第20話 騎士のプライド、道化のプライド

 荷馬車を乗り捨て、青年のマントで背中の血を隠す。その辺りで買って来た安い酒を香水代わりに振り掛ければ、酔いつぶれた男と面倒見のいい飲み仲間のできあがりだ。まさか劇場で大暴れしてきたとは思えないだろう。

ラティラスのふらつく足元が、余計に本物の酔っ払いらしくしたのか、宿屋の主人は怪しむこともなく部屋を用意してくれた。

 部屋に入って戸を閉めるなり、青年は乱暴にラティラスをベッドに転がした。その衝撃で息が詰まる。

「けが人に酷いことをしますね」

「傷のある背中を上にして倒してやったんだ。まだ良心的だろう」

 マントを乱暴に外される。背後で青年が剣を抜く音がしたと思うと、剣先で襟首を軽くひっぱられた。一瞬斬られるかと怯えたが、布の裂ける音と肌に触れる外気のつめたさで、害を与えられたのは自分の上着だけだと知った。

 もっとも、よく考えれば劇場からわざわざ助け出しておいてから殺すというのもおかしな話だった。いや、そもそも助けられたのか、拉致されたのかいまいち分からない。

 うつぶせになっているラティラスにはよく見えないが、青年はさらけ出された傷に視線を走らせたようだった。

「ふん、派手に長く斬られているが、深くはない。医者に診せるまでもないな」

「何も服を切る事ないでしょう! 高かったんですから、それ!」

 うなじと肩をつかまれ、ベッドに押しつけられる。

「ふ……」

 その勢いでラティラスの唇から息が漏れた。

 短剣はここに来るまでの間に没収され、ラティラスは抵抗する術(すべ)がなかった。もっとも、劇場での闘いぶりをみれば、抵抗してみたところであっさり鎮圧されるだろうが。

 隣の部屋に声が聞こえるのを警戒してか、青年が耳元で言う。

「貴様、劇場で何をしていた。カディルに何の用があった? そもそも貴様は何者だ?」

「劇場では混乱していて気づきませんでしたが」

 質問を無視し、押しつぶされた声でラティラスは言う。

「まさか、こんな所でお目通り叶うとは。リティシア様の婚約者、ルイドバード様!」

 まだおままごとの時代から、リティシアとルイドバードの結婚は決まっていた。そして時折、二人の親達は自分の子供の小さな肖像画を送りあっていた。「あなたの伴侶はこんなに大きくなりました」というわけだ。

 ラティラスも数回だけその肖像画を見たことがある。だが私的な手紙に近い絵は、壁に飾られることはなかったし、ラティラスには、自分がどんなに望んでも手に入れられない者を、あっさりと奪っていくはずの男の顔を何度も拝むマゾ的趣味はなかった。そのため劇場でその姿を見てもすぐに分からなかった。

 ラティラスは皮肉な笑みを浮かべた。 

「今ほど自分が道化でよかったと思ったことはないですよ。自分の恋敵に命を助けられるなんて、八割がたプライドでできている貴族や王子様には自害ものでしょうから」

「道化……? 貴様はリティシア姫の道化か。行方不明だという」

 まさか姿を消した道化がここにいると思わなかったのか、道化ごときがおこがましくも王族に恋心を抱いているなんて想像もできなかったのか。肩ごしに見えるルイドバードはほんの少し驚いた顔をした。

「その通り。宮廷道化師のラティラスと申します。まだクビになっていなければ、ですけれど。以後お見知りおきを。それにしても、婚約者をさらわれておきながら観劇ですか。優雅なもんですね」

