第2話 朝と珈琲

 僕は、この世には二種類の人間がいると考えている。


 一つ目に、普通に生きていける人間。

 この場合の「普通」とは、社会にいる大多数の人間が行っていることに適応することができる、という解釈だ。


 二つ目に、普通には生きていけない人間。

 他でもない、僕自身のことを指す。


 伊能才いのうさい、二十四歳、成人男性。

 地方で生まれ育ち、現在はアパートで一人暮らし。

 営業職として働き、社会の一員になるも、躁鬱病、パニック障害を引き起こし、現在は休職中。わかりやすい社会不適合者である。


 ただ、この世はクッキリと白黒のみが存在しているわけでもない。

 前者と後者の間にも、グラデーションはある。

 例えば、後者の人間には精神疾患の名前を与えられるケースがあれば、名前を与えられることのないグレーゾーンに位置するケースもある。


 そして、それは前者の場合にも起こりうることだ。


「才、朝食できたよ」


 窓から差し込む光が照らしている素晴らしい食卓に次々と皿を載せている、この男。

 天ヶ瀬宝あまがせたからは、前者の中でも少数の順風満帆な人間だった。


「今日は天気がいいから布団干していくね。もし、できそうだったら取り込んでもらえれば嬉しい。難しそうならそのままでいいよ。俺がやるから」


 テーブルの上に乗った二人分の食事。

 目玉焼きにトースト、生ハムの乗ったサラダ、はちみつがけのヨーグルト、くし切りのオレンジ。どれもさりげない工夫が凝らされている。

 これは、すべて宝が用意した朝食だ。


 一ヶ月前の僕なら罪悪感で手を付ける前に吐き気をもよおしていた。

 けれど、この生活に慣れてしまったお陰で、今ではためらいなく…とはいかないまでも口に運べるようにはなった。慣れとは恐ろしいものだ。


 手を止めず順調に食事を食べ進める僕を見て安堵したのか、宝はにっこりと嬉しそうに食事中の僕を見ている。


「あんまり見られると食べにくいんだけど」

「ごめん、つい」


 あまり食事中の様子を見られすぎると、観察対象になった気分だ。

 朝食を用意してもらっている手前いい気持ちはしない。

 僕は持っていたフォークを一度置いて、コップの水を飲んだ。


「珈琲、飲むだろ?」


 宝は自分が珈琲を入れるタイミングで、必ず僕にも飲むかどうか聞いてくる。

 

「…飲む、けど少しだけがいい」


 僕より食べるペースの早い宝は、テーブルから立ち上がる。

 自分の食べ終えた皿と、僕が食べ終わったサラダの皿を持ってキッチンへ移動した。

 最近買ったらしいコーヒーマシンからは、どこかしらの国で生産された豆の香りが漂っている。

 僕はコーヒー豆の知識がないから詳しくは知らないが、今の自分には分不相応なことだけは確かだった。


「食べきれなかったら残していいからね」


 宝はいつも僕にそう言う。

 必ずと言っていいほど、僕のことを過剰なくらいに気遣う。

 それは、本人の性格からくるのか。

 それとも、僕がそうさせているのか。


「わかってるから大丈夫だって」

「はは、そうだよな」


 宝は二人分の珈琲をテーブルに運び、また僕の向かいに座った。

 彼は珈琲の香りを一度嗅ぎ、顔をカップから離して口を付ける。

 それだけの動作がやけに絵になっているせいで、出来のいいコマーシャルを見ている気分になった。

 芸能人並みのルックスがそうさせているのだろうが、朝から目に眩しい。


「友達として心配なんだよ、才のことが」


 友達、ね。

 宝の言葉を反芻する。


 現在僕はこの男、天ヶ瀬宝に養われている。

 そして、僕と天ヶ瀬宝は幼少期に出会い、数奇すうきな運命によって再会を果たした。

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