第12話 【ウチの娘が聖女より聖女】

 

「それで?」


 気は進まなかったが、俺は訪ねて来た少年と少女を診療所に入れて話を聞くことになってしまった。


 幸い、カツキは十分に俺と遊んで満足してくれたのか大人しくユツキに連れられて住居の方へと向かってくれた。


 俺としてはまだまだ愛娘と遊び足りないのでいい迷惑だったが。


 名前も知らない少年は椅子に座らせて、ティアと呼ばれていた少女は診察台に寝かしつけた。


「あの後、あんたに言われた通りティアは翌朝には目を覚ましたんだ」


「だろうな」


「でも、身体は治ったのに急に暴れ出して……」


「そらそうだろ」


 以前に診察した時、少女の身体は色々な拷問を受けた痕があったが、その中には性的な暴行をされた痕跡もあった。


 それも1度や2度というレベルではなく繰り返された痕跡が。


 少女が真面な精神をしていたのなら正気を失うレベルの蛮行だ。


 身体が治ったとしても、その記憶が消えるわけではないし、自由になった今なら汚れた自分に耐え切れずに自傷行為に走るのも当然と言えた。


 実際、少女の身体には自分で自分の顔を爪でひっかいた後が複数残されていた。


「身体は治せても心まではそうはいかないと最初から言っておいただろう。心を癒すには時間と根気が必要だ。その覚悟もなしに幸せにするとかほざいていたのか?」


「…………」


 きっと少年の覚悟は本物だったのかもしれないが、想定が甘かったというのが現実だったのだ。


 目を覚ました途端に暴れ出して自傷行為に走る少女に、医療の経験もない少年が出来ることなど身体を押さえつけて大人しくなるのを待つことくらいだ。


「今は大人しく寝ているみたいだが……」


「暴れて手が付けられないから薬を貰って来て飲ませたんだ」


「薬ねぇ」


 試しに少女を診察してみるが、それは想定よりずっと強い薬だった。


「こんなの飲ませ続けたらいずれ廃人になるぞ」


「そ、そんなっ!」


 少年は驚いているが、その驚きには何処かわざとらしさを感じた。


 きっと心の何処かで少女の世話に疲れ果てて、もういっそ薬で廃人になってくれれば楽になるとでも思っているのだろう。


 無論、そんなことになれば時間が経って少年の疲労が回復した後は絶望的に後悔することになるのだが。


「それで、俺にどうしろって?」


「……ティアを治して欲しい」


「あのな。前にも言ったが身体は治せるが心は時間を掛けて癒していくしかないと言っただろうが。根気強く向き合えないのなら、さっさと見捨てて楽にしてやれ」


「…………」


 まぁ、少年にその決断が出来るなら、あの日に俺の診療所に飛び込んで来たりしなかっただろうけど。


「俺に出来ることは鎮静剤を出してやることくらいだ。薬が効いている間は心の動きが鈍くなるから暴れ出すことはなくなるだろう。少なくとも、この薬よりは効果があって副作用も少ないという保証はしてやる」


