でもね、貴方の片割れはきっと優しいから、貴方がこんなことになるなんて夢にも思ってないわ。 

 だから貴方のことを助けたのよ。 

 だから貴方はここにいるの。 

 片割れのおかげで、貴方は貴方としてここにいるのよ」


「違うわ! 海に出たら、海に行ったら私をまだ待っているわ。 

 私の心の中に隠れてしまっているだけで、きっと戻ってくるわ」


「そうね。 

 きっと戻ってくるかもしれないわ。 

 でも貴方はきっともう戻って来れないわ」


 医者は言う。そして奥深くに閉じ込めるものを絶対取ってはくれなかった。


 私は喘ぐ。叫ぶ。暴れたし、何度もどうにかしようとした。

 どうにもできなかった。


「貴方、私を迎えにきて、どうしていなくなってしまったの。

 私を愛してくれるって、愛してくれたって言ってくれていたのに。

 どうしていなくなてしまったの」


 叫ぶとどこからか聞こえてくる気がした。きっと私の中から貴方が顔を出してくれている。


「お別れの時間なんだよ」「なんで」「愛しているからに決まっているだろう」そう言って彼は二度と出てきてはくれなかった。



 私という人間は元より二人の人間であった。なぜだか私たちは一つになってしまったわけだが、もとから一人であったかのようだった。


 夕暮れも忘れるような時間のことであった。

 私と彼はひとりひとりそれぞれの人間であった。

 なんで私が二人でなく一人になってしまったかと言うと溶け合ってしまったからとしか言いようがない。

 私の境界線と彼の境界線が消えていき、私と彼は一つになった。それだけのことなのだけれど、他人にはうまく説明できないモノだ。



 私がいくつもの思いを抱えていた、それだけのことであった。

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