城好きのマスター

森本 晃次

第1話 昭和の純喫茶

この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和4年10月時点のものです。


 今年50歳になる、枚方平蔵は、今でこそ、初老くらいになったので、違和感がないのだが、自分が小学生の頃は昭和だったが、それも、

「爺くさい名前だ」

 といってバカにされていた。

 家に帰ってから、親に対して、

「何で、こんな爺くさい名前を付けたの?」

 と聞くと、

「何言ってるのよ、あなたのその平蔵という名前はおじいさんから受け継いだ立派な名前なのよ。当時はね、伯爵と言って、階級的に一般市民よりも偉かったの。もちろん、それまでに、国や世間に対して、いろいろと貢献をしたから、いただいた官位なのよ。そういう意味で、立派なおじいさんから襲名したということで、歌舞伎とかなどのように、伝統芸能で襲名するというのと同じことなのよ。威張ってもいいくらいだわ」

 と言っていた。

 さすがに、威張るということまでは、してはいけないと子供心に思ってはいたが、母親に話を聴いていると、さすがに、話が難しくて、ついていけなかった。

 まずは、

「襲名」

 という言葉が分からない。

 世襲などということを理屈で分からないと、爺さんから名前を受けついだと言われても、

「何が、いいことなんだろう?」

 としか思えない。

 途中から、

「おじいさんは、国や世間に貢献した」

 と言われたから、

「ああ、なるほど」

 と思うのだが、そうでなければ、ピンとくるはずもない。

 大人になってからというも、

「子供の頃に感じたことを棚に上げて、子供を叱る」

 という理屈だけは子供心に分かっていたが、それ以外の難しいことは分からなかった。

 きっと、大人が棚に上げるということは、自分がそれまでに感じた大人に対しての理不尽さを感じたことで、自然と身についたことなのかも知れない。

 自分に対して、危険が迫ったり、どこか、危機感を感じるようになると、まるで知らない世界でも、自分のことのように感じてしまうのではないだろうか?

 いくらおじいさんが、伯爵であろうが、ソーリ大臣であろうが、子供の自分たちには関係ない。

 どうせ、

「おじいさんがいい人でお金持ちになったから、子供にも同じ名前を付けておくと、立派な子供にでもなる」

 と思っているのだろうが、

「もう、そんな時代ではない」

 ということで、襲名するなどというのは、本当に歌舞伎のような伝統芸能でなければありえないことだ。

 特に、今は政治家や会社社長など、大勢を占めてはいるが、今の時代は、

「そんな世襲議員や、同族会社など時代遅れだ」

 と言われながらも、結局、消えることはない。

 同族会社はさすがに今の社会を乗り切っていけないのだろうが、政治家には、地元の網元のような人たちとの繋がりがあることから、世襲を無視するわけにはいかないのだろう。

 それだけ、

「政治というのは難しい」

 ということなのかもしれない。

 平蔵が生まれた時代というと、ちょうど高度成長時代ではあったが、貧富の差がはげしい時代でもあった。

 昔の、

「部落差別」

 などというものもあって、少年だから、暮らしいことは分からないが、ただ。

「そこに住んでいるというだけで、バカにされたりする」

 という話を聴くと、子供心に、

「それはいけないことなのではないか?」

 と言えるのであった。

 学校の友達にも、そのあたりに住んでいるやつがいて、母親からなど、

「あんな部落に住んでいる人と友達になんかなってはいけない」

 などと言われたが、学校の先生は、同時の、

「同和授業」

 というもので、

「部落差別というものがあるけど、それは昔言われていたことであって、今はそんなことを言ってはいけない」

 と言っていた。

 子供心に、

「一体、どっちを信じればいいんだ」

 と思ったものだが、確かに小学生に、そんな難しいことを投げられても、結局何もできるわけではないというものだ。

 中学生になると、社会科で、政治経済などを習うのだが、その時に、

「財閥」

「伯爵や子爵などと言った爵位というものに対しての考え方」

 というものについて、習うのだった。

 大日本帝国においては、それらが力を持っていて、

「政治面と経済面で、日本を支えていた」

 という時代であったのに、それが戦争が終わると、最初の、

「戦犯」

 ということにされてしまい、まず、真っ先に解体の憂き目にあることになるのであった。

 つまりは、

「天皇制というものが、天皇を取り巻く側近が、その特権階級を生み、特権によって、富と権力を持つことで、国民を扇動し、自分たちの私利私欲のために動く」

 ということになるのだ。

 だから、

「戦争が金になる」

 ということになれば、戦争をやりたいという連中が蔓延ってくるということになるのであろう。

 しかし、そんなに単純なものではない。

 そんなに単純に物事を考えて、それが正解だなんていうのであれば、そんなに世の中を動かすことが難しくはない。

 だが、実際にはそれがいいのだろう。

 単純であれば、

「力のあるもの、金のある者に、すべての権力が集中し、収拾のつかない世の中と化してしまうに違いない」

 ということになるのではなかろうか。

 昔の戦国時代でも、中世の時代であっても、その時代ごとの秩序があり、その秩序の中で自分の立場や権勢を守ろうとするから、まわりを巻き込んでの戦争ということになるのだ。

