第9話:毒リンゴとパイ

 昨日の暖かさは雨の前触れだったようだ。外はあのリンゴの木ですら見えないくらいの土砂降りだった。湿気が多いからか、いつもよりもずっと足枷が重く冷たい。

 コルテスさんに出された食事はどれも食べる気がしなかった。

「ごめんなさい。紅茶だけいただくわ」

 コルテスさんは、何も言わず食器を片付けた。昨日から食欲がない。次期王としての彼は誰よりも孤独に感じた。寂しさを感じる余裕さえもない責任と重圧に耐えているようで、それが誰かに似ているとさえ感じた。

「昨日はお愉しみだったようで」

「……逃げていないし、ちゃんと帰ってきたわ」

「いえ。貴方の我儘のお陰でディア様が縁談から逃げ、その後始末が大変だっただけですり貴方の安否に関してはどうでも」

「縁談?」

 嫌味ったらしくシルバーの眼鏡が押し上げられる。

「ディア様がどういった意図で貴方を引き取ったのかは分かりかねますが、貴方は死んだ存在ですからね」

 私はどうして生かされているのだろうか。半年経っても一向に彼の思考は読めない。腹心でさえ分からないのなら、私には一生理解できなさそうだ。

「またそんな意地の悪いことを言って。ダメでしょ、コルテス」

 噂をすれば影がさす。コルテスさんは苦虫を噛み潰したような顔をした。そして、私に聞こえないように小言を零すと食事のトレーを下げて部屋から出ていった、

「お腹空いて無いの? 体調悪い?」

 昨晩のこともあって、身体が強ばる。そんなことを気付かないのか、もしくは気にしないのか、彼は私の額に手を置いた。

「熱はないね。食べたいものある? 用意するよ」

 髪を撫でる手を振り払うことも出来ずに私は視線を逸らした。それでも彼の手は大切なぬいぐるみを撫でる子どものようで、離れることはなかった。

「いらないわ」

 デジャブのように感じるこれを、私はいつ言ったのだろうか。ただ、きっとその時とは違って言葉に棘がないということだけは何となく覚えていた。

「そっか。僕もあんまり王室の料理って好きじゃないんだよね。美味しいけど飽きる。あーあ、レイナちゃんの手料理だったらいくらでも食べるのになぁ」

「嫌よ」

 駄々をこねるように私のベットのスプリングを壊しにかかる彼をとりあえず制止させた。

「やだやだー!! もう政務しない」

「ご自由に」

「ええー。応援してよ! レイナちゃんが応援してくれたら、元気出るのに」

「知らないわよ」

「あ……。もしかして、料理は苦手?」

 ベッドの上でバタバタと四肢を動かしていた駄々っ子は、すんと大人の顔になった。

「お姫様だったんだもんね。料理なんてできないよね……」

「料理人ほどではないけれど、作れるわよ」

「本当!? 僕、パイが食べたい!!」

 嵌められたらしい。ハシャぐ彼は今まで見た姿の中で一番無邪気だった。まるで姉に甘える弟のようだ。

「早速、作って!」

「分かったから、引っ張らないで」

 彼に促され扉を開けば、そこはやはり小さなキッチンだった。

「じゃあ僕、昼寝して待ってるから出来たら起こしてねぇ」

 後ろ手にドアを閉めようとすれば、足枷の鎖が扉に隙間を作った。鎖の長さは丁度、もう一枚の扉には届かないくらいだから料理には支障がなさそうだ。

 昔、レイにねだられてメイドとお菓子をよく作った。見た目が良くなくてもレイはいつも美味しそうに頬張ってくれた。

 パイをご所望の駄々っ子のために材料を確認すれば、目に飛び込んできたのは鮮麗な赤。周りに少し付いた土は、まだ乾いていない。採れたてのリンゴ。それは昨晩、手を伸ばしたものに似ていた。


 *


 扉を開けて、暖かなパイをテーブルに置いた。彼は読んでいた本を閉じると、目を輝かせながらカットナイフを見つめていた。

「起きていたの?」

「ふふ、眠れなかったから。嬉しいなー! レイナちゃんの手作りなんて、夢みたいだ」

 香ばしいパイは、狐色の光沢を纏い食欲を促す。取り分けられたパイを彼は上品に一口サイズに切った。目を伏せて薄い唇に運ぶ。咀嚼する彼の姿は、レイのようだった。あの子も、私のパイを好きって言ってくれた。

「王子さまの舌には合わないかしら」

「……」

「聞いているの?」

 彼は咀嚼を終えても何も言わない。不安に思っていると、突然すすり泣くように笑った。

「本当に君はバカだね」

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