「貴様!」

 肩をつかむ手に力が入る。

「嫌味をいう前に状況と立場を理解しろ、道化師」

 この状況で長剣は扱いにくいと思ったのか、ルイドバードは片手でラティラスを押さえたまま、空いている手で懐から短剣を抜いた。

 首筋にチクリとした痛みを感じる。それは自分が今までカディルにやっていたような事で、ラティラスは少し皮肉を感じた。

「さっきの質問の続きだ。劇場で何をしていた? とぼけると……」

「とぼけると、ワタシを殺すおつもりですか? 我が国では、丸腰の、しかも怪我人を無慈悲に殺す騎士は『人でなし』ってさげすまれるんですが、そちらの国では違うんで?」

 こういったお高くとまった人間は、プライドを攻撃するのが一番だ。

 現に、ルイドバードは「チッ」と舌打ちをして剣先を首筋から放した。

「さっき、カディルになんのようだ、と言いましたね。あなたもあの男に何か御用が?」

 王子はしばらく黙り込んだ。ラティラスのことをどこまで信頼できるか、値踏みをしているように。体を押さえつけられていた手が緩められる。

 ゆっくりとルイドバードは語り始めた。

「我が国で起きている事件については知っているだろう」

「確か、行方不明者が続出してるとか。全身から血を抜き取られた死体もみつかってるんですよね?」

 そういえば、結婚式が行なわれるはずだった日、馬上で友人のセダルとそんな話をしていた。あの日からそう何日も経っていないはずなのに、もう何十年も前の出来事のようだ。

「行方不明者は依然(いぜん)増え続けている。不思議なことに、最初は宿無しや隠者のように、いなくなっても気づかれにくい者だった。しかし、それがだんだんと上流階級の者にまで及んできた。そして、その行方不明の中にカディルが目の敵にしていた男も含まれていた」

『金を払ったら、本当に商売敵の船が沈んだ』。カディルはさっきそう言っていた。大方、ライバル会社の船を沈めるだけではなく、ライバルそのものの排除をケラス・オルニスに依頼したのだろう。

「それで、カディルが何か知っているのではないかと、奴を見張っていたのですね。そこでワタシとカチ合った」

「そういう事だ。そしてリティシア姫は一連の事件に巻き込まれたのではないかと踏んでいる。そこから辿れば、リティシア姫の居場所が分かるのではないかと」

 ラティラスは眉間にしわを寄せて、今手元にある情報をすばやく整理した。

 姫をさらった賊は、ケラス・オルニスという組織。その組織は金持ちの商人や貴族達と取引し、違法行為をする代りに資金を得ていた。そして、その違法行為の中には暗殺も含まれていて、行方不明だけでなくどういうわけかご丁寧に全身の血を抜かれるという凝った殺し方をされた者もいる。

(しかし……宿無しや隠者が行方不明ってのはなんでしょうね。ケラス・オルニスに金を渡しているような者達が、そんな人たちにかまうとは思えませんが……)

 とにもかくにも、目下行方不明が頻発している国に住むルイドバードが、その事件とリティシア姫の誘拐を結び付けても不思議ではない。

「なんで畏れ多くも王子自ら? わんさと家来がいるでしょうに。命令だけして、ご自分は玉座にふんぞり返っていればいいじゃないですか」

 王子も自らの手で姫を、将来の妻を探し出そうと思ったのだろうか。そうならば少しルイドバードに好感が持てるかもしれない。

 しかしラティラスの期待は見事に裏切られた。

「王から命令が下ったんだよ!」

 苦々しげにルイドバードが言う。

「『ロアーディアルの姫を自分一人の力で助け出し、行方不明事件の原因を突き止めろ』とな。『そして姫を妻としてむかえなければ王位は継がせん』と」

 そこでルイドバードは皮肉気に嗤(わら)った。

「どうせ、このどさくさで私が死ぬのを望んでいるのだろう。そうすれば弟に王位を譲れるからな」

 そういえば、ルイドバードには腹違いの弟がいたことをラティラスは思い出した。そして王は亡き正妃の間に生まれたルイドバードより、第二妃の間に生まれた弟ロルオンを寵愛していると。

「まったく、あの弟と同じ血が半分流れていると思うとゾッとするよ」

「……たしか、弟気味は苛烈(かれつ)なご気性だとか」

 社交界で囁かれているロルオンに関する噂。

 ロルオンはどこかの町娘を気にいり、城へつれ帰ろうとしたという。だが恋人がいた娘は、当然いい顔をしなかった。それに腹をたてたロルオンは、彼女を無理矢理城へ連れ帰った。次の朝、娘が自死すると、腹いせにその死体を八つ裂きにした……