 そんな、その時代の秩序とも、大日本帝国が解体してからの秩序では、根本から違っていたのだろう。

 そもそも明治以降の国家形成は、欧州制度の軍や政府をマネしているのである。

「列強に追いつけ追い越せ」

 ということで、少々の無理も致し方なく受け入れてしまう。

 ある意味、

「サルマネ」

 に近かったのかも知れないが、この時代から日本は、

「精神的には武士道でありながら、西洋文化を取り入れる」

 ということで、かなり難しいものがあったのではないだろうか?

 平蔵は、高校時代までは、コーヒーが嫌いだった。

「あんな苦いもの、どこがおいしいんだ」

 と思っていたし、子供の頃、親がコーヒーを飲んでいて、

「飲みたい」

 というと、

「子供が飲むものではありません」

 といって、飲むのを断られたことがあった。

 その時、子供心に、

「そっか、コーヒーって、大人の飲み物なんだ」

 ということで、自分から、ほしいということは思わなかったのだ。

 その思いがあるから、まわりの人が、

「コーヒーって苦いんだよ。だから、砂糖を入れたり、クリームを入れたりして飲むんだよ」

 といっているのを聞くと、クリームが苦手な平蔵は、砂糖を使うしかないわけで、

「そんな面倒臭いことしなければいけないのであれば、最初から飲まない方がいい」

 と思うのだった。

 紅茶の場合も、砂糖を入れないと苦いというか、渋い味がするので、コーヒーと種類は同じようなものだと思っていたが、紅茶に限っては、誰も、

「大人の飲み物だ」

 という言い方はしない。

 大人になってから、紅茶、コーヒーというものの区別がつくようになってくるのだが、やはり子供の頃のイメージで、

「紅茶は、普通に飲めるけど、コーヒーはちょっと嫌だな」

 と思うのだった。

 だから、喫茶店に入っても、

「僕は紅茶」

 と言っていた。

 そういえば、友達の家に行って、何かおやつを出された時、コーヒーが出てきたことはなかった。ソフトドリンクか、紅茶だったので、

「ケーキというと、紅茶」

 というイメージが固まってしまっていたのだった。

 そのうちに、

「コーヒールンバ」

 などという曲が流行ってくると、今度は、

「高級なものだから、子供が飲むものではない」

 というイメージが染みついてきた。

 だから、大人の飲み物だという感覚だ。

 他の人であれば、大人ぶって、コーヒーを飲もうとするかも知れない。それは、中学生が背伸びして、タバコを吸ってしまうような感覚で、今の時代のように、

「タバコは、罪悪だ」

 というレッテルを貼られ、喫煙するということは、

「まわりに迷惑をかけること」

 ということになり、いかにも肩身が狭い思いをすることになるのだ。

 平蔵が子供の頃は、どこででもタバコが吸えた。

 室内はもちろん、会社の事務所や会議室。会議室の灰皿には、吸い殻が山のように積まれている光景は、ある程度の年齢の人にしか分からないだろう。

 しかも、昔の刑事ドラマなどでは、タバコを吸っているのが、格好いいというイメージが染みついているので、当時のアクションスターであったり、

「大御所」

 と言われるような俳優がタバコを咥えて歩いている姿などが、本当に格好よく見えたものだ。

 だからこそ、そんな光景に憧れて、中学生になると背伸びをしたいということから。タバコを吸い始めるのだ。

 ただ、

「喫煙の恐ろしさ」

 ということで、喫煙が続けば、将来、肺がどうなってしまうかというのは、図書館などに置いてある本に載っていたり、健康週間などのキャンペーンがあったりすれば、そんな肺が黄色くなった写真などが、ポスターとして、普通に街中に貼られていたりしたものだ。

