リビング・デッド・ファンタジア

碓氷 雨

プロローグ

プロローグ上

 群馬県と長野県の県境あたりの山嶺に、その村落はあった。

 勾配のなだらかな土地を切り開いたと思われる一帯には、田畑と住居が広がっている以外に、これといった特徴もない。

 立ち並ぶ家々も木造の日本家屋で、まさに昔ながらの村といった風情だった。


「おじゃましますよ、っと」


 運転席から降りた俺は、『尾道村』と書かれた立札を横切り、村の中へと入った。当然ながら、人っ子一人見当たらない。

 村中のいたる所に黒ずんだ染みがあるが、おそらく住民たちの血痕だろう。

 他にも、壊された家屋や争った痕がそこかしこに見られ、この村であった出来事の凄惨さが想像できた。


 しばらく、何もない砂利道をひた歩く。

 "それ"が見つかる保証はなかったが、なかったらなかったで別にいい。

 どうせやることもないし、言ってしまえば、この遠出自体が大きな暇つぶしのようなものだった。


「……ここらへんが怪しいか」


 だが、もしも"それ"があるとしたら、村と森の間あたりだろうと予想していた。

 家々を抜けた雑木林のあたりを中心に数十分ほど探し続け、やはり無駄足だったかと諦めかけた頃……木の根元に掛かった麻袋をどかした場所に"それ"はあった。


「穴……だよな?」


 それは、人間一人がギリギリ通れるくらいの小さな穴だった。

 覗いてみると、不自然なくらいに真っ黒で、まるで地の底まで繋がっていそうな雰囲気を醸し出している。


 ……何かあるにしても、それがこんな不気味な穴だとは思っていなかった。

 とりあえず調べてみようと思い、恐る恐る手を伸ばしてみると――


「うわっ……!」


 驚くほど強い力で穴の中に引きずり込まれる。

 両足を踏ん張るものの全く抵抗できず……俺はあっけなく、得体の知れない穴の中へと吸い込まれていった。



▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲



 今から約半年前、世界に世紀末が訪れた。


 それは、文字通り今世紀が終わりかけているわけでも、どこかの国が核戦争を押っ始めたというわけでもなく、とある島国――というか日本に広がった未知の病によるパンデミックが原因だった。

 当初、それは狂犬病の一種だと思われており、暴れ回る重篤患者たちを救うために多くの研究者や医療従事者が尽力した。

 ところが、罹患者たちがすでに生命活動を停止していることが判明し、人々はようやくその正体に気付いた。


 所謂、ゾンビウイルスというやつである。

 WHOはこの症状に長ったらしい名称を付けたようだが、ネットではゾンビ病と適当に呼ばれていた。


 こいつの厄介なところは、感染から発症までに丸一日の猶予があることであり、発症するその瞬間まで初期症状が一切現れないことだ。

 そのため、感染しても様子見として待機を命じられていた者たち、密かに感染を隠していた者たちによって、感染は爆発的に拡大した。


 時代と場所も悪かったんだろう。

 事なかれ主義で知られる本邦政府の対応は遅れに遅れ、さらには人権団体が自衛隊の精圧行動を大非難したことにより、水際作戦は完全に失敗。

 ぶっちゃけ2020年頃に某国で起きたパンデミックなんかの比じゃないくらいに国際的な非難を浴びた。


 やがてゾンビ病は世界中に広がり、一ヶ月が経った頃には治安やインフラは完全に崩壊。ゾンビアポカリプスの出来上がりだ。


 パンデミックが起きた当初、発生源の近場でもある埼玉の外れに住んでいた二十歳独身一般サラリーマンの俺――荒木小太郎(あらき こたろう)の元にも、当然ながら避難命令は出ていた。

