第二章 購入動機

 最初は単に人間の仕草を真似るロボットくらいの認識しか持っていなかった。だが、公共放送がこのアンドロイドを取り上げた番組を視て衝撃を受けた。人間の接し方次第で《心》を持つ準生命体へと成長することが可能であるらしいのだ。

 その番組の中でもっとも時間を割いて議論されていたのが《心》の定義。

 心は本来人間だけが持つものであり、それ以外の動物には存在しないと断言する学者。犬や猫などの、人間と接する機会が多い動物、クジラやイルカなど高度に脳が発達した海生哺乳類、また一部の霊長類にも相手を気遣うことができる心を持っていると主張する研究者。更には、広義の意味で地球上の生きとし生ける全ての生命には心が宿ると語る自然保護団体の代表者等々、議論百出なれども結論出ず、のよくあるパターンで番組は終わった。

 私が興味を惹かれたのは、このアンドロイドの開発に携わったある心理学者の話し。その人の考えでは、人間の個性のうち身体的特徴は親からの遺伝子によって引き継がれるが、言葉や行動を起こす元となる脳=心の発達は、自分以外の人間から発せられる声、それに視覚から得られる相手の行動のコピー、即ち≪真似≫から始まる。

 自分のまわりの世界を理解できるようになると、本や放送などのメディアからも知識を吸収し、得られた情報を取捨選択、咀嚼、複合処理してそれらを脳に蓄積し、様々な状況に際して活用・応用していく。

 アンドロイドの思考プログラムも基本的な構造は同じで、最低限で最重要の行動原則、たとえば『重力は質量のある物体に影響を及ぼす』『動く物体に接触すると衝撃を受ける。速い速度で運動する物体ほど衝突した時の衝撃が大きい』『物体がある一点の同じ空間に同時に存在することはできない』など物理の大原則を組み込むだけで、あとは人間の成長と同じように、自分のまわりの環境から得られる情報を処理して、自己の個性を発展させていくに任せればよい、と言うのである。

 人間や動物に危害を加えることがないよう、アンドロイドにはなんらかの安全対策が施されているのか? との司会者の問いにその心理学者は

 「そこは開発者の間でも特に意見が割れたところなのですが、最終的に完成したプログラムには、腕力などを伴う実力行使に自らストップをかける命令を組み込んでいません。

 自分以外の生命体に危害を加えてはならないと設定してしまうと、万一、人間や動物からなんらかの攻撃を受けた時、自己防衛のための反撃をできなくしてしまう規制を自分自身でかけることになります。自己防衛をしなければならない事態に遭遇した場合、最低限の抵抗ができなければ再起できないほどのダメージを受けてしまう可能性もあり得ます。人間なら無抵抗の状態で致命傷となるような怪我を負わされるのと同じです」

 「しかし自分に向けられた攻撃かどうかを判断するのは、かなり高度な分析能力が必要になりますよね。ちょっとふざけて肩を押したのを攻撃と勘違いして相手に強烈な一撃をくらわすとか…」

 と、多くの視聴者が感じているであろう不安を、コメンテーターのひとりが投げかけた。

 「もちろん勘違いはあるでしょう。しかしそれは人間同士にも起こりうる日常的な誤解の範囲に過ぎません。もしも我々が友人からふざけて軽く小突かれる場面に出くわしたら皆さんはどうされますか? いきなり相手に殴りかかったりする人はいないでしょう。

 肩を押した相手が知っている人ならば、まずその行動がとられた前後のシチュエーションを考えて『この人はふざけて私の肩を小突いたんだ』と瞬時に脳で判断しているのではないでしょうか。その上で笑顔を作ったり軽く押し返したりと状況に合わせたリアクションをしているはずです。

 このアンドロイドも皆さんと同じように、自身が成長する過程で経験し学習した積み重ねを行動の基本とするので、その時々の状況に合わせた反応を返すことが可能なのです。だからことさら警戒する必要はありません」

 「でも力は強いですよね? アンドロイドはちょっとのつもりでも、生身の人間にしてみれば吹っ飛んでしまうほどのパワーを発揮するんじゃありませんか?」

 「それは大丈夫です。人間の筋力にあたるパワーユニットの上限値を、平均的な日本人女性もしくは男性の力に設定しているので、スーパーマンのような怪力を持っているわけではありません」