 それでも、誰も意識することなく、格好良さだけを求めて、

「中学生からの喫煙」

 というのは、当たり前のようになっていた。

「20歳になったら、タバコを止める」

 という、トンチンカンなことを言っているやつもいたりして、実にちぐはぐな世の中であったが、次第に喫煙者が、迫害を受ける時代になってきた。

 それまでは、

「禁煙ルーム」

 というのが新設されたかと思うと、そのうちに、

「喫煙ルーム」

 に変わっている。

 つまりは、

「今までは喫煙が当たり前で、禁煙ルームという特別な部屋が用意されたが、今度は、禁煙が当たり前になってきて、喫煙が特別ということで、ガラス張りの部屋に閉じ込められるような形で、靄が掛かっているのを見ると、まるでガス室に放り込まれているかのように見える」

 のだった。

 そんな時代の流れが、30年というくらいに入れ替わってしまったのだ。戦後の混乱が終わった頃から、タバコの人口は増えていき、成人男性の8割以上が、タバコを吸っているということであった。

 今はそれが逆転し、さらに、禁煙者が増え続けている。

 それはそうだろう。

「受動喫煙防止法」

 というものができてから、

「基本的に室内では吸えなくなった」

 といってもいいだろう。

「個人の家でなら構わないが、公共の場では、タバコを吸ってはいけない」

 ということになったのだ。

 タバコを吸っている本人よりも、そのまわりにいる人の方が、タバコの煙の害を、余計に受ける。

 という研究結果が出て、それを

「副流煙」

 ということで言われるようになると、それまで、文句を言いたくても言えなかった禁煙者の立場が強くなる。

 禁煙が叫ばれるようになってから、別に法律で決まっていなくとも、飲食店や、カフェなどでは、

「禁煙にしないと、禁煙車から文句が出る」

 ということで、自主的に、

「ランチやディナータイムなどは、禁煙とします」

 という店が増えてきたが、そのうちに、

「終日禁煙」

 という店がさらに増えてきたのだった。

 そんな店が増えてきたことで、喫煙者は、まるでアリの大群のように、

「タバコが吸える場所」

 を求めて、

「ジプシー」

 のようなことをしているのを傍から見ていると、滑稽で仕方がなかった。

 穏当に普通に意識せずに、吸える場所というと、

「パチンコ屋」

 であったり、

「飲み屋」

 くらいしかないだろう。

 しかも、そこに来ている連中は、禁煙者に対しての態度がでかい。

「俺たちは、他で迫害されているんだから、堂々と吸えるところでは、俺たちの方が立場は強いんだ」

 と言わんばかりである。

 正直、

「何かが違う」

 そんなことを言っているから、喫煙者は嫌われるのであって、さらに、真面目にルールを守って喫煙している人からも、煙たい存在だと思われているだろう。

「あんな連中がいるから、俺たちまで煙たい目で見られてしまうんだ」

 ということになるのだろう。

 そんなタバコも、今の時代に合うように、禁煙にはなってきたが、それでも、

「電子タバコは、構いません」

 という表記の店もある。

 飲み屋だけかと思うと、普通の喫茶店でも、分煙質を作って、吸えるスペースを確保しているところもある。

「うちの常連は喫煙者ばかりだからな」

 ということなのだろうが、

「そんな店には、誰が行くか」

 と思う人も多いことだろう。

 特に今までタバコを吸っていて、時代に合わせてやめた人から見れば、

「これほど醜いものはない」

 と思っているようだ。

「俺はあんなに狭い喫煙室の中で、まるで貸す室に閉じ込められたように、タバコを吸っていたのか」

 と、ビックリしているくらいである。

「そうさ。お前はあのガス室にいたのさ」

 というと、本当にゾッとしているようで、きっとそれは、自分がタバコの臭いや、煙のきつさを分かっているからだろう。

 喫煙者に聞くと、たいていの人は、タバコが身体に悪いということは分かっているのだという。しかし、辞められない。

 つまり、麻薬と同じで、

「禁断症状を抑えることができないのだ」

 というのだ。

 禁断症状というのが、どのようなものなのかは分からない。そもそも、人によって、あるいは、タバコの種類、さらには、どれだけの量を普段から常用していたかによって変わってくるものだからである。

