第2話 ティン

 ぬへっとした顔の犬は、誇らしげにこう名乗った。


「ワイは『ティンダロスの猟犬』言う、時空を駆け回る種族なんや。名前はティン。よろしゅうなぁボン」


「……えぇ……?」


 俺は困惑しきりである。時間魔法を検証してたら、何か妙な犬が出てきたんだけど。カートゥーンの犬みたいな顔してるんだけど。


「りょ、猟犬……? 何か、狩るのか……?」


「よくぞ聞いてくれたなぁボン!」


 俺が問うと、ティンというらしい時空犬は、ドヤ顔で話し始めた。


「ワイは時空で悪いことしちゅう奴をシバキ回す、じゅ―――だいな使命に帯びとるんや。それでボンがこの停止した時間で動いてるのも、嗅ぎつけられたっちゅう訳やな!」


「……そ、それ、さ」


 こんな間抜けな姿でも、油断はできない。そう思いながら、俺は単刀直入に聞く。


「つまり、俺を殺しに来たって、そういうことか?」


 するとティンは、目を見開いて「はぁああ!?」と大声を上げた。


「そげな無体なこと、ワイがする訳ないやんけ! いたいけな子供を殺すなんてそんな、人聞きの悪いこと聞くなやボケぇ!」


「ああ……それは、うん、ちょっと安心したよ。でも、その、じゃあ悪いことって何なんだ?」


 時間止める以上の、時空的な悪いこと、あんまり思いつかないが。過去を変えるとか?


 俺がそう考えていると、ティンは答える。


「不正手段で時空操作を行うのが、ワイらにとっての『悪いこと』や。その点ボンは正規手続き踏んどるから、何も悪くない」


「……正規手続き?」


「そや。その時計使うたやろ?」


 ティンは俺の握る懐中時計に鼻をつける。


「この時計はな、この世界で唯一の、時空操作の正規手続きや。ボン、転生者やろ? クロック言うたか。ワイらティンダロスの猟犬は、全員ボンを知っとる」


「なるほど……。流石停止時間の不思議生物」


「何かその呼び方不名誉やない? 気のせい?」


 どうやら、俺に時間魔法を与えたあの神秘的な女性のお仲間というわけらしい。


「でもティン、さっき俺見て驚いてなかった?」


「ワイらの体感時間で、五億年前くらいに一回顔見ただけの相手やで。時計見て思い出したんや。驚きもするわ」


「めちゃくちゃ長生きするじゃん……」


 とりあえず、敵ではないことが発覚した。気のいい奴っぽいし、恐らく関わりも多くなることだろう。それが確認できれば十分か。


「ほんで、ボンはアレか。これが初めての時間魔法やな?」


「え? ああ……そうだな」


 頷くと、「よっしゃ! じゃあワイが色々教えたるわ」とティンはドヤ顔をかました。


「何が聞きたい? ワイらティンダロスの猟犬は、この静止時間の中の存在や。この世界の中のことなら何でも知ってんで」


「おぉ……」


 こいつのことはよく分からないが、何やら詳しそうだ。色々と聞きたいことはあるし、一通り質問してみようか。


「じゃあ聞くんだけどさ、時間魔法ってその、何だ?」


「何だって何や」


「つまりさ、今時間は止まってるだろ? けど俺はティンの姿が見えてるし、体も動かせる」


「せやんな」


「つまり、光と空気は動いてるってことだろ?」


 俺が言うと、ティンはしばらく考えてから「ああ! 物理的な話やな!」と納得に手を打った。手? ティンの前足の形、完全に手じゃなかった今?


「まぁこの世界『シルヴァシェオール』は創造主はんのノリで出来てるからあんまり物理法則に厳密である必要はないんやけど、そこだけ時間魔法で苦労してたの思い出すわ」


「苦労……? 創造主……?」


「ボンに時間魔法与えたんが創造主やな。創造主はこの世界に都合よく手を加えて眺めるのが好きな暇人と思っとけばええで」


「舐められすぎだろ創造主」


 神とかそういのじゃないのかよ。暇人なのかよ。


「で、ボンの質問に答えるんやけど、創造主が自慢げに言っとったんが、『時間停止中に動いているもの以外は硬くしてる』ってことやったで?」


「……硬く」


 先ほどもクッキーを触って固い、とは思ったが。


「その辺のもん、触ってみ?」


 俺は促されて、足元の芝生に触れる。掴み引っ張るが、千切れそうにない。


 俺は眉を顰めて、次は再びケイトの持っていたクッキーに手を出す。持ち上げられる。だがやはり、力を入れても砕けない。


 硬い。硬いというか、これは……。


「……剛体?」


「何やそれ」


「絶対に壊れない架空の物質を、剛体と呼ぶんだ。ゲーム的な物言いで言うなら破壊不能オブジェクト」


「あー! 創造主も言うとったわ! 破壊不能オブジェクト! 時間停止中の空気の動きは、そよ風でも威力が無限に達するから、周りの防御力を固めるー言うて!」


「なるほど……光も同じ要領か」


 思うに、時間魔法の中でも、時間停止能力は、どちらかと言うと『完全に静止した時間で自分だけ動く』という能力なのだろう。


 その中でも空気も光も動いている。それはこの世界が創造主なる何者かによって、そうデザインされた世界だから。


 だがそれを許せば、あらゆる存在は、無限のエネルギーを有した暴風と熱光線の中で死に絶えるしかない。


 だから、停止した時間の中において、動く時間の中の存在は、剛体となって守られている……。


 俺は言った。


「じゃあこの静止した時間の中から、現実世界に影響を及ぼすことって」


「無理やで」


「カス!!!!」


 思ったよりカスだぞ時間魔法! 意味がなさすぎる! 名前負けもいいところだ!


