第二章 足音の行方

1.追いかけられない


「そういえば和真くん、成人式行ってきたんだろ? どうだった?」


「普通でした」


「最近の若者は、何でもかんでも普通普通って」


 焼き鳥屋の一角、テーブルを挟んで永田和真ながたかずま前里拓実まえさとたくみは酒を飲んでいた。前日に和真が焼き鳥を食べにいきたいとリクエストしたからだ。


「事故などの問題が起こることもなく、予定どおり終了しました」


「それじゃニュース読んでるアナウンサーみたいだぞ」


「……えー……、じゃあ……」


「冗談冗談。で、実家にも帰ったんだよな? お兄さんとは仲直りできたか?」


「拓実さん、すぐからかう。兄と話せましたよ。ええと、順を追って話すと、兄と同じ高校に入学して、夏休み明けくらいに女の子から告白されて付き合い始めたんですけど」


「お、和真くんやるねぇ」


 拓実が口角を上げてからかうと、和真は「また……」と小さく言ってから、続きを話し始めた。大皿に盛られた焼き鳥は順調に減っている。主に拓実が食べているのだが。


「違うんです。その女の子、本当は兄が目当てだったんです。兄はすごくモテてたから、手が届かないなら弟でいいやって思ってたみたいで。僕は兄の劣化コピーでつまらないって言ってました」


「あー、そいつか、劣化コピーなんて言いやがったのは。俺、そういうの嫌いだわ」


 拓実が眉根を寄せて嫌そうな顔を作ると、和真の表情が少しゆるんだ。表情筋の動きは乏しいが、うれしいと思っている証拠だ。


「兄弟だって、違う人間なんですけどね。兄が優秀なので肩身が狭くて。兄はそのことを知って、僕を避けて距離を置くようになったって言ってました」


「でもそれなら、一年間だけでよかっただろ」


 そう言うと、拓実はまた焼き鳥を口に入れた。店に入る前に「俺、腹減ってるんだよね」と宣言していた通りの行動だ。


「一年経つ頃には、僕の方が意地張って無視したりしてましたよ。何も言われないで突然避けられたら、そうなります」


「なるほどね。すれ違いだった、と」


「だから、仲直りはしたけど、まだぎくしゃくしてて……」


「ああ、まあそりゃそうだろうな」


 和真は「ですよね」と言うと、手に持っているビールを一口飲んだ。


「酒、大丈夫か? あまり飲まないって言ってたよな」


「大丈夫です。少しは飲めるようになっておかないと」


「無理しない方がいいぞ。飲める量なんて最初から決まってて、増えたりなんかしないらしいからな」


「そうなんですか? 困るなぁ」


 少し潤んできた和真の目が、ビールのジョッキを睨んでいる。まるで「こいつのせいで」とでも言いたげに。


「酔ってきたな。ジョッキは悪くないから、許してやってくれ」


「はい。……拓実さんも、モテるでしょ」


「……いや、俺は……」


「あれっ? 拓実?」


 突然名前を呼ばれた拓実が声の方を見ると、同僚の香織かおりが通路に立ち、笑顔を向けていた。しっかりメイクでスタイル抜群の美女だ。


「……香織? 偶然だな」


「金曜の夜だから焼き鳥が恋しくなって、ここで彼女と待ち合わせなの。拓実は二人で来たの?」


「うん」


「今度のお遊びはその子なのね」


「おい、そういうこと言うな」


「ご、ごめん。もしかして……」


「香織、おまえなぁ……、この数十秒間で何もかも読むんじゃねえよ」


「ってことは、正解かぁ。あ、もう彼女来てた。じゃあまたね」


「へいへい」


 眉間にしわを寄せる拓実がしっしっと言わんばかりに手を振り、香織は苦笑いしながら奥のテーブルへと歩いていった。


「ごめんな、同僚なんだ」


「すごい美人ですね」


「あー、化粧の力だよ」


 拓実がいい加減に返答をすると、和真が「何で知ってるんですか?」と尋ねる。


「何で、って……、見ればわかるだろ、化粧が濃いのくらい」


「元もすごい美人かもしれないじゃないですか」


「いや、あいつは素朴な……」


 焼き鳥の串を手でつまんだまま、拓実は口をつぐんで固まった。失言をしたことに気付いたのだ。


「素顔が素朴なんですね」


「や、その……」


「何で知ってるんですか?」


「それは……」


「お遊びの相手なんですね?」


「ううっ……」


 和真が次々と質問を投げてくる。拓実は焼き鳥串を口に突っ込みながらほうほうの体で逃げようとするが、うまい言い訳が見つからず、結局認めることになった。


「他にも遊び相手いるんですか?」


「いない、よ。今は。香織も前に一回だけ、酔った勢いで……」


「そうですか、わかりました」


 無機質な声でそう言い放つと、和真は卓上タッチパネルを手に取って次の酒を注文する。


「わかっちゃうの?」


「はい、わかりました。別にいいんですよ」


「それはそれで、ちょっと寂しい気がするんだけど。それにしても和真くん、鋭すぎないか?」


 ふと拓実が和真のジョッキを見ると、ビールはもうほとんど残っていなかった。


「ふぅん、そんなこと言っちゃうんだ」


「ちょっ、性格変わってない? 酒飲むとそうなる?」


 和真が、店員が運んできた新しいビールを一口飲む。


「遊んでても、いいんです。きっと拓実さんもモテるでしょう」


「……あのさ、その『も』っていうの、やめてくれないかな」


「えっ? 何のこと……」


「何でそれはわからないんだよ」


 拓実が低い声で吐き捨てた言葉に、和真がむっとした表情になる。酒が入ると多少表情が動くようになるんだな、などと考えるが、拓実が見たいと思う表情ではない。


「……そんなこと言うなら、拓実さんだって……。もういいです、帰ります」


「あ、いや、ちょっと待て、悪かったよ」


「違う……、違うんです。とにかく帰ります。明日バイトあるし」


「待て待て、とにかく待て、俺も帰るから」


 拓実は慌ててコートを着てカバンをつかみ、会計のために入口近くのレジへと急いだ。和真はコートに袖を通しているようだ。


「ええと、和真くんの家まで送るから。酒あまり強くないだろ」


「一人で帰れます。お疲れ様でした」


「あっ、おい」


 拓実の返事を待たずに、和真が早足で歩き出す。休前日の夜の繁華街は人であふれていて、追いかけることすらままならない。真冬の夜の刺すような冷気が体を冷やしていくが、手に持ったマフラーを巻く気にはなれず、まるで自分への罰のように首元に強烈な寒さを感じながら、拓実はのろのろと足を踏み出した。

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