第8話「快楽」

 聖王都でリハビリがてらの任務をこなし、私達は拠点へ戻る段取りを組んでいました。明日、1件の魔獣退治をして翌日に戻ります。明日に備えて、夜は各自自由行動となりました。


 私は軽く食事を済ませると、部屋で静かに月を眺めながらぼんやりと深淵竜の魔導書を時折いたずらに捲っていました。読めない。


「ただのお荷物…。でも…私の願い…か。」


 ルーカスのように剣術を磨いたり、ガイマンのように力強く仲間を守ったり、ファスカのように魔法で敵を倒したり、私にもできたらいいのに。そんな仲間を守れたらいいのに。


「力がほしいな…」


 私はそのまま寝落ちしたのです。本の1ページ目が鈍く光っていることに気づかず。


 翌朝、私達は聖王都からすぐそばにある森に来ていました。最近、ウルフ型の魔獣が群れを形成して旅人や商人を襲う被害が出ているそうです。こういうのは群れのリーダーを倒してしまえば大抵散り散りになって落ち着くため、難しい依頼ではありません。森の中を進むと、中規模の群れがすぐに見つかりました。


「いたぞ。ファスカ、俺とガイマンが飛び出したら揺動魔法を。アンジェリカは万が一ウルフに噛まれて毒を受けた時のために解毒魔法の準備を。」


 ルーカスとガイマンが飛び出すと、ファスカが左右に火球を放ちました。衝撃で数頭吹き飛び、中心にいたウルフは対応しきれずルーカスの剣を受けました。


「よしっ…ってありゃ」


「むっ」


 あきらかに致命傷。心臓の位置にガイマンが剣を突き、とどめを討ったのです。しかし突撃の際のスピードが速かったせいか、勢いで群れのリーダーは森の奥まで吹き飛んでしまいました。周囲のウルフも混乱しており、追撃は危険と判断しました。


「心臓と首は刺した。すぐに死ぬだろう。ウルフの群れが散ったら吹きとばした場所を捜索しよう。」


 群れが散ったあと、吹き飛ばしたであろう場所へ行くと死骸はありませんでした。


「あの致命傷で動くか…。血の跡も無い。伊達にリーダー張ってるわけじゃないってことか。でも近くで息絶えてるはずだ。手分けして探そう。」


 でも私は視えていたのです。微かに魔力が含まれた足跡。先に見つけて、祈りを捧げてあげよう。


 少し追って歩いていると、川のそばにある大きな岩の陰でウルフが横たわっていました。まだ息はあるようですが、すでに呼吸が止まる直前。動くことは不可能です。


「安らかな…眠りを…」


 祈りを捧げ、ウルフの首筋を見た刹那、私は急激な空腹感に襲われたのです。口から唾液が溢れ、視界が揺らぎます。思わず口を両手で塞ぎました。


「んぐっ!?」


 しっかりと朝食も取り、先ほどまで空腹なんて感じていなかった。携帯食料を頬張りますが、余計に思考が食欲に向いてしまいます。そして何より、私の眼はウルフの首から流れる血から離れないのです。


「血…なんて……。絶対に…。」


 懐の魔導書が熱くなって、私の脳に強制的に呪文が浮かび上がるのです。唾液が大量に流れ出るまま、私は呪文を唱えたのです。


「わ…我が…血肉と…なり…混じり…従えっ!」


 私は我慢できず、ウルフの首筋に噛みつき、血をすすったのです。その瞬間、脳が焼ききれるかと思うほどの快楽に、視界は点滅し、涙が溢れ出て、口からさらに唾液が溢れてきました。だというのに貪るのがやめられず、ひたすら胃に血を流し込むのが気持ちいい。その姿はどちらが獣かわかりません。


「グジュ…じゅるっ…。あ”が…」


 私は気が付くと、ウルフの血をすべて飲み干していました。なんという快楽でしょう…。頭の先からつま先まですべてが快楽に包まれています。こんな穢れたことをしているのに、私の心は幸福感に包まれていました。


「おーーい、アンジェリカ!どこだー!」


 ルーカス達の声に、我に返った私は自分の服を見て血の気が引きました。黒を基調とした服なのに、血が分かるほど飛び散っていたのです。


「ま、まずい!?」


 私は魔導書を岩陰に隠して、川へ飛び込みました。


「お、いたいた。ってアンジェリカどうした!?なんで川に!?」


「あ…足を滑らせたのです!ウルフの死骸を見つけて駆け寄ろうとしたら川にっ」


「あっはっは!最近は落ちることばかりですな。我のタオルを使うとよい。」


「もーなにしてんのよ。」


「あ…はは」


「ん、ウルフはしっかり死んでるな。目を抜いて報告しよう。しかし、他のウルフに襲われたのか?血が散らばってるな。」


「さっきそこで赤いスライムを見たから、たぶんそいつに吸われたのね。死骸が食べられて消化されなくてよかった。」


「私、岩陰で体拭いてきますね」


 私は岩陰で体を拭きつつ、隠した魔導書をしまいました。改めて自分がしでかしたことに、手が震えます。なんてことを…してしまったのだろう。吐き出そうにも、やはり吐き気すら拒否されるのです。しかし、私の脳と舌はあの血の味を覚えており、また意識がもっていかれそうになるのを必死にごまかしたのでした。

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