第2話

 敗因、メンタルの弱さ。

 そしてギリギリを狙い過ぎた。


 練習で失敗することがなくなったとはいえ、最小魔力でのアミュレットの起動は少し制御が乱れただけでも解除されてしまうのに、ぶっつけ本番で試みるなんて無謀もいいところ。

 初めは半分や四分の一どころか、最大量の魔力で結界を展開するぐらいでちょうどよかったと、今さらながら思った。


 俺は凡人で、ここは現実だ。

 昨今のファンタジー小説の主人公のように、顔色一つ変えずに魔物――もしくは人――を殺めるなんて簡単にできることじゃない。


「今日は……もうしんどいからいいや。明日の準備を整えよう」


 涙目で敗走しながら帰ってきた自室で、言い訳のように独り言ちる。

 時間と魔力はまだまだあるが、グール退治のために外出する気にはなれなかった。

 幸い、老人グールに握られた足は捻挫にもなっていないが、若干痛みがあるのは事実……と、これも言い訳だな。


「……とりあえず、腕に雑誌でも巻くか」


 前に見たゾンビ映画で主人公がやっていた簡易的な噛みつき対策だ。

 グールは超人な力を持っているが、噛む力はそこまで強くない場合が多いらしい。

「場合が多い」という曖昧な言い方なのは、空腹や飢餓感といった本能と、呪いカースによって同胞を増やそうとする本能がせめぎ合っているからだ。

 アルさん曰く、あまり飢えていないグールは強く噛んでこないし、飢えているグールは容赦なく肉を食い千切ってくる、とのこと。


 まあぶっちゃけ浄化してしまえば関係ないのだが、俺自身の精神の安定が結界の安定にも繋がるとわかったので、これは必要な対策だった。


「雑誌雑誌…………って、ないよな」


 周りを見渡してみるが、俺の部屋には日本一有名な某少年漫画雑誌くらいしかなく、これは厚すぎて腕に巻けない。

 あの漫画の続きはもう読めないんだよなー……とふと思ったが、そういうのは数ヶ月前に通り過ぎた感傷だ。

 なんせパンデミックが始まってからもう半年以上経ってるわけだし。


 ともあれ、今欲しいのはファッション誌や生活情報誌などの薄くて柔軟性のある雑誌だ。

 前に家中の押入れをひっくり返した時も雑誌の類はなかったはずなので、外に探索に出て探す必要があるが、ぶっちゃけ今は絶対遠出なんかしたくない。

 だから……。


「……佐伯さんだな」



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 お隣の三人家族、佐伯さん一家は唯一交流のあるご近所さんでもあったので、家の中を物色するのは流石に遠慮していた。

