第四十四話 一輪の少女

 ほのかに感じる薬品の香り、白く無機質な病室、異世界帰宅部には見慣れた天井。

 点滴の管が伸びるベッド二つへ向かって無島は説教を飛ばす。


「で、喧嘩でお互い収めたと……バカか?」


 包帯とギプスで全身を包み、起き上がれもできなくなったアスハとツムギがマットレスの上で横たわっていた。

 かろうじて動く親指を立て、アスハは自信に満ちた表情を浮かべる。


「大丈夫です無島さん、拳でちゃんと語り合いましたから」


「ハッ倒すぞ凛藤。ミイラ取りがミイラになってんじゃねぇ」


 親友同士の殴り合いは盛り上がり過ぎたのだ。


 組織運営かつ回復魔法による治療が行われる病院にて、全治一週間の診断を下されてしまった。

 ツムギはアバラの粉砕骨折と顔面骨折、アスハは頭蓋骨のヒビに両肩の脱臼とかなりの重傷を負っている。


 怪我の理由を知った時には主治医ですら絶句するレベルのバカな負傷だった。


「ったく、いつから凛藤までアホになったんだか。まあ一件落着なのは良いけどよ、あんま病院にかかるような怪我は減らせ。それに……」


 バカ二人組から目線を上げ、無島はむくれ顔の少女を冷めた目で見た。


「鹿深近のこの顔見んのもいい加減飽きた」


 リリは低く唸ったまま、男二人の頭にアイアンクロウをかける。


「ごめんってリリィあだだだだだだだだ」


「もうこんなことしねェからいでででででででで」


「やめとけ鹿深近、もう一回転生させちまう」


 万力のような圧力で挟み込んだ後、リリは不機嫌そうにそっぽを向く。


「もう二人とも入院中のお世話してあげなーい」


「あーあーあー、女子は怒らせっと怖ぇぞ~」


 頭の痛みを抑えながら、戸惑った様子でツムギは声をかける。


「すまねェなリリィ。前も見舞いに来てくれたってのに」


「ふんっ」


「本当に悪かった。もうお前ら相手にあんなことはしないって誓うぜ」


「俺は別に構わないよ」


「へ?」


「喧嘩、ならね」


 全身の筋肉痛を感じるまま、アスハは親友を掘り返す。


「ただの仲直りなら口だけでも良い。けどそれじゃ足りなかったから、俺達は思いをぶつけて殴り合った。あの喧嘩はそういうものだった筈だ」


「アスハ……」


「だから俺はもう逃げない。文字通り真っ向からキミと向き合うから。その時はまた歯を食いしばってね、ツム――相棒」


「……おう!」


 親友達の間にそれ以上の会話は不要だった。


 しかしその場で少女だけは一切納得していない。


「ほ~ら~ま~た~! アタシだけ蚊帳の外じゃん! アタシにも殴らせろ~!!」


「バッカ鹿深近やめろ。これ以上コイツら怪我したら俺の立場が危ねぇんだよ」


「じゃあ代わりに無島さんのこと殴る!」


「意味が分からねぇ! 八つ当たりにもほどがあるぞ!?」


 わちゃわちゃと腕を伸ばすリリには無島も困ったように彼女を押さえていた。



 ※



「まったくもぉ~、男子だけでズルいよホント。アタシには出来ない方法で解決しちゃうんだから」


 結局は二人の着替えや食料諸々を用意してから、リリは病院を後にした。

 疎外感から多少の苛立ちこそ覚えているが、歩いているうちにそんな気持ちも落ち着いていく。


「まあでも、そういうもんなのかな~。どの世界でも男の子は」


 無計画に出かけ、見ている側を何度も心配させ、怪我をして帰って来る。まさに子供の遊びと同じようなもの。


 その振り回され方と、どこか最後にホッとしてしまう安心感に、リリは懐かしいものを覚える。思いは彼女のまぶたに異世界の記憶を投影させる。


「なんか、義兄弟と息子たちコト思い出したわ。あの子たちは今頃上手くやれてるかな~」


 子供達のことを想いながら、静寂の夜を進む。その足取りには軽快さが宿っていた。


 ――だが災厄は時を選ばない。


「あら、ちょうど良く魔力を孕んでる生娘がいるじゃない」


 世界は業火に包まれる。炎熱は世界と空間を遮断し、疑似的な焼野原が出現する。

 世界の中に極小の別世界を捻じ込んだ亜空間。その風景はリリが目にして来た中でも群を抜いて趣味が悪い。


 火焔の海を切り拓いたように、高貴なドレスを纏った少女が佇んでいた。縦に巻いた栗色の長髪が熱風に靡き、瞳には加虐的な狂気が輝いている。

「キャハハ」と甲高い声で喚く口を、これ見よがしに指輪を嵌めた手で覆う。


 言うまでもなく敵意を剥き出す少女との邂逅。しかしリリは眉一つ動かさずに、眼の鋭さだけを研いだ。


「はぁ、友達のお見舞い行った帰りにこれ? もう今日は勘弁したいんだけど」


 軽い口ぶりとは裏腹に、リリの手には既に杖が握られている。魔力装填も整い、いつでも戦闘開始が可能。


 殺意はとっくに装備されている。


「随分不敬ね。異郷の地とはいえ、このわらわに対してひれ伏しもしないだなんて。全くもって業腹ね」


 傲慢さゆえか、鈍感なのか、あるいはその両方か。少女はリリの威圧にこれしきも反応しない。


 不遜なる姫君は傍で踊る炎の先を撫でる。


「フレイムカーネーション」


 火焔はどこまでも平坦な荒野の中で目を覚まし、波のように彼女達の周囲へなだれ込む。一点の抜け目もなく火の手は少女らを取り囲んだ。


「妾の望む業火の中で、焼けて床にでもなりなさい」


「舐めた小娘ね。炎程度で威嚇のつもり? 肌荒れ今より酷くなるわよ」

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