 この鎮静剤は俺が傭兵時代に盗賊狩りをする際に団員達に持たせたものと同様のものだ。


 盗賊のアジトに囚われていた、攫われて強姦されて狂った女への対処として持たせていた。


「……ありがとう。助かる」


 根本的な解決にはならないが、俺は少女の身体に合わせた鎮静剤を調薬して渡してやることにした。


 これも決して安いものではないのだが……。


「金は……その内なんとかする」


「へいへい。期待しないで待っているよ」


 そもそも、少年がどうやって生活しているのか知らないが、決して楽な生活をしているわけではないだろう。


 それに少女を拷問した奴らがどんな奴らなのか知らないが、そいつらに見つかれば唯では済まないだろうし。






「なんか思ったより厄介な話みたいだね」


 少年が再び少女を背負って帰った後、ユツキが診療所に顔を出して来た。


「カツキは?」


「疲れて寝ちゃった。楽しくてはしゃぎ過ぎたみたい」


「子供は元気だねぇ」


 俺は少々物足りなかったが、カツキには十分に満足出来る時間だったらしい。


「それより、あの子達って大丈夫なの?」


「分からん。だが、ここから再起出来るかはあいつら次第だろう。地球でだって介護をするには根気と時間が必要だ」


「でも、この世界にはそういう施設はないからね」


「だな。金があれば、そういう人材を雇うことも出来るかもしれないが……」


「お金があるようには見えないね」


「それが問題だ」


 結局のところ、あいつらに生活の余裕がないからという点が問題になるのだ。


 少しでも蓄えがあれば違うのだろうし、頼れる身内がいれば助けになるだろうが、あの2人にはどちらもなさそうだ。


 このまま野垂れ死ぬか、それとも踏ん張って持ちこたえるかは本当に2人次第だ。


 そして俺には2人を助ける義理もなければ余裕もない。


「私達にはカツキがいるからね」


「まったくだな」


 俺とユツキが今最優先で考えるべきはカツキのことであって、あいつらではないのだ。


 そしてカツキを優先するということは厄介ごとに巻き込まれないようにするということであり、あいつらに構って厄介ごとに首を突っ込むような余裕なないということ。


 ここで優先順位を間違えるほど、俺とユツキは平和ボケしていなかった。




 ◇◆◇




 一方その頃、クルシェ=イェーガーと別れて帝國へと渡ったキリエ=エンブルグは単身で戦場にいた。


(やっと1人で戦場に立つことにも慣れて来たな)


 帝國に来た当初、キリエは背中への警戒が薄く、何度も敵に回り込まれては負傷することがあった。


 それは常に自分の背後を守ってくれていた相棒がいたからであり、それ故にキリエは背後への警戒が疎かになっていたのだ。


(結局のところ、私はあいつに甘え過ぎ、頼り過ぎていたということか)


 それは実に的を射た表現だった。


 戦場での振る舞いに関してだけではなく、傭兵団の運営に関してもだ。


 キリエは帝國に渡ってから帝国軍に入っていたが、そこで知ったのは自分が戦うこと以外に何も出来ないという現実だった。


 傭兵だった頃は専門の管理職に任せてしまえることだったが、軍に入った以上は自分のことは自分でやらなくてはならず、この5年は苦労の連続だった。


 そうして、やっと自分のことは自分で出来るようになり、戦場でも1人で立つことが出来るようになって来たのだが……。


(身体が重い。本調子には程遠いな)


 自分のコンディションを管理するということに関しては、まだまだだった。


 実際には何度も身体を負傷した為、以前のようには動けなくなっている箇所が増えて、それをカバーする動きを強制されて不調になっているのだ。


 傭兵時代なら、どんな負傷をしても完璧に治してくれる治療師がいたのだが、それも今は望むべくもなく腕の悪い治療師に頼むしか出来ない。


(私が満足に動ける時間も長くなさそうだな)


 憂鬱な気分になりながらもキリエは戦場を駆けまわって敵を斬り捨てていく。


「貰ったぞ、斬り姫!」


「っ!」


 その時、キリエに襲い掛かって来る人影があった。


(上っ!?)


 それは風魔術を利用したスワロゥと同様の空中殺法を使う敵であり、キリエにとっては完全な奇襲攻撃だった。


 だが、だからこそキリエの身体は反射的に動いた。




 秘剣、燕返し!




「ぐはぁっ!」


 何の問題もなく空中から襲い掛かって来て敵を斬り捨てるキリエ。


 寧ろ、斬り捨てたキリエ自身が驚いていた。


(この技、最近は練習もしていなかったのに……当然のように出来てしまうのだな)


 体に染みついた動きは頭で考えるより前に動ける。


 それを実践したかのように、相棒と共に完成させた秘剣はキリエの身体を最適に動かした。


(困ったな。折角、忘れかけていたというのに……会いたいと思ってしまうではないか)