 しかし、もう四の五の言っていられない。

 彼らがここに戻ってくる可能性はゼロに等しいだろうし、残った物資は有効活用させてもらおう。


 周囲にグールがいないか、しつこいほど左右を確認し、佐伯さん宅に侵入する。

 意外なことに、玄関のカギはかかっていなかった。

 よほど焦っていたのか、もう戻らないであろうと察していたのか、実際のところは不明だが、俺にとっては都合が良かった。


「……お邪魔します」


 誰に見られているわけでもないが、一応小声で断っておく。

 家の中は特に荒れておらず、本当に七ヶ月前そのままといった風情だった。


「……うわ」


 前言撤回。

 普通にGが湧いていた。

 まあ管理する人間がいないんだし、当たり前か。


 土足のまま家にあがり、廊下を抜けて台所へ。

 半年以上放置された冷蔵庫は怖いので無視して、シンク下の収納から見てみることにした。


「お、ビンゴ」


 そこには、缶詰や保存食が結構な量置いてあった。

 こんな時のために買い貯めておいたのかもしれないが、急なことで失念していたのかもしれない。

 申し訳ないが、ありがたく頂くことにする。


 来てよかった――っと、違う違う。

 ここに来た目的は雑誌だった。


 一階は一通り見てみたが、見つけたのは台所にあった数冊の料理本くらいだった。

 厚さはちょうどいいが、サイズが小さいのでグールの噛みつきを防げるかと言われれば微妙。


 といわけで、次は二階を探索する。

 階段に一番近い部屋は――扉に『Chiya』というプレートがかけられた、一人娘の千夜ちゃんの部屋だった。

 小学生の女の子の部屋に無断侵入とは、世が世でなければ相当に終わっている。


 ごめんなさい、と心の中で千夜ちゃんとご両親に謝りながら部屋に入る。

 中は、勉強机とベッド、ぬいぐるみや可愛らしい小物などが置いてあるごく普通の子供部屋だった。

 勉強机の棚には少女漫画雑誌と学習ノートがあったが……漫画雑誌はやはり厚く、学習ノートは薄すぎるので却下。


 変に緊張感のある一時を終え、次は隣の部屋――おそらく佐伯さん夫婦の寝室を見てみたが、目ぼしいものは何もなかった。


 次に入った部屋は、なんと書斎だったが、文庫本ばかりで目当ての雑誌は一冊もない。

 こんなにも見つからないものか……と落胆しながら本を手に取ると――


「……ん?」


 その裏に謎の収納スペースを見つけた。

 これは、まさか……。


「わお」


 スライド式の棚を開くと、三十センチ四方ほどの空間に俺の欲しかった雑誌がぎっしりと詰まれていた。

 表紙には水着姿の女性ばかりで、開いてみると一糸纏わぬ姿の男女が組んず解れつしている写真が続いている。


 佐伯さんパパ、男の子でした。

 いや、今時エロ本て……と思わなくもないが、佐伯さんパパくらい――俺より十数個上の年代では本媒体が一般的だったんだろう。


 両腕用として、その秘蔵コレクションから二冊を拝借し……なんとなく、ついでにもう二、三冊ほどいただいておく。


 いや、深い意味はないけど、念のためというやつだ。

 うん、念のため。



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 何がとは言わないが、リフレッシュして迎えた翌日の早朝。