 鳴り響くサイレンの音と、怒号のような声。窓の外を見れば、お隣の佐伯さん一家が逃げ出すのが見えた。

 俺も非常食やら着替えやらを鞄に詰め込んで避難の準備をしていたのだが……そこでゾンビ映画好きの俺はふと思ってしまった。


「人の密集した場所とか行ったらヤバくね?」と。


 幸いと言っていいのか、数年前に両親を亡くした俺には縁深い知り合いはいない。

 そして、これも幸いと言っていいのか、友達と呼べる知り合いも近くにはいなかった。

 そんなわけで、俺は思い切って自治体の避難命令を無視し、自宅の一軒家に引き籠ることに決めた。


 通勤で使っていた――元は父親が乗っていた――中古のセダンを出し、店員のいない近所のドラッグストアで商品を頂戴する。

 食料と水……特に水は車に詰める限り持っていった。水道が止まってしまえば、生活用水を全てミネラルウォーターで賄うかもしれないからだ。

 代金は適当に万札を数枚レジに置いておいたが、おそらく意味はないだろうと思った。

 その後はホームセンターでも色々と使えそうなものを拝借し、玄関と窓を木材で補強し、簡易的なバリケードを張った。


 そうして俺は、ゾンビの襲撃を警戒しながら、一人きりの引き籠り生活を始めた。

 初めの数日は誰かの走り去る音や悲鳴が外から聞こえることもあったが、俺は文字通り目と耳を塞いで、自室でひたすら息を潜めていた。


 そのまま一ヶ月、二ヶ月と何事もなく経過して……その頃には完全に暇を持て余していた。


 ゾンビたちは非常に知能が低く、よほど大きな音でも立てなければ、視界に入った人間しか襲わない。

 二階の窓から遠くのゾンビと目が合っても、俺の家に辿り着く前に忘れてしまうくらいの体たらくだ。


 最初の方こそゾンビについてのアレコレをネットで調べたり、ゲームをして暇潰しをすることもできたが、二週間もすれば回線と電力供給は完全に途絶えてしまった。

 唯一の情報源のラジオによると、どうやら大都市ほど被害が甚大で、避難所もいくつかゾンビに襲われたらしい。

 申し訳ないが、行かなくてよかったと心から思った。


 いよいよ水と食料が心許なってきた頃、俺は外に出てみることにした。

 見晴らしのいい寂れた住宅街ということもあり、ぽつぽつと歩いているゾンビを遠目で見つけることができたが、数はさほど多くなかった。

 人口の密集していた駅前まで行けば危険は増すだろうが、家の近くなら大丈夫だろうと判断する。


 ゾンビたちの動きは極めて緩慢だ。追いかけられたところで速歩き程度の素早さしかないが、やつらは人体の限界を超えたような怪力を持っている。

 念のため、護身用の金属バットを片手に、無人の民家に侵入して使えそうな物資を拝借した。

 窓を割る音でゾンビが寄ってくる可能性もあるので、行動は躊躇いなく、迅速に、だ。


 話は変わるが、ゾンビ映画の定番としては、生存者たちが独自のコミュニティーを築き、物資をめぐって争い合うという展開が多々ある。

 たぶん実際の社会でも同じようなことが起こると思うのだが、寂れた住宅街をしばらく練り歩いても、他の生存者とは一人も出会わなかった。

 俺と同じように、誰かがバリケードを作った痕跡もない。

 集団行動を是とする日本人なので、おそらく大多数が都市部で身を寄せ合っているのだろう。

 ラジオの話を信じるのなら、全人類の約半数くらいは生き残っているらしい。

 ……それでも取り返しのつかないレベルの被害だと思うが。


 まあ何が言いたかったかというと、ここいらの物資は問題なく独り占めできたというわけだ。


 そんな生活を続けながら、また一ヶ月ほどが経過した。

 時間だけはたくさんあったので、俺はその頃、あることばかり考えていた。


「この世界のゾンビ、なんかおかしくね?」と。


 繰り返すが、俺はゾンビ映画が好きだ。

 ゾンビという概念もなかった時代の古いゾンビ映画も好きだし、某ゾンビゲームを原作としたゾンビ映画も全作見ている。

 ナンバリングが進むごとに迷走しているように思えるがそこはご愛嬌。

 近年流行りのゾンビが全力疾走するような作品もとりあえず見るし、映画以外でもゾンビがテーマの作品には一通り触れている。

 そんな俺からすると、今世界で暴れ回っているゾンビには違和感しかない。


 そもそも、このゾンビ病という病気が中々に意味不明だ。

 人間が感染してゾンビ病になる原因はただ一つ。それはゾンビに噛まれることだ。

 ゾンビに噛まれた部分はおかしな紋様が浮かび、それが浮かんだ人間は丸一日経過するか、絶命するとゾンビに変容する。

 引っ掻かれてもゾンビになることはないし、ゾンビの血が傷口から入ってしまった者もゾンビにはならなかったらしい。