 それはルイドバードが城を留守にしていた時のことで、彼がいればそんなことは無かったのに、と噂をした者はそう付け加えていた。

 あくまで噂だから、本当がどうか分からない。尾ひれがついている可能性も充分ある。問題は、噂を聞いた人々が「ありえる」と思うほどロルオンが残酷な性格だということだ。

「愚弟を失墜させるのに、暗殺や計略は無用だ。それをすれば私もあの弟と同じになる。

正々堂々と父の出した試練をクリアしなければ」

「ああ、おかわいそうなリティシア様!」

 身体をそらし、大げさにラティラスは嘆いてみせた。ふざけた口調に、隠し切れない怒りが滲んでいるのが自分でも分かった。それにルイドバードも気付けばいいが。

「姫様の事を、誰も本当には心配してはいないのですね! 未来の旦那様ですらも! 姫の危機すらきっかけにして、くだらない権力闘争に明け暮れて!」

「もちろん、姫の事は心配しているさ」

 さすがにラティラスの嘆きに心苦しさを感じたのか、ルイドバードの言葉は弁解めいていた。

「彼女の事を愛してはいないが、大事にするつもりだ。彼女のために第二妃も持たないつもりだよ。もっとも、男児が産まれなかったら考えなければならないが」

 ラティラスは緩められていたルイドバードの手をのけて体を起こし、ルイドバードの胸ぐらをつかむ。血が背と腰を伝い落ちていく。食いしばった歯から言葉を絞り出した。

「いいかげん、その口を閉じてください。怒りのあまり命の恩人を殺したくはないもんで」

 言われた通り、ルイドバードは口を閉じた。そうされてしまったら、怒りのぶつけようもない。ラティラスは荒い息を整え、手を放す。

 ルイドバードは真っすぐにラティラスのことを見つめた。

 ラティラスもそこで初めてルイドバードの顔を真正面から見据えた。

綺麗に整えられた、短い金髪。意志の強そうな眉と緑の目。ひょろっとした体型の自分とは違い、骨格ががっしりしている。美丈夫、という古風な言葉が浮かんだ。

「これで私は自分の持っている情報を語った。次はお前が語る番だぞ。お前はなんでカディルのそばにいた?」

「まあ、そちらとしてはそれが知りたいためにワタシを助けたんでしょうからね……拷問でもして聞き出したらどうですか」

 やぶれかぶれな気分になってラティラスは言った。

「まさか。そんなことはしたくない。自分の身をていして人質をかばう奴だ。そう悪い奴ではないだろうからな」

 ルイドバードは、かすかに口元に笑みを浮かべた。ラティラスは鼻を鳴らした。

「ワタシは姫様が襲われている時に居合わせたんですよ」

 それから、ラティラスは今まであった事をルイドバードに告げた。リティリアを襲った男に自分も襲われた事。そしてそこからラドレイを通ってカディルにたどり着いた事を。

「カディルは、賊のことをケラス・オルニスと呼んでいました。この名前に聞き覚えは

?」

 ルイドバードは無言で首を振った。

「カディルは、『金を払えば邪魔者を消してやると持ちかけられた』と言っていました。そしてあなたも『行方不明の中にカディルが目の敵にしていた男も含まれていた』と言っていましたね。カディルはケラス・オルニスに金を渡す代わりに、ジャマな人間を消してもらったということでしょう。もちろん同じ取引をしている金持ちはカディルとラドレスだけではないでしょうが」

「しかし、それにしては消し方が特殊すぎる……血をすべて抜き取られるなど」

「ですが、そう考えるのが一番自然ですよ。興味深い死因の意味はまだ分かりませんが……」

 その言葉を聞いたルイドバードが、不快そうに軽く顔をしかめた。人が何人も犠牲になっている話題で、『興味深い』などとふざけた表現をしたのが気に入らなかったのだろう。結構、まじめな性格のようだ。

