第15話:姉と姫

「弟の無礼をお許しください。ヴァシアの王子」

 彼から与えられた白のドレスを纏い、最敬礼をする。

「君……」

 アメジストの瞳が見開かれる。そこには驚きよりも呆れがあった。彼は私がここに来ることを分かっていたのかもしれない。

「姉様……!!」

 振り返った弟は硝子玉の瞳をこちらに向けると、小さく息を吐いて安堵したように笑った。手を伸ばせば、にっこりと笑って彼も私に手を伸ばした。

「……会いたかったよ。まだ生きていたんだね」

「レイ……。大きくなったわね」

 間近で見る彼は幾分も背が伸びていたし、体格も良くなっていた。先ほどの氷の声が嘘のように暖かい声だった。

「殺されたのかと思ってた」

 弟は、目の前に座っていた皇太子を睨みつけた。ため息をついた男に悪びれる様子はない。

「……違うのよ、レイ。私はヴァシア国に匿ってもらっていたの」

「匿う? どういうこと?」

 そっと左手をかざして、口を開こうとした男を制した。

「私は、あの時亡命するしかなかった。国民の怒りがいつ向けられるか分からなかったの。亡命の手伝いを彼がしてくれたのよ。私が王位を手放した方が国が安定するだろうからお父様から言われたわ。だからあの日死んだことにしてもらったの」

 こうすれば、彼が私を隠していたことにも理由がつく。白くて長い睫毛がゆっくりと伏せられ、そしてついと口角があげられる。

「でも亡命することになったのは、この国のせいじゃないか!」

「そうね、レイ。でも奪うことで守れるものもあるわ」

 弟は眉を寄せた。解けないなぞなぞでも出された時のように不愉快そうだ。

「でも姉様。僕はもう弱くないよ。国民に何を言われても、たとえこの国と戦争になったとしても構わない! 貴方を守るのは、敵国の皇太子じゃない。血を分けた弟である僕だ」

 ふわりと揺れた彼の香水は、私の知らないものだった。

「帰ろう。僕の国に」

 男は跪いた。かしずく姿は、王子のように爽やかだ。それでも、大切な弟に変わりはなくて、懐かしさと愛おしさが入り混じる。このまま彼と国に帰りたい。抱きしめ返そうと手をまわした時、手首が捕らえられた。

「レイナ」

 行かないで。

 傍にいて。

 一人にしないで。

 孤独を隠すことも出来ない大きな子どもは、必死に私を繋ぎ止めようとしていた。彼の瞳は、枷のように私を縛り付ける。ああ、思い出した。彼は昔の私に似ているんだ。弟が出来る前の寂しくてもそれを当然と諦めていた私に。

「……レイ、ごめんね」

伸ばしかけた腕をそっと戻す。弟は、目を見開いていた。

「どうして……。姉様は僕のこと嫌いになったの?」

 断りを入れたというのに、私の手首はまだギチギチと強く捕らえられている。無言の皇太子様は痛みを私に与えることで、不安を押し殺しているようだった。レイは立ち上がると私をじっと見つめた。大きくなっても、彼を嫌いに何てなるわけない。たとえ王になってもレイは私の弟。それでも……。

「レイ。私は」

「あーあ。他所の国で問題なんて起こしたくないのに」

 鋭利なナイフが、空に光る。可愛い弟は、笑っていた。とても綺麗な冷たい笑顔で口が裂けるほどににっこりと。

「迷惑で邪魔な姉さん」

美しい黄金色の髪が揺れる。近づく一瞬のそれに身体は反応しきれなかった。

「レイナ!」

白が私を覆う。優しくて暖かいリンゴのような甘い香り。肉が切れる特有の音が鼓膜を突き刺す。

「……っ」

強く抱きしめられた身体の拘束が解けていく。鮮烈な赤がドレスの白を汚す。

「ディ…ア……?」

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