第3話 反省文と殺意




 ──AM 11:30

 ──ルフレ魔術学園・生徒会室

 


 入学式を終えた俺とノノアは、今生徒会室へとやって来ていた。



 そこまで広くは無い、実益を詰め込んだコンパクトな部屋。執務机はどれも綺麗に整っていて、積み上げられた書類の束は頭痛を覚えるほどには既視感があった。

 他にも、壁に貼り付けられた落書きがされたホワイトボードや、窓際に置かれた四代目のコーヒーサーバー。

 今俺が座る客席も、年季が入っていて俺は好きだった。


 全部、ちゃんと俺の知るものだった。

 来年には会長から受け継ぐ事になる、俺の確かな居場所のひとつ。

 

 そんな、なんて事ない思い出を振り返りながら、俺はこの生徒会室で今────反省文を書かされていた。

 二百文字原稿用紙五枚。内容は、当然先程の入学式での凶行について。


 現実逃避はここまでだった。

 俺は目の前に座るミュタ副会長を見て思う。


 無機物は、どれも変わらず俺を迎え入れてくれると言うのに。

 どうしてこうも、人と現実は俺に優しくないのだろうかと。

 


「──はぁ……」

「何だその態度は」



 今この時間は、入学式が遅延した場合の為の予備の様な時間だった。

 一応無事終わりを告げた事で生まれた空白のこの時間は、いつもなら俺はできる限りの重要人物達に会いに行って初の邂逅を済ませていたと記憶している。

 そして、その後同クラスの生徒達と親交を深める為昼食を共にし、午後は何でもない平和なオリエンテーションを聞き流すのがココ最近の決まった行動だったのだ。

 それが、俺が何時しか見出したスタートダッシュの基本形。


 だと言うのに、俺はなんの得にもならない紙を前にしながら溜息すら許されない環境にいた。

 強制的に連行され、監視の元に無理矢理ペンを握らされている。


 俺は、どう考えたって被害者だった。

 一向に進まない筆をただ握りしめながら、行き場のない感情に俺はどんどん目が死んでいった。


 



「んふふっ」

「…………」




 そんな俺とは反して、隣の肩が触れ合う距離で嬉しそうにノノアはペンを走らせていた。

 なんで嬉しそうなんだと考えて、これは勝手な邪推でしかないが恐らく大衆の前で恋人アピールができた事が大層嬉しかったのでは無いかと思った。

 そして、そんな彼女に反省の色が見えないとミュタ副会長は額に青筋を浮かべていて。

 この場には後会長と正門前で新入生の案内をしていた二人も居り、講堂控え室以上の四面楚歌が俺に牙を剥いて襲いかかっていた。



「何でこんな事……」

「聞こえてるからな」


 未だにほぼ白紙の原稿用紙を見て思う。

 やっぱり、何度考えても俺は悪くなかった。


 そして、考える度にこんな茶番に真面目に付き合っている事自体が最後の世界への冒涜な様な気がして、俺は思いつかない反省の意よりも今この部屋を飛び出したらどうなるかを真剣に考え始めた。

 結局、余計面倒な事になると結論付けて俺は再びペンを取る事しか出来なかったが。


 それでも、やっぱり納得のいかない感情は消えない。

 だから俺は情に訴える事にして説得の言葉を考え始めた。

 それは、彼等は俺を知らないが俺は彼らを知っていたから。だから俺は、彼等の心に響く様な言葉を試行錯誤し、取捨選択して、



「副会長。情状酌量って──」

「無い」

「……会長、今の俺に思う所は」

「知らん」



 俺は、そんな彼らの態度と言葉にいよいよ震え出す拳を止める術を持っていなかった。


 ──俺はこんな事をしている場合ではないと、そう叫びたい気分でいっぱいだった。

 この無駄な時間は今後の計画に大きく影響し、下手すれば全てがお前らのせいで台無しになりかけているのだと言ってやりたかった。


 けれど、記憶継承をしていない相手に無理に詰め寄った所で余計に敵を作るだけだと簡単に想像出来てしまって、だからこそ俺は何処までも権力に対して無力だった。


 ただそれでも、俺は人の気も知らずに平気な顔で邪魔してくるこの部屋にいる全員に、少なくない苛立ちを覚える事はもう止められそうには無かった。



「ノノア、近い」

「えっ…………」


 俺の一応これでも抑えた八つ当たりを含む指摘に、しかしノノアは絶望の表情と共に目の端に涙を浮かべた。

 その顔を見て、しかし今の俺は先程迄の様には動じない。

 とは言え結局彼女との思い出が邪魔してこれ以上の事は何も言えない訳だが、それでも今後を考えると何時までもそんな事を気にしている余裕が無い事は自覚した。


 だから俺は本気で、今俺を取り巻いているもの達を煩わしく思ってしまう。それを振り払う力も知恵も無いことを、今はただ嘆くことしか出来なかったが。

 