 俺は地面に手をついてむせび泣く。


「ボン、何でそない泣くんや。どしたん? 話聞こか?」


「めちゃくちゃ話したくなくなる聞き方するなよぉぉぉおお……!」


 俺は地面に身を投げ出しながら、頭を抱えて話し出す。


「……俺はな、放っておいたら破滅が確定してるんだよ」


「破滅て、そりゃあ大仰なことやな」


「マジの破滅なんだよ! 断頭台に送られんの! 魔王の手下として動いたって言って!」


「……どゆことや?」


 俺はぐぬぬと唸ってから、「はぁ」とため息を吐いて話し出す。


「俺は近いうちに、悪役令嬢の世話役に選ばれる。親同士の取り決めだから拒否権はない」


「ほーん?」


「で、その悪役令嬢が魔王に乗っ取られるんだよ、体を。で、俺はその悪役令嬢の体の魔王に脅されて、悪事を働きまくるわけ。断ったら魔王に殺されんの! 何だこの理不尽!?」


「あー、はいはい。何となく分かってきたわ」


「それで最後には主人公が魔王を倒すけど、その所為で悪事がバレて俺は処刑台行き! それをどうにかするには力がいるんだよ力が! ああぁぁぁああああ!」


「ボン、結構ため込むタイプやなぁ。ワイの胸で泣くか?」


「絶対に嫌だ……」


「何かワイも悲しくなってきたな。不思議や……」


「うぅぅううぅぅぅ……」


 俺は唸る。ブルブル震えて歯を食いしばる。


 ダメか? 俺の破滅の運命は決定か? この世界バトルめっちゃあるんだぞどうすんだよチクショウ。


「こんなもの!」


 俺は手に握ったクッキーを投げ捨てる。それから呻く。呻いて、暴れて――――空中で静止したクッキーに気付いた。


「……アレ?」


「でもなぁボン、そんな自棄になったらアカン。逃げるのには役立つでぇきっと! 何せボンだけは世界の果てに行っても時間は経ってへんのやからな!」


「ああ、いやまぁ、それは確かにそうだけどさ、あれ……」


「ん? ……このクッキーがどしたんや?」


 キョトンとするティンに、俺は尋ねる。


「俺が投げたクッキー、浮いてるんだけど」


「そりゃあ静止世界で動くボンから離れれば、普通の物は止まるやろ」


「……動け」


 俺は時計のボタンを押しこむ。時間は動き出し、ティンが消え、クッキーは俺が投げた方向に飛んでから地面に落ちた。


「クッキー美味しいですねぇ~……アレ? 一枚減って、あ! 坊ちゃま何してるんですか! もー! クッキーがもったいないですよ!」


「え、あ、ごめん。……止まれ」


 時間停止。俺は停止した時間の中で立ち上がり。それからクッキーを持ち上げる。


「これ、使えないか?」


「何がや?」


 再び現れたティンが首をひねる。「だからさ」と俺は言った。


「例えば、この静止した時間の中で弓矢を撃ったらどうなる」


「ん? そりゃあちょっと飛んでから空中で停止すんで」


「そのあと時間を動かしたら?」


「そのまんま飛んでくやろな」


「……それ、躱せる奴いるか?」


「――――あー! なるほど! ボン頭ええなぁ! 考えたこともなかったわ!」


 俺は、一瞬無能かに思えた時間魔法の、可能性に気付く。


 停止した時間の中では、直接敵を殴ることは出来ない。


 俺はケイトの頬を突く。硬い。きっと殴っても俺が痛いだけだろう。これが時間魔法の制約だ。


 だが、敵を前にして、静止した時間の中で矢を放てば? 矢は敵の寸前で停止する。だが、時間を動かせば動き出し、刺さる。


 それを、もし、何発も、何十発も、何百発も繰り返せば?


「……絶大な威力になる……!」


 俺は可能性に気付く。時間魔法の戦闘における使用方法。


 時間を止め、必殺の状況を整えることで、現実時間にして一瞬で勝利を確定させられる。


「とするなら、破滅の運命を避けるために出来ることはかなり増える。悪役令嬢が有能でも時間魔法でズルすれば翻弄できるし、諸悪の根源だって処して回れる」


 俺は汚い手段を厭わない。生き汚くとも生きていたい。


 生きていればどうとでもなる。だが、死ねばどうにもならないのだ。


 俺は死が怖い。だから、できることはすべてやる。


「ティン、俺が時間魔法を使って人を殺したら、どう思う?」


 俺は問う。目の前ののほほんとした奴が、仲間でいてくれるかと。


 ティンは言った。


「虐殺か!? 大好きやでワイ! スプラッタ大好き!」


「こわ……」


「急に梯子外すんやめーや」


「お前こそいきなりアクセルベタ踏みにするんじゃないよ」


 ……ともかく、ティンが敵になることはないようだ。


 そこで、俺は急に苦しくなる。「ぐ……!」と唸ると、ティンが「お、魔力切れやな。ま、鍛えればどうとでもなるわ」と軽く言う。


「時間停止、とめーやボン。一回寝たら魔力は回復すんで」


「あ、ああ……!」


「ほんじゃ、またなぁボン。話してて中々楽しい奴や分かったし、次に会う日を待っとるでぇ! ほな!」


 ティンが前足を手のようにサムズアップさせるのに引きつつ、俺は思う。


 飛び道具の練習が必要だ。弓矢に、投石もいいだろう。訓練を積まねばならない。訓練を積んで、積んで、破滅の運命を避けるのだ。


 時間よ、動き出せ。







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