 ラティラスは気にせず続ける。

「カディルは『もう少しで正式なメンバーになれたのに』とも言っていました。渡した金か忠誠心か、評価の基準は分かりませんが、ケラス・オルニスは階級制を取っているのでしょう。そして、当然上の者には下の者にはない権利が与えられるはずだ。カディルが金と引き替えに誰かの抹殺を頼んだのだとしたら、彼より上の階級は金と引き替えに何をしてもらえるのでしょうね? 二本角の小鳥を持ってくる辺り、革命でも狙っているのでしょうか?」

「さあな。今ある情報でそこまで知るのは無理だろう」

 ラティラスは唇を噛み締めた。結局、リティシアの居場所にたどり着くにはまだまだ命がけの行動が必要なようだ。

今まではなんとか死なずにこられたが、これから生きて姫を助けられるのだろうか。

『お前は道化の戦い方をしろ』

 師匠に言われた言葉が頭の中で小さく鳴った。

 自分一人では姫を救い出すことはむずかしい。ルイドバードは、動機はどうあれ事件を解決して姫を助け出そうとしているのは間違いない。

 ならば、手を組んだ方が、お互いお得ではないだろうか。例え気にいらない相手だとしても。

 ラティラスはごろりと仰向けになった。背中が痛むし、あとで宿にシーツ代を払わなければならないかも知れないが、どうしてもルイドバードの眼を見つめる必要があった。

 自分が相手に対して悪意や隠し事がないのを知らせるには、自分の眼をみせるのが一番いい。

「ねえ、ワタシに手を貸して、いや、ワタシにあなたの探索を手伝わせてくださいな」

「なに?」

「どうやら、ワタシ一人でリティシア姫を助けるのは荷が重いようです。ルイドバード様がいれば心強い」

 自分は道化師で、剣士ではない。トリックを仕掛けるのは得意だが、剣を振るうのは苦手だ。ならばそれが得意な者と組めばいい。それが師匠のいう『道化の戦い方』ではないか。

 それにラティラスが協力するのはルイドバードが出された『一人でリティシアを助ける』の条件から外れない。王家の人間は、軍人や宰相ならともかく、身の回りの世話をする召使をまともな人数に数えたりはしない。「王子とナントカ騎士が姫を助けた」は問題になるが、「王子と、荷物持ちが姫を助けた」とは言われないものだ。

 その言葉に、ルイドバードはほんの少し嫌悪の表情を浮かべた。

「恋敵に協力を求めるとは。プライドはないのか?」

「いえ? ありますよ。ただ、あなたのモノとは種類が違うだけで」

 ラティラスはあっさりと言った。

「今のワタシの願いはリティシア様を取り戻し、その微笑みを見る事のみ。そのためなら、ワタシは三遍回ってワンワン吠えますし、親の仇(かたき)の靴もなめましょう。それを恥とは思いません。道化は、憂き世の苦痛をわずかばかり軽くするための存在(もの)。ワタシの安いプライドが傷つくとしたら、ワタシが傍にいながら誰かが泣いている時でしょうか」

 ルイドバードは少し呆れたような顔をした。

「男にそこまで言わせるとは、リティリア様はさぞすばらしい女性なのだろうな」

「いいえ、とんでもありませんよ」

 気づいたらラティラスはぶんぶん手と首を振っていた。

「我がままですし、いじっぱりですし、言うことを聞いてくれませんし」

 ラティラスはそこで少し笑顔を浮かべた。

「それでも、ワタシは彼女が好きなのです。そして、彼女は私の命の恩人でもあります。そのどちらか片一方だけでも、男が命を懸けるには充分な理由だと思いませんか?」

「……充分すぎて釣りが来るな。まあ、お前も従者代わりにはなるだろう」

「というわけで共同戦線成立ですね。とりあえず、服と食べ物を買って来てください。あと薬。それから、荷物をワタシの宿から取ってきてもらわないと」

「なんで私がそんなことをしなければならない!」

「服を斬ったのはあなたでしょ? それに私はもう顔が出回ってますし」

「この同盟、あまり私に利がないんじゃないか?」

「まあまあ、そのうちに活躍しますよ。たぶん」

 ラティラスは「行ってらっしゃい」とひらひら手を振った。

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