「──ミュタ、精査してくれ」

「あ、会長もう書いたんですか?」


 そう言って副会長は席を立ち、声を発した会長の元へと向う。

 その様子を横目で見ていると、俺は不遜に腕を組んでいる会長と目が合った。


 今この場で唯一俺の引流を下げている要素。

 それは、ネイル会長もちゃんと反省文を書かされている事だった。


 実はそれも当然の話で、あの後何時までも強情さを覆さなかったノノアにゴーサインを出したのは他でもない彼だった。

 事情を知らない彼からすれば無理やりノノアを剥がして魔法なりで拘束する手も合ったはずなのに、つまり俺は彼の最終判断のせいでこの状況に巻き込まれている様なものだった。


 その癖反省文を書けと宣う副会長を止めることもせず、ただ成り行きを見守る様に俺達に視線を向けていた。

 その巫山戯た状況に、そして彼はああいった公の場で巫山戯る事が何よりも嫌いだった筈なのに、らしくない行動に俺は彼が記憶持ちである事すら疑い始めていた。



「首席、一年。原稿用紙を貸せ」

「は?」

「えっ? あ、私まだ……」

「だから貸せと言っている。そしてもう行っていい」


「会長!? 何を……!?」



 そして、また意味不明な事を言い出す会長に俺は流石に失礼を承知で訝しげな目を向けた。

 自席から立ち上がり、俺達から書きかけの原稿用紙を奪った彼はすぐ横で俺を見下げてくる。

 その彼を俺は見上げ返して──否、睨み返した。


「何がしたいんですか、会長……?」

「…………」


 こんな半端な状態で帰っていいと言うのならば、そもそもなぜ連れてきたのかと誰だって思う事だろう。


 特に俺は、行動や罰に意味があるのならまだ多少は納得出来た。けれど、そうでないのなら本気で邪魔をして欲しくなかった。

 座る俺と立つ彼の目が交差して、望む望まざるに関わらず生徒会室に嫌な緊張が走る。

 生徒会メンバーとノノアは俺と会長の様子を黙って見守ってはいたが、隣に座るノノアは不安からか俺の左手を強く握ってきた。


 そして俺はそれを無意識の内に握り返してしまい、直ぐにそれでは駄目だと思い返して手を緩める。

 


「今回の事は、俺の責任で片をつける」

「じゃあ何で呼んだんですか? それなら最初から……」

「ただの道楽だ。悪かったな」


 ただの道楽。その言葉が似合わない人間は誰かと聞かれれば、俺は直ぐに目の前の男だと迷いなく答えられた。

 今まで彼の堅苦しさに助けられも追い詰められもして来たからこそ、そんな説明ではいそうですかと納得が行く訳無かったのだ。



 そして、だからこそ俺は彼の言葉にひとつの確信を得た。


 ──彼は恐らく、記憶を継承している。

 それがどの世界線の記憶かまでは分からないが、それだけは確かだと思えた。


 様子のおかしい、彼らしくない数々の言動。

 暴走するノノアに理解を示した事や、彼にしては筋の通っていない一連の流れ。

 考えれば考えるほど浮上するその可能性に、しかし俺は喜んで良いのか悪いのかまでは分からなかった。


 味方になれば頼もしい事は変わりない。けれど、彼の目はまさしく警戒し、探っている最中だと見て取れた。


 今回確実に彼の記憶に無い行動を取ったであろうノノアの存在。

 そしてそのノノアと常にくっ付いている首席の男。


 多分、彼自身も俺達を記憶持ちとして疑っている。

 だからこそ、恐らく彼はノノアの執着の先に何があるのかを確かめたかったのかも知れない。

 そして、この部屋に連れてきたのもその一部なのだろうと思った。

 そう考えると、本来合理的な筈の彼のおかしな行動にもようやく説明が付いてくる。俺からすればはた迷惑でしか無かったが、それでも彼らしいと言ってしまえばそれまでだった。