 俺は町内のグール一掃を目標に掲げ、再び外へと出向いていた。

 佐伯さんパパから受け継いだ成人雑誌は、ガムテープでぐるぐる巻きにして両腕に装備されている。

 表紙が透けて見えているが、誰に見られるわけでもないし別にいいだろう。


 右手に持っているのは浄化のアミュレット。

 そして、左手にはストップウォッチを握っている。


 今回は魔力量をコントロールしたりせず、安全策を取って最大魔力で起動させるつもりだ。

 ただそうなってくると、持続時間の問題が出てくる。

 そのため、ストップウォッチでアミュレットを起動した時間を計っておき、俺の魔力量の限界――三分が近づいたらすぐに帰還するつもりでいる。


「……いない、か」


 昨日、老人グールを浄化したあたりまでやってきた。

 老人グールの着ていた服は抜け殻のように落ちたままで、周囲に他のグールもいないようだった。


 その後、二つほど角を曲がったところで、ようやくグールを発見した。

 昨日と違って背を向けているわけではなく、正面から歩いてきているグールだった。

 地味な私服の中年女性っぽいグールは、生気のない土気色の肌をしており、首は九十度に折れ曲がっている。


 俺の姿を認識したグールは、少し足を速めてこちらに向かってくる。


「……すぅ……はぁ~」


 グールは足が遅い。こちらに到達するまではまだ猶予がある。

 ゆっくりと深呼吸をし、心を落ち着かせる。

 グールとの距離が十メートルを切ったあたりで、アミュレットを起動する。


 ……一度目の起動は、失敗。

 昨日の件がトラウマになっているのか、より不安定になっていることを自覚する。


 焦るな。

 落ち着け、落ち着け。


 彼我の距離が五メートルほどになり、二度目の起動は……失敗。


 問題ない。

 噛みつかれても腕で防げるし、走って逃げれば追いつかれることはない。

 俺ならできる……できる。


 三度目の正直。

 アミュレットは無事に起動し、俺の周囲に結界が展開され……同時にストップウォッチの計測を開始する。

 グールは全く気付いた様子もなく前進を続け、何のためらいもなく結界に突っ込んできた。


「アアアァ……!」


 中年女性っぽいグールは浄化され、老人の時と同じように衣服を残して灰になる。


「…………ふぅ」


 結界を解除し、大きな溜め息を吐く。

 ストップウォッチを止めると、経過した時間はちょうど五秒だった。


 ……よし、なんとかなったな。


 慣れて緊張がなくなれば、起動を失敗することもなくなるだろう。

 少しだけ自信を取り戻した俺は、次のグールを見つけるべく、町内の探索を再開した。



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 慎重に、慎重に探索を続けた結果、二時間ほどかけてついに隣町の近くまでやってきた。

