薄氷の上で彼女は踊る

由甫 啓

序幕

 年の暮れ。僕は一人黙々とノートパソコンのキーを叩いている。

 エアコンから漏れ出る暖風は酷く気弱で、潜り込んだ炬燵の電源を付けてやっと気持ちよく過ごせる。……思えば夏頃から掃除をしただろうか? 掃除一つで景気良く暖かくなるのならしたほうがいいのだろうけど、億劫だ。何も、今やらずともいいだろう。春先にでもやればいいのだ。

 やらない理由の見つけやすさたるや、やる理由の何倍と見つけやすく、即断即決で動ける人間と恐らく頭の中身が違うのだろうね。僕はどうしても面倒で億劫だと感じてしまうものだから、先に先にと伸ばして伸ばせなくなって、やっとやらねばと思うのだ。

 少し憂鬱になり顎を、耳の下あたりを強く揉む。


 いつの頃からかさっぱり分からないけれど、僕のこの顎はどうにも構造的な欠陥を抱いているのではないかと疑うようになった。

 というのも、欠伸やらちょっと多く飯を食べようと口を大きく開けると右側の顎の関節が痛みを訴えるのだ。油断すれば顎が外れたようになって中々閉まらないなんてことがある。思わず関節の辺りをぐりぐりとやってしまうのだが、そうでもしなければ顎の治まりが悪いのだ。


 頻繁にそれを感じるのは冬の時期であるから、これは寒さのせいなのだろうな。家族を見ても僕だけの身体的問題であるのは明白だし、家系的なものでもないとなると病気か何かなのだろうと思う。


 こういう時、ネットで病状とかを検索したりすると大概大袈裟な言い回しで驚かしてくるものだから、逆に大したことないんだろうな。ああいうのは、ブログを見て欲しくて大声で何事か言っているだけなのが大半だろう。

 まあ、これで本当に重病でネットで調べて知っていたのに、手遅れですなんて言われた日には誰に言われたわけでもなく騙された様な気持ちになりそうだけど。


 テレビの向こうでは女子アナが防寒着を着込んで年始年末の寒さを案じている。ご苦労なことだと思う。あんなに寒そうに震えながら仕事をしないといけないのは嫌だな。もう大学行きは決まっているけど、進路を真剣に考えるというのは存外大切なのかもしれない。したい仕事があるわけではないけどしたくない仕事は無数にあるのだから消去法的に就職を目指すのが僕には最善なんだろうな。


 びゅうびゅうと景気良く吹き荒ぶ雪に負けじと声を張り上げる女子アナ曰く、今日明日は今年一番の寒さだそうだ。テレビでよく聞くそのフレーズを僕はなんというか、胡乱に感じてしまう。どうせ明日には、来週にはもっと冷え込んでいくのだろうし近いうち、また同じことを言うのではないか。だったらわざわざ、そんな大業な言い回しをしなくてもいいんじゃないかと思う。


 家の前の道路をトラックが地面を揺らしながら通っていく。

 音と振動にびくりとして窓に目を移せば白いものがちらほらと舞っている。

 この分だと明日には積もっているだろうね。嫌な話だ。只でさえ出不精なのにこう寒いと何もかも面倒に感じてしまう。寒い中、よく学校やら会社に行くものだよ。普通に考えてマトモではないね。動物やら虫螻の様に引き篭もって過ごし易い季節になるまで籠る様に進化するべきだったのだ、人間は。


 寒いというのは本当に我慢がならないことだ。

 体は否応なく縮こまってしまうし、強張った指はいまいち思い通りに動いてくれない。それに何より凍えるというだけで酷く惨めな気持ちになる。


 冬というのは油断ならない季節だと思う。あまりにも寒く、それに自分が孤独なのだなあと感じさせる。周りに人がいるとか居ないとかそういう話ではなくて、何となく漠然と、漫然と、末端から寒さに蝕まれていき、思う様に動かなくなって感覚も乏しくなって、その苦しみを自分だけが味わっている。寒さの中に身を置けば、誰もがそうなるだろうとは思う。思うが、結局そういう感覚っていうのは自分だけのもので、他人と同じ様に感じているかなんて理解できないわけで。


 それは、ひどく孤独なことじゃないか? ひもじく、なにやら不憫で自分だけがこうも哀れなのだなんて考えてしまう。ああ、嫌だ嫌だ。後ろ向きに考えてしまうのは生来の質なのだろうな。寒いとそれが余計顕著になる。つい噛み締めていた口から力を抜いて、顎をぐりぐりとやる。


 起きてからずっと向かい合っていたノートパソコンの液晶には、何行か増えただけの文書作成用のソフトウェアが佇んでいる。原稿用紙一枚も書けてない。なんなら途中途中添削したものだから総文字数で言ったら増えてるどころか減ってるんじゃないだろうか。

 思わず溜息が出る。冬休み中にどこまで書けるだろう。


 炬燵の上に置いたノートパソコンから手を離す。エアコンの調子が悪くて部屋全体が中々に暖まらないのだ。少しキーを弾くだけで、強張ってしまう指を炬燵の中で態々ほぐしてやらなければロクにキーボードも叩けやしない。


 ……こうして思いつくままに小説を書けるのはいつまでだろう? 来年、大学に通いながら気持ちが続く限り書き続けているだろうか。就職しても書いているだろうか? 少しずつ気持ちが離れて昔はそういうことをしていたなと思い出として消化してしまうんじゃないか。

