第6話

 米と水の入った土鍋に火をかけ、沸騰したら弱火で十五分。

 同時進行でもう一つのカセットコンロの水も沸騰させておく。

 こっちはレトルトのカレーを温める用だ。

 贅沢な水の使い方だが、今日くらいはいいだろう。


 十五分経過し、蓋をずらしてみると、土鍋の中の水分は綺麗に蒸発していた。

 あとは火を止めて十分ほど蒸らせば完成だ。

 底に差し込んだしゃもじでかき混ぜると、山形県産つぶ姫の芳醇な香りが漂ってくる。


「うわ、たまんねえ……」


 それを二人分の紙皿に盛り、十分に温まったレトルトカレーをかける。

 使い捨ての紙皿なのは、洗い物に水を使うのがもったいないからだ。


 備蓄してあるレトルトカレーは三種類ほどあったが、そのうちの一番好きな具のゴロゴロしている家庭的な中辛カレーを選んだ。

 店で食べるなら具が溶け込んだ本格的なカレーもいいが、家で食べるならこういうのがいい。


 ちなみに、パウチを開封する前に家の窓は全て閉じ切っている。

 カレーの匂いがグールが引き寄せる可能性もゼロじゃないからな。


「お待たせ」


 行儀良く座るユズと自分の前に、カレーを盛り付けた紙皿とプラスチックスプーンを置く。

 手を合わせて「いただきます」と言えば、それに倣うようにユズも手を合わせてぺこりと頭を下げた。


 まずは米だけをひと掬いして口に運ぶ。


「お〜、これこれ」


 噛み締めるほどに、米の自然な甘みが口いっぱいに広がる。

 温かいメシを食うこと自体が久しぶりなので、これだけでもやたらと美味く感じてしまった。


 カレーと合わせて食ってしまえば、それはもう三ツ星レストラン(行ったことはない)にも劣らぬ味わいだった。

 飢えた犬のように一心不乱にカレーライスをかきこみ、米一粒も残さずに完食して、ふぅとひと息ついた。


「あ」


 みっともない姿を見せたな……と思ってユズの方を見ると、彼女は一口だけ口に入れた状態で固まっていた。


「……ん、どうしたんだ?」


 尋ねてみても、彼女は首を横に振るばかり。


「飲み込めないのか?」


 首の怪我のせいかと思ったが、そういうわけでもないらしい。

 まあ、食道は声帯の裏側にあるし、傷も深いは深いがそこまでじゃなかったしな。


「……もしかして、味が分からないのか?」


 ややあって、彼女はコクリと小さく頷いた。


「あ~……」


 なるほどな。

 他のグールにも視覚や嗅覚は残っているので、味覚も問題ないかと思ったが、そういうわけではなかったようだ。


 ……そういえば、辛みというのは味覚ではなく痛覚で感じるものだと聞いたことがある。

 グールには痛覚が存在せず、腕がもげようと足が折れようと全く構わず向かってくる。

 もしかしたら、カレーの辛さのせいで味覚そのものがシャットアウトされているのかもしれない。


「これだったらどうだ?」


 引き出しから桃の缶詰を一つ出して渡す。

 プルタブを開けて中の液体をひと舐めすると、ユズは分かりやすく顔を上げて背筋をピンと伸ばした。


 どうやら、ちゃんと味はしたようだ。


「……それ、全部食っていいぞ」


 彼女はコクコクと頷き、俺からフォークを受け取ると美味そうに缶詰の桃を食べた。


 ユズに辛いものはダメ、と。

 辛みというのがどの程度を指すのかは不明だが、グール自体がファンタジーな存在なので考えるだけ無駄な気がする。


 残ったカレーはどうしようかと思ったが、桃を食べ終えたユズがカレーも残さず完食した。

 食べるというより飲み干すみたいな感じだったが、皿を空にすると両手を合わせ、再びぺこりと俺にお辞儀してくる。

 ごちそうさまでした、と。


 ……グールが関わらなければ、めちゃくちゃ理性的で良い子なんだよな。

 昼間、グールをタコ殴りにしていた時はかなり恐怖を感じたが、今のところ俺を襲ってくるような素振りは全くない。

 未だ生存者は一人も見つけていないが、ぶっちゃけ人間よりもよほど信頼できる存在なのかもしれなかった。


「……ユズ」


 だから、こう切り出すことにした。


「俺と手を組まないか?」


「…………?」


 言っている意味がいまいち理解できないのか、ユズは小首を傾げた。


 可愛い……じゃなくて。


「……ユズはあいつら――グールの気配を感じることができるんだろ? お前も知っての通り、俺はグールを浄化することができる」


 正確には、俺自身ではなく浄化のアミュレットの効果だが、今のところ俺しか使えないので同じようなものだ。


「お前の目的がグールを殲滅することなら、俺はそれに協力する」


 彼女が自らの手でグールを撲殺したいのなら別だが、そういうわけではないはずだ。

 それならわざわざ俺に近づいてきた意味がないからな。

 

 グールを倒したいなら俺といた方が効率的だし、そして……それは俺にとっても同じことだ。

 彼女がグールを見つけ出してくれるなら、俺は浄化することだけに専念できる。

 今までのように、グールが陰に隠れ潜んでいないかビクビクしながら探索する必要もない。


「正義感や私怨ってわけじゃないが、俺もこの国のグールをできるだけ多く浄化したいと思ってる。…………どうだ?」


 ユズは深く考え込むように目を瞑る。

 それからしばらく、嫌な沈黙が続いた。


 …………あれ、もしかして断られそうな流れか?

 わざわざ家までついてきたから、彼女も十中八九同じようなことを考えてると思ったんだが……。


 相変わらずの無表情なのに、目まで閉じられてしまうと本格的に何を考えているか分からない。

 もしかしたら、家までついてきたのは単なる気まぐれで、本当はソロでのグール撲殺ライフを楽しみたいのかもしれない。


 これはまずい……。

 今のままではいつ魔術が使えるようになるか見当もつかないが、彼女の協力を得てグールをもっと浄化できれば、すぐにでもその夢が叶うかもしれない。

 ここいらで得られる物資――特に水はほとんど残っていないし、探索範囲を広げるには危険が大きすぎる。

 生活用水を自力で賄えるウォーターボールは一刻も早く使えるようになりたい。


 …………よし。


 営業職じゃないので交渉事なんてまるで素人な俺だが、訪問販売のセールスマンにでもなったつもりで言った。


「……俺と手を組んでくれるなら、缶詰を一日一個やる」


 そう告げた瞬間、ユズは目を見開き、右手をシュバッと前に突き出してきた。

 一瞬、殴られる! と思って大きく仰け反ってしまったが……彼女の白くて細い指はきっちりと揃えられている。


 ……ああ、握手か。


「……交渉成立だな」


 こうして、俺に初めて仲間ができた。

 握った手のひらは人間とは思えないほど冷たく、彼女がグールであることを否応なく感じさせるのだった。

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