第三十六話 獣の眠る地
「と、昔話はこの辺りにしておくかな」
過去を弟子に明かして尚、羽山の表情に変わりはなかった。景色でも見ているような、穏やかな目のままその物語を語り終える。
「どうだい? こんな飄々とした男の過去にしては、胃がもたれる話だっただろう」
「すいません。なんて答えれば良いのか、言葉が見つかりません」
「気を遣う必要はない、何十年も前に乗り越えた話だ。それゆえ、果たしてキミの望む答えだったかどうかは分からないがね」
平静のまま、羽山は最後の魔物に手をかける。
「……おっと、もう終わりか。アスハ君もそれで最後かな?」
「ええ。これで最後です」
過去を語り終える頃には、空間に溢れていたおびただしい魔物達は駆逐されていた。静寂が訪れたダンジョンの中にアスハの剣の金属音だけが僅かに残響となっている。
「お疲れ様、ではいこうか」
二人は隆起した地面を一歩づつ進む。小高い丘のような地形を何個も越えていく。
「ところで羽山さん、どこに向かってるんですか?」
「君が倒すべき敵の顔が見えるところまで」
「まだ見えないということは、まだ遠いですね」
「いいや、君はその敵と遭遇している。暗くて見づらいだろうから、虫よけがてらに明るい場所へ移動していただけだ」
「えっ?」
「見上げてご覧。あれが封印の獣だ」
アスハは暗黒の空を仰ぐ。白い月しか見えていない目を凝らし、徐々に闇へ慣らしていく。
「これはッ……!」
彼はようやく理解した。月だと思っていたそれが、巨大な獣の目玉であることに。
闇に適応した眼で辺りを見渡せば、地面にも天井にも生々しい肉の根が生え渡っている。それでいて肉の根は明らかに胎動していた。
魔力が絶え間なく流れている。空間へ溢れるほどの瘴気、羽山の浸礼魔法でも中和しきれないほどの魔力循環。途方もないほどの魔力が、存在してはいけない生命がそこにあった。
「本来ここの地脈はこれほどの魔力を放流していなかった。だが封印時にコイツの回路と繋がり、結果は膨大な魔力を生み出す形となった」
「もしかして魔獣や瘴気の元凶は、こいつが……」
「それは少し違う。たしかに呼び水や原因の一つではあるが、根本的な元凶はこいつではない。実際、ここで発生している魔物と君が討伐してきた魔獣は姿が大きく異なるだろう?」
「……確かに。つい最近まではどんなに異形でも獣型しか見たことがなかった。ということは、これも一連の異常現象の一部でしかない。そういうことですね」
「そうだ。なによりこの獣を封印した当時には既に、異世界帰還者の気配は街に溢れていたからね。時系列から考えても、直接的な原因ではないだろう」
「だったら、その原因っていうのは」
「結論から言えば……分からない。この魔獣大量発生と異世界帰還者の増加、この事象のきっかけを突き止めは出来なかった。だが私は、この世界そのものが何かを求めている気がするんだ」
「なにを、ですか」
「我々の異世界転生には、何らかの意思が介在していると考えている。勇者を求める召喚者、術式、願い――『世界』、そのもの。その呼び声に答えられる者として、我々が転生しているのだと」
真相を知る者はいない。だが羽山は一人、この異世界転生の真実について帰還以来、誰よりも答えを考え続けていた。
「もしその異世界転生と同じように、この世界が異世界帰還者を。異世界の力を持った者達を求めているとしたら或いは……まあ、想像の域からは出ない話だけどね」
確証のない推測だとして、羽山はそれ以上は語らなかった。
話は異世界転生から、未だ眠りについている魔獣に戻る。
「この魔獣は、こうして拘束したまま消滅させることはできないのですか」
「地脈と繋がっているこの状態ではまず不可能だ。地脈との回路を切断し、地上で討伐するしか手段はない」
「なら、羽山さんの言う通りこの魔獣の封印を解いて地上で葬る。そういう流れですね?」
「と、それはその通りだがそこで本題だ。この魔獣は現在、私の気合いでギリギリ抑えている状態だ」
「こんな大魔獣を常に、浸礼魔法だけでなんて……」
「こればっかりは浸礼魔法だけではない。ある裏技を使っているのさ」
刹那、浸礼魔法とは異なる白の閃光が神父の心臓部を照らす。浸礼魔法の魔力濃度よりも更に濃密。微量ながらも凄まじい力を秘めたエネルギーが彼の魂に宿っている。
アスハがそれを観測するのは二度目のことであった。
「『
「『フル・リバイブ』って、グリフェルトが使っていた、あの……」
「知っていたか。であれば話は早い」
――『
まだ謎が多いこの力の詳細は不明であるが、アスハは嫌な予感を抱いていた。
「私は元より浸礼魔法、魂に精通していた身。魂の知覚と世界との繋がりは他の帰還者とは比にならない。そんな私だからこそ、この『
「それにしても、こんな規模は……」
「キミの想像通り、本来なら不可能だ。だがこんな無茶苦茶を押し通せたのは、それなりの代償があったからさ」
「羽山さん?」
穏やかに笑ったまま、羽山は自分の体について打ち明ける。
「――もう、力が残っていないんだ。自分の魂を擦り減らしてまで発動してきた代価だな。やがてこの肉体の寿命を迎える前に魂は塵となる」
「まさか、羽山さんっ……!」
「私は近いうちに消滅する。もう残り僅かな命だ」
その衝撃にアスハは目を剥いた。首を振り涙を滲ませながら、声を失う。
「街の平和を引き換えに封じて来たが、それも私の命が尽きるまでの事。これは君への試練であると同時に、私の勝手な頼みだ」
灰の心にまた一つ、運命は残酷なカードを突き付ける。
「この獣から街を、皆を助けてほしい」
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