 探索範囲としては半径五百メートルにも満たないだろうが、少なくとも家の周辺が安全になったというのは大きい。


 途中で出くわしたグールは七体ほど。

 何度か起動を失敗したりもしたが、問題なく全て浄化することができた。

 とはいえ、予想通り数は少なく、野良猫を見かけた回数の方が多いくらいだった。


 そうそう。今この町には結構な数の野良猫や野良犬がいるらしい。

 ポストアポカリプス系のゾンビ映画だけではなく、実際の被災地でも、ペットなどの動物が野生化して町を闊歩するのはよくある事例だ。


 ゾンビ映画では、作品によって動物もゾンビ化したりするが、グールの呪いカースは人間にしか適用されないので、グールになるのはあくまで人間オンリー。

 しかし、ゾンビ映画のゾンビと同じく、グールは血肉を求めて行動する。

 そのため、野生動物もやつらのターゲットなのだが、愚鈍なグールに捕まる野生動物というのも中々いない。

 動物たちもグール――というか人型の生物が危険なのは分かっているのか、野良猫も野良犬も俺を見て一目散に去っていった。


 まあ今はそれよりも、


「……これ、錯覚じゃないよな」


 一つ気付いたことがある。

 俺の魔力量が若干増えている。


 全身を流れる魔力というのは未だに認識できていないが、魔力量と比例している魔力出力の栓――小指の爪くらいの大きさだったそれは、今では親指の爪くらいにはなっている。

 最大魔力で展開する結界も、気持ち大きくなっているような気がした。

 アルさんはグール程度では分からないと言っていたが、それは膨大な魔力を持つ彼基準の話だったのかもしれない。


 俄然やる気は出てきたものの……魔力が増えたということは消費魔力も増えているはずで、それが残り時間とどう関係してくるかまだ読めない。

 ストップウォッチ上ではまだ二分ほど残っているが、余裕をもって残り一分になった時点で帰宅することにしよう。


「最後にここを見てくか」


 と、見上げたのは、五階建ての集合住宅だった。

 当然、今まで探索したことのないマンションだ。

 グールはいないかもしれないが、戸数が多いので大量の物資を確保できるかもしれない。


 本来ならば、逃げ道が少なく、かつ人間の居住空間だった場所など危険極まりない。

 しかし、浄化のアミュレットを持っている俺にとっては、相手の動きが予測しやすい細道の方が都合がいいのだ。


「……よし」


 入り口のオートロックは開いていた。

 おそらく、避難が始まった時からこうなっているのだろう。

 グールの対処に少し慣れてきていたこともあり、さして躊躇いもなく俺はマンションの中へと入っていった。


 しかし……。


「全然開いてねぇ……」


 そもそも鍵が閉まっている部屋ばかりだった。


 ……それもそうだ。

 近所の家を回って物資を回収していた時も、ほとんどの家は鍵が閉まっており、窓を割るなりして侵入していたのだ。

 戸建てなら問題なくそれができたが、集合住宅のベランダから侵入するのは中々に骨が折れる。


 あまり期待はせずに、各部屋の戸締りを確認していく。

 一階、二階と進んで行き、こりゃ全滅かと思った矢先、最上階の501号室には鍵がかかっていなかった。


 喜んで扉を開いた俺が最初に認識したのは……室内から漂う異臭だった。

 生ごみが腐ったような、微妙に甘さを含んでいるような、極めて不快な腐敗臭。


 一瞬、グールが潜んでいるのかと考えたが、おそらく違う。

 グールへの変異というのは超常的な力が働いているためか、明らかに腐っていそうな見た目に反して思いの外臭くないのだ。

 だから、この臭いは、きっと……。


「……うっ」


 恐る恐る入ると、腐敗臭はより強くなった。

 しかし、リビングには何もいない。

 荒らされた様子もなく、むしろ整頓されているくらいだ。


 覚悟を決めて、他の部屋を探索する。

 廊下から玄関に向かう右手側、やけに重い扉を開くと、そこには――


「うっ……!」


 ……それを見つけた瞬間、反射的に吐いてしまった。

 臭いのこともあったが、目の前の現実がただただショッキングで。


 扉のドアノブにかかったタオルで、男性が首をくくっていた。

 死体はほとんど白骨化しており、死後数ヶ月は経過しているだろうと、専門家でも何でもないが分かった。


 よく見ると、手には一枚の写真が握られている。

 若い男女と、その二人に囲まれる幼い少女。

 遊園地のような場所で、三人とも笑顔で写っている。


 おそらく写真の男性がこの人なんだろう。

 残りの二人はどうしたのだろうと思ったが……片方はすぐ答えが見つかった。


 廊下の反対側の浴室で、一人の女性が死んでいた。

 男性と同じく白骨化しており、切った手首を浸したと思われる浴槽は水が完全に腐敗しており、臭いの主な原因はこちらだったようだ。


 どちらかが先に死んで、どちらかがそれを追ったのだろうか。

 それとも二人で一緒に心中しようと決めたのだろうか。


 避難命令が出た当初、この町にグールは現れておらず、どちらかといえば安全だったはずだ。

 だから、これは想像に過ぎないが……この二人は俺と同じような理由――避難した方が危険だと判断して、この町に残ろうと決めたんじゃないだろうか。

 きっと、その時はまだ娘さんも一緒で。しかし、何かの拍子で娘さんが外に出てしまい、そして……。


 ……ああ、そういえば。

 今日浄化したグールの中には、一体だけ子供のグールがいた。

 もしかしたら、あのグールが――


「……うっ」


 ……また、吐いた。



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 本当は二人を弔ってやりたいが、ここから運び出すのは難しいし、火を放って大火事にするわけにもいかない。

 浄化で何とかできればよかったが、この力で葬ることができるのはグールだけだ。

 グールになっていない人間の死体にやっても意味がない。


 それでも、俺は聖職者か何かにでもなったつもりで、アミュレットの浄化の光を数秒だけ当ててやることにした。

 少しでも安らかに眠ってほしいと願って。


「…………」


 最後に両手を合わせて黙祷する。

 その時、両腕に装備した成人雑誌が目に入り……自己嫌悪から深い溜め息を吐いた。


 ……今の今まで、俺は遊び半分のような気持ちでいたのかもしれない。

 半年も引きこもり続け、グールに襲われることも、グールを直視することもなく、ただつまらない暇つぶしをしながら過ごしていた。

 せっかくゾンビ映画のような世界になったのに、何で俺は退屈な毎日を過ごしているんだろうと、自分勝手な憤りを覚えていた。


 人は死ぬし、死んだら誰かが悲しむ。

 そんな当たり前のことが、当たり前に起きる世界になった。


 俺はこの日、その事実を初めて思い知ったのだった。

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