 そう思うと何か、眼に見える形でそこそこやってきたんだという証しみたいなものが欲しくなってくる。文芸部にでも入ればよかったかなと思うが、和気藹々とするのは好みでないからと見学にも行かなかったのは、少しばかり惜しかったかもしれない。


 ああ、駄目だな。余計なことばかり考えて集中なんてとても出来やしない。ここまでにしてしまおう。まだ昼前なのだから、時間はたっぷりある。ただ今日中にせめてこの章ぐらいは拵えてしまいたいものだ。


 ノートパソコンをそのまま閉じ、立ち上がる。起きてからずっと背を丸くして書いていたからぐっと体を伸ばすと気持ちがいい。


 冬休みに入ってからの僕というやつは自堕落に家の中に引き篭もり、友達からの誘いも極力断るようにしていた。人付き合いよりも寒さだ。こんな冷え切った世界に飛び出していくなんていうのは愚かしいことだと思う。暖房器具で暖かになった部屋から出られようか。

 かといって見下ろすノートパソコン上の小説もどきを思うと外に飛び出したくもなるが。


 こうして一人で茫洋と小説なんてものを書こうと思ったのは何がきっかけだったろう。切っ掛けなんてもう覚えてないが、なにか大切なことがあったんだろうなとは思う。忘れてしまうようなことだから余程昔のことだろうか。


 この冬休みという限られた休みの殆どをあるかも判らない才能やらセンス、言葉選びを信じて書き綴るなんてのは凡そマトモじゃない。高三最後の冬ともなればなおのことだ。

 友達と遊んだり、彼女と出掛けてみたり。まあ色々人それぞれに何がしかの楽しみに追われるのではないだろうか。そう遠くないうちに訪れる同級生の別れは殆どの場合、その多くとは今生の別れ足り得るかもしれないわけで、新生活ともなれば遊び歩く暇も無かったりするのではないか?


 そういった生活の色々を押し込めてなお引き篭もり、閉じこもり外界との接触を最低限に、心のうちに向き合って有りもしない、起こりもしない空想の世界を必死に捻り出して書き出して。そんな、人前に出すなんて到底憚られて然るべきものを難産して。そんな風に小説を書いているなんてのは普通じゃない。少しおかしな奴のやることだ。

 そのどう取り繕っても可笑しな僕というやつはその上で小説家になりたいだとか、そんな大それた事を考えて書いているわけじゃない。いやね、思わないこともないわけだけどさ。そんな事より、僕の内面というやつを見て欲しいのだな。


 なんといったらいいのだろう。

 こういう時に言葉がすっと出てこないのが悪いのだろうな。


 別に賞賛でも罵倒でもどちらでも構わないのだ。僕の考えを、思想やら信念みたいなものとか、人となりとか、そういった何かしらを文字に起こしてみて、それを何処の誰とも知らない人達が読んであーだこーだと言っているのを、作者である僕を抜きに話している人達を見たいのだな。こんなものを読んでるこの人たちは何処から現れて何をしているのだろう、だとか。偶に僕の考えを僕以上に理解して口にする人がいて、その人こそが本当はこの物語の手綱をとって然るべき終わりに導くべきなんじゃないか、とか。


 まあ、益体もないことを幾ら心の内で喚いていも仕方がないのだし、エッセイのようなものを書いてみてもいいのかもしれない。寧ろ、そういったものの方が面白がられるのかもしれないぞ。

 この仄かに喚く薄暗い承認欲求のようなものを投稿サイトにぶちまけて。そうやって生きている若者というのは少なくないんだろうなと思う。


 僕というのはどんなに言い繕っても結局のところ大多数なのだ。そこから逸れるのは大変であるし、そこから逸れてしまって、足跡のない道を歩けるほど、僕は勇ましくない。


 情けない事だ。

 一度やったバイトから鑑みるに、マトモな会社で真面目に働くなんてことをしたら心がひしゃげてしまうに違いないのだから、もしかしたらを追いかけておかなければならない。

 自分という宝くじの当選発表は未だ早いのだと嘯き続けなければならない。

 いつ迄待てるか判らないのだから必死に走るべきなのだ。せめて早く判りますようにと。



 これは、何処にでもいる凡庸な盆暗の何でもない書き殴り。そんなもん上げるなよ、なんて方も多いでしょうしそりゃそうだと思いもします。

 自分のホームページとか、そういったものを作れば良かったんだろうなとは思うけど、そんな暇も無かったので許しを。


 とはいえね、誰だって叫びたくなる時があるんです。これを読んでくださる読者の方とか、先輩後輩同級生、先生に親戚だって、世界中の誰も彼もが、僕のことを、彼女のことを読んでくれる、知ってくれるのなら発表の場なんて瑣末なことで御座いましょう。


 読んで大変だったなあとかもっと頑張れよとか色んな意見が出るでしょう。それなりに頑張ってみたんですよこれでもね。あっという間に忘れてもらって構いません。ネットの海にある限り誰かはきっと読んでくれるし覚えてくれる。それでいいのです。

 誰にだって言えないような悲しいことがあるんです。そしたら叫ぶんです、柄にもないなんて思わずに叫べばいいのです。ネットの海に書き散らす、これは僕の叫びです。これが僕の叫びです。

 では、最後に。ああ、どうか稚拙さにはご容赦を。どうか決して調べないでください。これは、ただのよくある物語で御座いますれば。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る