「会長は……」


「何だ」

「……いえ、なんでもないです」


 仮に、この場で記憶の話をすればどうなるんだろうと考える。

 俺が今までの世界線で記憶の話をして来なかったのは、どうあっても信じては貰えなかったからだ。

 何度か試した事はあったのだ。それでも、結論としては信じてもらうより暗躍してそれぞれの行動を計算して操る事の方が早いと思った。

 けれど、今は少し話が違う事も分かる。

 と同時に、やはり部外者は居ない方が良いだろうとも思った。

 今この場にいる、副会長と書記と会計。彼女らに余計な混乱を招くだけだろうし、それはつまり自分からイレギュラーを増やす行為になった。


 それに、彼はノノアと違ってだいぶ冷静に今の状況を見極めている様で、その分結論を出すのに幾らか猶予はある様に思える。


「ノノア、行こう」

「あ、うん」


 立ち上がって、生徒会室を後にしようとする。

 直ぐに俺の左手に抱きついてきた彼女に冷めた視線を向けるが、彼女はそれに一切動じなかった。

 引き剥がそうにも無駄だと知っているので、なるべく心を無にしようとした俺は部屋を出る前にひとつ素晴らしい事を思いついた。


 それは、この場で会長に俺の記憶の存在を仄めかしつつ、副会長にも纏めて意趣返しかつ恩返しできる素晴らしい“道楽”。

 思いついたタイミング故にノノアのお陰かと一瞬思ってしまったが、全然そんな事は無かった。



「──そういえばミュタ副会長」

「? な、何だ?」

「会長の好きなタイプは家庭的な眼鏡女子らしいですよ」




「──は!?」


 ミュタ副会長は、俺の想像通りに声を荒らげさせた。

 威厳ある話し方を意識している彼女はその実初心で、急に“好きな人”のタイプを告げられて勢いよくその顔を赤く染めた。


「…………」


 そして、会長はやはりその言葉だけで俺の抱えるものを察したようで、今日見た中でも一番鋭い視線を俺へと向けていた。

 これならば、もしかすると今日の放課後にでも彼の方から接触しに来るかもしれなかった。


 俺は彼らの反応に満足して、撒いた地雷をそのままに生徒会室を後にした。



「おい待て! なんだ今のは──!?」



 部屋を出て廊下を去る俺達の背中に、扉から顔だけ出したミュタ副会長の叫び声が掛けられる。

 俺は彼女に言葉は返さず、ただ最後に振り返ってイタズラ成功だと笑顔だけを返した。


 さっきの説得は失敗したが、今回は上手くいった様だ。

 今年生徒会に入る俺と、それと入れ違いで生徒会を抜ける事になるミュタ副会長。

 それでも、面倒見のいい彼女は定期的に顔を出して色んな相談に乗ってくれた事を覚えている。

 そこそこには近しい距離であったからこそ、俺は相談になってもらうと同時に彼女の相談にも乗っていた。


 俺は先程のミュタの顔を思い返して自然と笑みがこぼれる。それこそ最後なのだから、今まで以上にはその恋を応援してあげようと思えた。

 俺が自由を捨てる分、周りには幸せになってもらわないと困るというものだ。


「嬉しそうだね、ユーロ」

「まぁな」


 人の為に生きるというのは、存外楽しい。

 そう思えるからこそ、俺は今まで何度やり直しても心が壊れずにいれたんだと思う。

 