 だが、中には、

「うちの客は最初からタバコを常用しているような人はいなかったからね」

 と嘯いている喫茶店のマスターがいた。

 平蔵は、その店は、ずっと常連として使っていて、店構えは、

「今では珍しい、昭和の佇まいだ」

 というような店だった。

 いわゆる、

「純喫茶」

 であった。

 ただ、レトロ風に、木造なので、

「カウンターの奥にあるショーケースには、アルコールが並んでいるのではないか?」

 と感じる一見の客もいるだろうが、カウンターに座って奥を見ると、奥のショーケースに並んでいるのは、コーヒーカップばかりだった。

 平蔵は、高校時代まで嫌いだったコーヒーも、大学時代に先輩から、喫茶店で奢ってもらう時、さすがに、

「紅茶」

 とは言いにくく、

「僕もコーヒーを」

 と、先輩が頼んだものと同じものを頼むということをしていた。

 だが、そのうちに、いつの間にか、コーヒーが嫌ではなくなってきた。

 といっても、

「おいしい」

 と感じるわけではない。

 ただ、

「まずい」

 わけではなく、一口目で、どこか懐かしさのようなものを感じたかと思うと、ふっと落ち着いた気分になった。

 味からすると、

「まるで、コルクのような感じだ」

 と、不思議な味と香りなのだが、そこに懐かしさを感じる以上、

「この懐かしさは、どこから来るというのだろう?」

 と思う。

 そう思うと、懐かしさを思い出そうとするのは、理にかなった感情で、思い出せそうにもないのに、思い出そうとしていると、次第に、味の感覚がマヒしてくるのだった。

 そんな大学時代のような喫茶店が、次第に減ってきたのが、平成に入ってからだった。大学時代の頃まではあったはずの喫茶店が、次第に減ってきたのは、いろいろな理由があるだろう。

 一つの理由としては、

「郊外型の大型スーパーが増えてきた」

 というのが、大きな理由の一つだろう。

 昔のように、

「スーパーというと、商店街の中にあり、個人商店も、スーパーに来る客が、専門的な商品を求めて、自分たちのところにも来てくれるということで、スーパーとの共存ができていた」

 ということであった。

 しかし、それも、昭和の終わり頃からの、アメリカなどからの貿易摩擦への圧力から、日本は、それまでの規制を緩和し、大型商業施設の運営が、緩和された形になった。

 さらに、車社会や、郊外への住宅地が増えたこともあって、道路の整備も進んだことから、郊外に作っても、客が来るようになったというのも大きいだろう。

 そうなると、それまで主流だった、

「駅前の商店街を中心とした街」

 というのは、根本的に先ゆかなくなってくる。

 ただでさえ、駅前の土地から、郊外に移り住む人が増えて、

「ドーナツ化現象」

 などと呼ばれるようになると、商店街も徐々に集客が難しくなってくる。

 そうなると、喫茶店の客も減ってくる。

 いや、一時期は多かったかも知れない。商店街の近くにある喫茶店というと、商店街に店舗を持つオーナーたちが、常連となっていることが多い。普段であれば、開店準備が終わり、開店までに、朝食を食べようとやってくる人も多かった。商店街の店主同士で話をすることも多かっただろう。それが、

「喫茶店の朝の風景だった」

 と言えるだろう。

 それが、徐々に変わってくる。

 朝の風景は、のんびりとしたものではなくなり、朝食を食べながらの、

「ブレックファストミーティング」

 と変わってしまった。

 もちろん、議題は、

「商店街をいかに盛り上げていけばいいか?」

 ということであったが、そんなに簡単に答えが出るわけもなく、

「ムダとも思えるような時間だけが過ぎていく」

 という、無益に見える、そう、

「小田原評定」

 が行われていたといってもいいだろう。

 かつて、後北条氏が、羽柴秀吉に従わない大名として、最後に残った時、圧倒的な兵力で、小田原城を囲んだ時、

「小田原城は難攻不落」

 ということで、籠城したはいいが、結果、膠着状態になり、城内では、この状態をいかに解決するかということで会議が連日行われたが、時間だけがすぎていき、答えが出なかったのだ。

 最終的には、秀吉が、得意戦法の一つとして、

「一夜城」

 を気づいたことから、小田原方は、

「これは秀吉は、腰を据えて、小田原城を攻め落とすという本気を出してきた」

 ということで、さすがの北条氏政も、城を解放するしかなかったのだ。

 これが、秀吉の関東仕置きと言われるもので、この時を機に、

「東北の大名も次々、秀吉の軍門に下ることで、最終的に全国を統一する」

 ということになったのだ。

 商店街も、結局、郊外型のショッピングセンターに勝てるわけもなく、どんどん、店じまいのところが増えてきた。

 こちらも、商店街ならではの、

「事情」

 というものがあった。

 この事情は、商店街の各店舗だけではなく、喫茶店にも言えることだった。

 それが、

「跡取り問題」

 というものだったのだ。

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