 また、あいつらにはヘッドショット一発というゾンビモノのセオリーが通じない。

 こういうのは大抵、運動信号を送る脳を潰せば動けなくなるものだろうが、あいつらは頭を撃ち抜いても平気で動く。

 それどころか頭部を切り落とされても普通に襲ってくるらしい。なんじゃそりゃ。

 流石に銃で蜂の巣にでもすれば動かなくなるらしいが、一般人には無理な方法である。

 縦しんば銃社会アメリカであろうと、一体一体に大量の弾薬を消費するのは非現実的だ。

 頭が悪く、動きのトロいゾンビを人類が駆逐できなかった理由の一つだった。


 なので、ゾンビに遭遇したら逃げる一択。

 追い詰められたとしても、ぶん殴って隙を作ってなんとか逃げる。

 ネット知識で作った改造ネイルガンなんて全く役に立たない。

 というか、あいつらが全力疾走できるタイプだったら確実に人類は滅んでいる。


 ああ、あともう一つ。……これが一番わけわからん。

 あいつらは夜に強く凶暴になり、日中には弱るという変な特性がある。

 夜行性とかいうレベルではなく、夜は岩を殴り砕くくらい強化されるらしい。完全に化物だ。

 その反面、朝方あたりはかなり弱点らしく、朝日を浴びてじゅわじゅわ蒸気を出しながら「アァ~……」と銭湯に入った爺さんのような声をあげているのを見たことがある。


 諸々の情報を整理して、このゾンビはウイルスを介したものではなく、何か超常的な力が働いているのでは? と俺は推測した。

 パンデミックから数ヶ月が経過し、一向にゾンビウイルスとやらの正体が解明されないことも、その推測を後押しした。


 そうなると気になってくるのが、ゾンビの発生源となった村についてだ。

 パンデミック初期の報道によると、どうやらその村の幼い少年が最初の感染者だったという。


 春休みに祖父の家に遊びに来ていたその少年は、ゾンビになる前日、行方不明になっていたらしい。

 村中総出で捜索したが、大して広い村でもないのに全く見つからず、いよいよ森の奥まで手を広げるか……と相談していた頃、少年はひょっこりと帰って来た。

 酷く怯えた様子の少年は「変な場所で怪物に襲われた」と要領を得ないことを言い、村人たちは少年の手の甲の傷を手当てしながら、おかしな夢でも見たのだろうと笑った。

 そこに浮かんだ、不気味な紋様は気にも留めずに……。


 一日経って、案の定少年はゾンビと化した。

 村人たちは少年を取り押さえて縄で括ったが、その際に数人が噛まれてしまい、数日も経てば世にも恐ろしいゾンビ村へと早変わり。

 なんとか逃げ延びた村人によってこの話は伝えられたが、ゾンビたちも人口の多い都市へと大挙し、加速度的に被害は広がっていった。


 ……というのが最初の被害の経緯らしい。


 行方不明になった少年と、少年を襲ったという怪物。

 俺はその話が気になって仕方がなかった。


 もちろん村には政府による調査隊が赴いたらしいが、土壌汚染や森の生態系を調べるだけで、少年が言ったという与太話は真に受けなかったようだ。

 馬鹿馬鹿しいかもしれないが、俺にはその少年の言葉にこそ、大きな意味があると思えてならなかった。


 それからまた数ヶ月が経過し、俺はようやく村に行く決心を固めた。

 いい加減、暇すぎて死にそうだったというのもある。


 スマホのアプリは使えないので、道に関しては近所の寂れた本屋で拝借した地理の本を頼りにした。

 取り回しの良さを考えて自転車移動も考えたが、運動不足すぎて足でも攣ったら終わりなので車にしておく。

 ガソリンスタンドのタンクから汲み上げる方法は分からなかったので、お隣の車のガソリンを給油ポンプで拝借し、満タンにした。


 道中なるべくゾンビに出くわさないよう、ゾンビの弱る朝方に家を出て、都市部を避けて山道を進んだ。

 それほどスピードは出さなかったが、一、二時間ほど車を走らせれば、拍子抜けするほどあっさり目的地に着いた。

 数ヶ月も温めていた計画だというのに、気持ちの方が追いつかないくらいだった。


 ……そんなわけで、俺は辿り着いた『尾道村』で、少年が見たという何かを探した。

 ひょっこり帰ってきたという証言から、少年が森の奥まで入ったとは考えづらく、村と森の間あたりで何かがあったと考える。

 分かりやすいものであれば調査隊が見逃すはずがないので、物陰や木の裏など中心に見て回った。


 そして数十分後、俺は雑木林の木の根元で不気味な穴を見つけ……恐る恐る手を伸ばしてみたところ、謎の力でその中に吸い込まれてしまったのだった。

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