 色々と計画の修正は必要だが、それでも結論だけ見れば良い時間だった様にも思えた。

 会長が記憶持ちだと言うことが分かり、生徒会メンバーともすれ違えば話せる位の面識は持てた。

 今迄に比べれば本当に些細な事では有るが、それでも彼等の力と協力は今後必ず必要になってくる。



 およそ一月後に来る、ルフレ学園第一次侵攻。

 夏にある生徒会選挙。

 十月は我が国で魔術武闘祭が開かれ、そして十二月には第二次侵攻が来る。


 そして、順当に行けば魔王復活は四年後。

 それまでに、何としてでも前回よりは上手く体制を整える。


 大丈夫、まだ破綻はしていないのだ。

 そう自分に言い聞かせて、今までの失態は一度忘れ去る事にした。


「えへへっ」


 隣で俺の腕を抱きしめる彼女には悪いが、やはりその間彼女に構っている暇は無さそうだった。


 彼女にそんな視線を向ければ、そんな気も知らずにノノアは嬉しそうに笑った。ただ俺と居るだけで嬉しいと言わんばかりに俺の腕に頬を擦り付けている。


 俺は数分後には再びその顔を絶望に染める事に、今はただ溜息を付いて。



 それでも、いつかは笑って話せることを信じて俺達は静かに食堂への廊下を歩いていった。














──────────────────

───────────────







 時刻は昼の十二時を少し過ぎた頃。

 あの後生徒会室を去った俺たちは真っ直ぐに購買へと足を運んで、そして見るからに完売している商品棚を見て俺は軽く絶望していた。


「……あの、すいません」

「あら、もしかして買いに来たの? ごめんねぇ……今日はもう終わっちゃって……」


 その言葉に、そう言えば入学初日に購買を利用した事は無かったなと俺は遠い目で他人事のように思った。


 ここは食堂の中に併設している購買。

 本来多種多様なパン等が置かれている筈だったが、今はそういった食品の類は置かれておらずノートやペン等の消耗品だけが幾つも並べられていた。


「まずったな……」

「食堂じゃだめなの?」


 ノノアの言葉に、しかしどう答えるべきかと迷う。

 他でもなく、購買に来たのは彼女と話す時間を作る為だったからだ。

 流石に食堂の人混みの中で話せるような内容でも無く、何処か別の場所へ移ってようやく彼女との関係を整理しようと思ったのだ。


 しかし悉く上手くいかない計画に、俺は思う。

 この周回が始まってから今の所、何ひとつ上手くいっていない気がした。些細な事では有るのだが、小さな綻びが積み重なって山となり行先を阻んで来ようとする。

 俺はもしかすると、今後の計画が全て頓挫する可能性すら空の商品棚を見ながら考えていた。

 もしそうなると、それは誰のせいで俺は今後どうすれば良いのだろうか。

 そんな詮無いことを考え始めて、今は腹ごしらえが先だと購買を後にした。


「いや、食堂行くか」

「うん!」


 本当はあまり良くなかったが、それでも文句を言ってどうなるものでは無い事は確かだ。

 俺は申し訳なさそうに笑う購買のおばちゃんに一言謝って、どっちでも良さそうなノノアを引き連れて未だに人が並んでいる食堂の方へと向かう事にした。



「ノノア、注文してくるから場所取っといてくれないか?」

「え………」

「……それすら嫌なのか……」



 その彼女の反応に、まあここまで来れば確かにそうかと納得する自分もいながら、いやおかしいだろと冷静にキレる自分もいた。


 現実逃避して俺は周りを見渡す。

 食堂は何処までも俺の記憶通りで、講堂並に広くそれは大勢の人で賑わっていた。

 食堂を囲む四方の壁の内ひとつが全体ガラス張りになっていて、外の明るい光が眩しいくらいに差し込んでいる。

 ガラス張りの窓際の席は眺めもよく結構人気で、昼時は本気で急いで来ないとすぐに埋まってしまっていたように記憶している。


で良いか?」

「えっ?……あ、うん……!」

「え、何? その笑顔」


 離れないだろう事は分かっていたので、ノノアを引き連れて麺の列へと並ぶ。

 この食堂は大まかに四種類の内から選べて、ラインナップは定食、弁当、麺、丼物といった感じだ。

 しかしその中身は全て日替わりで、例えば蕎麦が毎日食いたいと言った要望は残念ながら叶える事が出来ない仕様となっている。


 俺が生徒会長になった時に一度その辺を改定した事があったなと思い出す。

 確か食堂の負担が増えて味の劣化に繋がり俺の支持率は三パーセント程下落した筈だった。

 故に、これは仕方がない事なのだ。それに、中には食堂の人に金を握らせて同じものを作らせている人が居ることも俺は知っている。



 そしてその後、昼休憩の時間が残り十五分を切ったあたりでようやく俺たちは昼食を受け取る事が出来た。

 彼女の強い要望で隣合う空いた席を探した為、余計に時間がかかってしまったが人気な窓際と正反対の位置を探す事でようやく要望の場所を見つける事が出来た。


 そんな風に甘やかしているから駄目なのだと、正直心の内で思わなくは無い。

 けれど、今は仕方が無いと自分を納得させた。

 俺の抱えるものを説明さえ出来ればまだ希望はあると思えたからこそ、今は我慢の時だと鼓舞出来たのだ。

 離れる事が確定しているからこそ、無闇に傷つけたくはない。


 そんな事を考えながらようやく席に着くと、目の前に座って食事をしていた二人は俺達を見た途端何故かギョッとして。

 そして急いで残りの昼食をかき込んでどこかへと去って行き、俺はそれを無情と嘆くべきか正直と称えるべきかその答えが分からなくて、隣に座る彼女へと恐る恐る白い視線を向けた。