 キリエは胸に湧き上がる哀愁に深く嘆息しながら――再び戦場を駆けるのだった。




 ◇◇◇




 例の少年は週に1度は俺の診療所を訪れて鎮静剤を受け取りに来るようになった。


「これも安くはないと言った筈だが?」


「……分かってるよ」


 実際には薬の材料となるものはユツキが植物魔術で育ててくれているので原価はほぼゼロなのだが、それを馬鹿正直に言ったりはしない。


 そもそも愛するユツキが育ててくれた植物がタダだなんて思われては堪らない。


「でも、これがないとティアが安静に過ごしてくれないんだ」


「言っておくが、前の薬と比較して副作用が少ないというだけで、過剰摂取は毒にしかならないからな」


「……分かってる」


 本当に分かっているのかね。


 怖いのは薬に依存してしまうことで、薬なしでは生きていけなくなってしまうことだ。


 特にあの少女の場合は薬なしでは平静を保てない状態ということだから依存症になりやすい。


 そうならない為には本人が強い意思を持って前を向く必要があるのだが……。


「でも今は……今はまだ薬が必要なんだ」


「……そうかい」


 この少年に弱っている少女を突き放すことは出来そうにないし、そもそも何かきっかけがないと人間が自分と向き合って前を向くのは難しい。






「ふぅ。やれやれ」


 診療所から少年が帰った後、俺は住居の方へ向かって冷蔵庫から冷たいお茶を取り出して喉を潤す。


「お疲れ様~。もうすっかり冷蔵庫があるのが当たり前の生活になっちゃったね」


「それな」


 ユツキに指摘されるが、もう冷蔵庫がない生活には戻れそうもない。


「電力を蓄える為にも、もっと天気の良い日が続いて欲しいものだ」


「夜になると電力消費が大きいから、ちっとも溜まらないよね」


 現在の太陽光パネルだけでは現状維持がやっとで、追加の電力を蓄える余裕がない。


 出来れば広い土地を買って、そこに太陽光パネルを敷き詰めて予備の蓄電器に電力を貯めておきたいところだが、流石に怪しすぎるので実行出来そうもない。


 診療所の屋根に太陽光パネルを敷き詰めたのも相当怪しかったのに、今以上の怪しい行動をするとご近所さんとの軋轢が発生してしまう。


 俺はユツキとカツキ以外の人間なんて、どうでもいいと思っている派だが、それでもカツキに友達が出来ないなんて事態は許容していない。


 その為には極力穏便にご近所付きあいはしていきたいと思っている。


 間違ってもカツキをボッチなんかにしない為に。


 だから電力の確保は太陽光パネル以外の方法が望ましいのだが……。


「自転車型の発電機とかはどうかな?」


「……それって俺が漕ぐ流れだよね?」


 ユツキが言っているのは自転車型のペダルを漕ぐと発電されて蓄電器に電力が充電される器具のことだが、電力を貯める為には必死に漕ぐ必要がある。


 確かに室内でも使えるのでご近所さんには目立たないかもしれないが……。


「頑張れ、パパ~」


「他人ごとだと思ってぇ~」


 家族の為に何時間もペダルを漕ぎ続ける姿を想像すると泣きたくなる。


 こうしてユツキの要望によって自転車型の発電機の絵を描かされ、それを丁寧に説明したことによってカツキの創造魔術で我が家には新しい設備が追加されることになったのだった。