 人間をはるかにしのぐような力持ちではないらしい。

 「痛みはどうですか? 人間と同じように痛みも感じるのでしょうか?」

 と別のコメンテーターが質問した。

 「人間の痛覚に相当する極小センサーを全身の皮膚ユニットに備えています。皮膚を叩いたりつねったりすると、その物理的な圧迫信号を感知したアンドロイドの感覚中枢から信号が発信されます。この信号は人間だと不快に感じるような要素を数値化し、その値の累積が増えることで《不快感》を覚えるものです。数値の増え方は受けた圧迫の強さなどによって溜まっていく速さや量が違います。

 これはとても重要なシステムで、人間もアンドロイドと同じように外部から圧迫を受けると不快を感じるのだと学習することで、相手を思いやる心が得られるのです」

 なるほど、これがアンドロイドの人を思いやる心の根源となるのだ。

 「教育も必要ですね。人間の子供と同じように学校に通わせて低学年レベルから勉強させるのでしょうか」

 「その必要はありません。現在は出荷時の設定年齢に合わせた教育水準と会話機能を持たせています。それをベースに新たな知識を各個体が日常生活の中で学んでいくことになります。中にはライフワークをみつけて、その道のエキスパートとなる個体が出てくるかもしれませんね。

 将来的には人間と一緒に学校で学べる環境ができると良いですね。アンドロイドが限りなく人間に近い存在となるよう、開発者たちがこれまで以上に知恵を出し合えば夢ではないと思います」


 この番組を視終わるか終わらないうちに、私はインターネットでこのアンドロイドを製作した企業のホームページから詳細を調べ始めていた。気持ちは購入する方向にかなり傾いているが、それでも永く生活を共にするパートナーとなるのだから、詳しい仕様や扱い方、接し方を注文前に知る必要がある。

 価格は国産の新車が買える程度なのでこれは何とかなりそうだ。居住スペースもいま住んでいるマンションなら部屋に余裕があるので大丈夫だろう。

 いや待てよ、ここは独身者専用だからアンドロイドとはいえ同居者がいるとまずいのではないか。ペットはOKなのでそれと同じ扱いになるのか。明日オーナーに訊いてみよう。

 ホームページを読み進むうちに《購入予定者向け実演説明会》の案内が掲載されているのを見つけた。さっそく予約フォームから参加申し込みを行う。

 直近の説明会は来月の予定なので、連絡を待って準備を始めようと思っていたら、知らない番号からの電話が携帯にかかってきた。

 「もしもし?」

 心当たりのない相手からの通話は名乗らず取るのが私の習慣である。

 「アンドロイド・ラボと申しますが藤村さまの携帯電話でしょうか?」

 「はい、そうです」

 「わたくし、アンドロイド・ラボのオサミズと申します。先ほどは実演説明会に申し込みいただきありがとうございました」

 「あ、はいはい」

 予想外の返事の早さに驚いたが、通販を申し込んで二日や三日は平気で放置する企業がある中で、このアンドロイド・ラボは少なくとも顧客対応についてはちゃんとした会社であると思った。

 「実はあす開催予定の説明会にキャンセルが出ており、藤村さまのご都合が合えばご参加できないかと思い連絡を差し上げました」

 「え、急ですね! 何時からですか?」

 「午後二時からを予定しております」

 「ちょっと待ってください」

 電話を置きスケジュール帳を確認すると、午後からの打ち合わせが一件入っていたが、これはたいして乗り気ではないクライアントの仕事の分なのでキャンセルしてもかまわない。

 「大丈夫です、行きますゆきます!」

 「それは良かった。では明日、事務所の方でお待ちしております。場所はお判りになりますか?」

 「判ります。印鑑は持って行ったほうがいいですか?」

 「あ、いや、印鑑はまだ結構です。それではあす午後二時に」

 買う気満々の消費者心理をさらけ出し、価格交渉には極めて不利な状況を作ってしまったかもしれないが、それより何より一刻も早くアンドロイドの実際の能力をこの目で確かめたい。次の説明会はひと月半も先だ。気が変わらないとも限らない。思い立ったが吉日、アンドロイドが私の想像通りの力を備えているのがわかればその場で契約書に署名押印してしまおう。だから印鑑は持っていくことにする。

 今夜は楽しみすぎて眠れないぞと思いきや、いつの間にかパソコンのキーボードに突っ伏して寝落ちしていた。

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