【BL】足音

祐里(猫部)

第一章 はじまりの足音

1.足音だけで


 十二月下旬に入り慌ただしさを増している街では、店に入ればクリスマスソングが流れ、道端の木々を見れば美しいライトアップが施されている。毎年恒例の風景だ。大学生の永田和真ながたかずまがアルバイトをしているミニシアター周辺でも、繁華街らしく人や車の往来が活発になっていた。


「もう、騙されたよ。すぐ黙るし、話してもつまんないの。顔だけよくてもだめだね」


「いるよね、そういうの。クリスマスプレゼントもらったら別れれば?」


 ミニシアターの看板を水拭きしている和真の横を、若い女性たちが通り過ぎる。その早口の会話で過去のことを思い出し、動きが一瞬だけ止まってしまう。


『永田くんってつまんない人なの。顔はちょっといいんだけど、所詮お兄さんの劣化コピーだよね』


 高校生の時に偶然聞いてしまった、当時付き合っていた女の子の声。告白されて付き合い始めたのはいいが、話が合うわけでもなく、何となく一緒に帰っていただけだった。


 『お兄さんの絞りかす』と言われたことは何度もあったが、『劣化コピー』とは言い得て妙だなと感心した記憶がある。和真の左の目元には、コピーを重ねると白い部分に出てきてしまう黒い点のようなほくろが二つあるため、うまい喩えだと思ったのだ。二歳上の兄にはない、少し目立つほくろが。


 和真が看板を拭き終えて分厚い雲に覆われた空を眺めていると、中からオーナーが出て来て「永田くん」と声がかかった。


「手、冷たくなったでしょ。たぶんの時も寒いだろうから、それまでストーブのそばにいなよ」


「あ、はい」


 オーナーはいい人で、奥さんの尻に敷かれている時を除けば、いつもぱりっとしたスーツに身を包んでいるダンディな男性だ。本人は「俺もう五十八だから、アラカンって言うらしい」などと笑ったりするが。


「コーヒーでも入れようか。そういえば、明日はケーキ買って帰る? 一人暮らしだとそういうのしないかな?」


「ありがとうござ……ケーキ?」


「明日は二十四日だよ」


「あー……、普通の日曜としか思ってませんでした」


 大きめの電気ストーブに手をかざしていると、すっかり冷えた手より顔の方が先に熱くなってしまう。和真はなるべく顔をストーブから遠ざけながら、明日のことを考え始めた。


「そうか。ま、うちも普通の日曜よりちょっとお客さんが多くなるだけだと思うんだ」


 「一応、クリスマス上映って銘打ってるけど」とぼやきながら、オーナーが湯を沸かす。


「明日かぁ。クリスマスイブをミニシアターで過ごそうなんて人、常連さん以外いないですよ」


「はっきり言うなぁ」


 はははとオーナーが軽やかに笑い、和真もつられてわずかに笑みを作る。


「でも、来てくれるのはありがたいです」


「そうだね。最近では若い人も……、ほら、毎週のように来てくれる格好いいお兄ちゃんもいるしね」


「あ、僕、あの人が来るのが足音だけでわかるようになったんですよ」


「えっ、すごいな。何で?」


「何でだろう」


 するとオーナーはニヤリと口端を持ち上げて、次の言葉で声を潜めた。


「何か運命的な繋がりがあるんじゃない? 例えば、生き別れのお兄さんとか」


「オーナーって、そういうの信じるんですね」


「僕はけっこうロマンティストなんだ」


 胸を張るオーナーの背中越しに、窓口の奥に置かれている目覚まし時計のアラームが響いた。今時ジリリリリというアナログ音で、和真の好きな音だ。


「あっ、もうこんな時間か。コーヒーは後回しだな。今日は僕が窓口やるから、永田くん、もぎりよろしくね」


 「はい」と返事をし、ストーブから離れる。まだ手は冷えたままだが、仕方がない。


「いらっしゃいませ。奥の二番スクリーンへどうぞ」


「いらっしゃいませ。手前の一番スクリーンです」


 ミニシアターではあるがスクリーンが二箇所あり、もぎりの時はどちらのスクリーンなのか案内しなければいけない。一番、二番、と客に伝えながらチケットを受け取り、半分切ってから返す。最初はきれいに切れず苦戦していた和真も、今ではもう慣れたもので、どんな渡され方をしても指先で一瞬で切り取ることができるようになった。


 女性客の手に半券を返した瞬間、入口の方から例の足音が聞こえてきた。今日も革靴を履いているようだ。身長は百八十センチくらいあるだろうか、黒いコートの背筋を伸ばし格好良く歩く姿を見て、「やっぱり」と悦に入る。


「おはようございます。二番スクリーンです」


「おはよう。今日は一段と寒いね」


「雪、降るかもしれないですね」


「降ったら困るな。傘を持って来るのを忘れてしまって」


「それなら、僕のでよければ。折りたたみの置き傘があるので」


「いいのか? もし帰る時に降ってたら遠慮なく借りるよ」


「もう一本持ってきてるので、大丈夫ですよ」


 和真がほんの少し口角を上げて何とか笑ってみせると、「ありがとう」と彼は言う。同時に見せた笑顔は、少し幼い印象だ。


 二番スクリーンへと歩く彼の足音だけが特別な響きで耳に入る理由を、和真は本当はわかっている。彼は、兄に似ているのだ。背格好と歩き方が。


「歩き方が似てると足音まで似るんだな……」


 和真はぼそりとつぶやくと、入口を入ってくる客に「いらっしゃいませ」と声をかけ、寒さで丸まりそうな背中をぴんと伸ばした。

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