「ぬぉぉぉぉぉ~~~っ!」


 ちなみに身体強化魔術を使っても非常に疲れる時間だったと追記しておく。




 ◇◇◇




 連日ペダルを漕ぎ続けてゲンナリしていた俺の元へ少女を背負って少年がやって来た。


 要件はまた鎮静剤の補充だったのだが――ハタと思い当たる。


「お前、ちょっとバイトをする気はないか?」


「ばいと?」


「肉体労働系の仕事をしないかってことだ。本来ならお前は俺に借金があることになっているが、やってくれるなら現金で支払うぞ」


「……やる」


 少年はやはり金がなかったのか2つ返事で引き受けてくれた。






「ぬぉぉぉぉぉ~~~っ!」


 そうして今、少年は必死にペダルを漕いでいるわけだ。


 いい労働力がGET出来た♪


「良いのかなぁ~?」


「奴らは金が手に入る、こっちは労働力を確保出来る。まさにwinwinじゃないか」


「そうかな?」


 ユツキが不安そうにしていたのはカツキが創造した自転車型の発電機をこいつらに公開してしまう事実についてだ。


 それは確かに心配かもしれないが、少年を雇う際に契約書を書かせて他言すれば莫大な違約金を支払うことになると言い聞かせてある。


 うん。一生掛かっても支払えないというレベルの違約金にしたので少年は真っ青な顔でコクコクと頷いていた。


 少女の世話だけでも大変なのに、そんな違約金を背負わされたら一巻の終わりである。


「ぐぬぅぅぅぅ~~~っ!」


「…………」


 そうして必死にペダルを漕ぐ少年を少女はボンヤリと眺めていた。


 鎮静剤のお陰で落ち着いているようだが、逆に言えば鎮静剤なしでは日常生活も送れない精神状態ということだ。


「だう。だう」


 そんな少女にカツキが近付いて行き、少女の座っていた横長のソファに登って少女の隣に立ち……。


「いい子いい子~」


「あ」


 背伸びをして少女の頭を撫で始めた。


「…………」


 少女はカツキの行動に目を丸くして驚いていたが、やがて、その目からポロリと涙が零れ落ちる。


「あ……うあ。あぁ……」


 そして少女の身体がわなわなと震え出し……。


「あう?」


 カツキをギュッと抱きしめたと思ったら……。




「うわぁ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ん!」




 大声で泣き始めた。


 一瞬、俺もユツキも少女をカツキから引き剥がそうかと腰を上げ掛けたが……。


「だいろぶ、だいろぶ~」


 カツキが泣き続ける少女の頭を撫で続けているのを見て静観することに決めた。


 勿論、カツキに危害が加えられそうになったら止める準備はしておくが、この様子なら大丈夫そうだ。


「…………」


 ちなみに少年はサドルに座ったままペダルを漕ぐのを止めて呆気に取られた状態で泣き続ける少女を見ていただけだった。






 かなりの時間、泣き続けていた少女だったが、やがて落ち着いたのかカツキを解放して真っ赤に腫れた目で俺達に向かって頭を下げて来た。


「ぐすっ。お騒がせしてしまい……申し訳ありませんでした」


 まだしゃっくり上げている状態だが、少女の目には先程までにはなかった理性の光が宿っていた。


 どうやら少女を正気に戻す為のきっかけを与えたのは少年ではなくカツキだったようだ。


「ウチの娘、聖女より聖女ではなかろうか?」


「だよね。もうカツキちゃんが聖女で良いと思う」


「「…………」」


 俺とユツキは娘をべた褒めしたが、少年と少女は沈黙しか返してこなかった。


「改めて自己紹介をさせていただきます。わたくしはアルカティア=ケルス=アルカクラナ。アルカクラナ王国の第7王女……だった者です」


「「…………」」


 少女の自己紹介に今度は俺とユツキが沈黙した。


 だってアルカクラナ王国と言えば、5年前に俺の所属していた傭兵団《影狼》によって秩序を崩壊させられた国の名前だ。


 あの国があった土地は未だに無法地帯となっており、クーデターやら何やらが起こって色々と酷い有様と聞くが――そこの第7王女とは流石に予想外だった。


「そして彼はアルカクラナ王国の騎士団長……だった方の御子息でベルガ=テラ=カリスラムです」


「え? お前って貴族だったの?」


「……元だ」


 おまけに少年の方も結構な高位貴族の出身だったみたいで、この2人は幼馴染と言ってもいい関係だったそうだ。


「国が崩壊した後、わたくしはベルガに連れられて逃げたのですが、自分がいかに世間知らずだったのかを思い知らされる毎日でした」


「だろうな」


 王族と貴族の2人組では、持ち出した財宝があったとしてもカモとして搾り取られたことだろう。


 そんな生活が何年も続くわけもなく……。


「これが残りの1つって訳か」


 俺が取り出したのは少年から預かっていたミスリル製の腕輪だ。


「はい。今となっては意味はありませんが、それは王家の秘宝として存在していた物を持ち出しました」


「よく奪われなかったな」


「ベルガに……預けていましたから」


「…………」


 その少年――ベルガは悔しそうに歯を噛みしめている。


 恐らく、この腕輪が原因で少女――アルカティアは攫われて拷問を受ける羽目になったのだろう。


 推測だが盗賊団か何かに目を付けられ、腕輪を奪う為に少女を誘拐し、持っていないことが判明して拷問を受けた。


 それをなんとかベルガが助け出したが、アルカティアは重傷で困っていたところを俺の診療所にやって来たというところだろう。


 まぁ、ベルガとしては腕輪のせいでアルカティアが攫われて酷い目に遭ったように見える訳で、王家の秘宝だろうと、こんな腕輪など見たくもないのだろう。


(こりゃ益々換金が面倒そうだな)


 単なるミスリルの腕輪というだけじゃなく、王家の秘宝なんて付加価値まで付いているのだから。


「それで、もう大丈夫そうなのか?」


 それから一応医者としてアルカティアの経過を尋ねる。


「色々と酷い目に遭いましたし、生きることに絶望していたことも事実ですが……彼女のお陰で少しだけですが前を向けた気がします」


「……そうか」


 カツキのお陰で僅かでも生きる希望が湧いて来たというのなら俺から言うことはない。


 辛い目に遭った記憶が消える訳でもないし、これからもトラウマとして悪夢を見続けることになるだろうが、それは2人の問題であって俺が介入することではない。


 ただ、カツキが救った命なのだから大事にして欲しいとは思うが。



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