「……ノノア、今のどう思う?」

「ちょっと失礼だよね……」

「……そうだな」


 九割お前のせいだよと言ってしまった所で、またどうせ泣くだけだろうと思って俺はやめた。


 俺は何度も食べた食堂の中華蕎麦を啜りつつ、俺と少しでも密着する為に左手で蕎麦を食べている右利きの彼女を横目で見る。

 その執念もここまで来ると少し尊敬できると思った。


 しかし周りからは常に視線を感じて、ただ食事をしているだけなのに嫌なくらい注目を浴びていた。

 こういう意味でも、俺は食堂にあまり来たくはなかったのだが。

 この後のオリエンテーションでも似た様な状況になると考えると、流石にただ手を拱いている訳には行かない様に思えた。



「……ノノア、頼みがあるんだけど」

「んえ?」

「午後のオリエンテーション、ちょっと大人しくしててくれないか……?」


 蕎麦に乗せられたかき揚げを頬張りながら不思議そうな顔を浮かべるノノアに、俺は苦笑いを浮かべながら駄目元で聞いてみた。

 正直半ば諦めてはいるが、それでも一応最後まで縋って見ずには居られない。


 結構大袈裟に言ってはいるが、その実せいぜい学校のカリキュラムや設備の口頭説明、後は三年間変わらないクラスメイトの自己紹介くらいではある。

 だがその自己紹介が死ぬ程厄介に俺は思えたのだ。今のノノアが何を言い出すか、想像しただけで本気で頭が痛くなってしまうくらいには。




「……むぅ、なにそれ……」

「せめて自覚はあってくれ」



 案の定不貞腐れてしまった彼女に、ふと思う。

 今更ではあるのだが、そもそも彼女は記憶の事を全然聞いてこないが今の状況を不思議には思わないのだろうかと。

 死に別れた恋人と再開して有頂天になっているのは何となく分かる。だとしても、普通に考えたらそんな事が有り得ないくらいは分かる筈だった。


 会長がそうだったから。優秀ではあるものの、多分あの反応がどちらかと言うと普通なんだと思う。

 何が起きているのか、何が敵味方で自分以外に同じ状況の者は他に居るのか。


 奇跡を目の前にして多少暴走したとしても、それは本来優先順位が上がるだけで彼女のように俺以外の全てを切り捨てた様な行動は正直特異な様に思えた。


 そうなると、彼女は本当に俺以外はどうでもいいのかもしれない。

 果たしてそんな彼女を突き放して、一体その先にどうなってしまうのかはあまり考えたくは無かったが。

 もしかすると、彼女はその答えを無意識にわかっているからこそ、全てを投げ打ってまで俺の隣に立とうとしているのかも知れなかった。



「……ねぇ、ユーロ」

「……何?」



「私、ユーロが好き」




 ノノアの真剣で、そして悲しそうなその顔を見て本当はこんな事も言いたく無かったんだろうなと思った。


 きっと、彼女は運命の再開だと思った事だろう。

 俺とノノアは同じ気持ちで、またあの日の続きができると思ったんだろう。


 けど、違った。ここまで俺は、彼女を拒絶する姿勢しか見せてこなかった。

 その事を、多分今彼女はようやく認めた。

 けど、その上でもう一度やり直そうとしているとも理解出来た。


 その顔と決意を見て、俺は。




 ──それでも、やっぱり彼女の気持ちに答えることは出来ないと言う結論は変わらなかった。


 本当に、何でこの世界は最後なのだろうかと歯噛みする。

 せめてあと一周でもあれば、今回の命を彼女に捧げる事もできたのに。


 そんな胸中を隠せず、俺は悲しそうな目をノノアに向けてしまったから。

 彼女は本能で捨てられる事を自覚して、泣きながら俺に縋りついて来た。



「ユーロ、私───!」



 立ち上がり、目の端に涙を溜めて俺を見る彼女。先程までの顔だけこちらに向けた状態では無く、ノノアは全身を俺へと向け縋るように俺の胸に手を置いた。


 普通に考えて、こんな往来でする話では無かった。繰り広げられる俺達の人目を気にしない会話と行動に、少なからず周りからはずっと視線を感じていた。


 だから、俺たちはどうしようもなく目立っていた。

 そんな事をしてどうなるかなんて、そんな事も分からないほどに何時しか俺も冷静さをかいていた。


 だから、結局──。












 ──ガシャンッ!!  っと音を立てて、横から急に現れた足によってテーブルが吹き飛ばされる様を俺はただ見ている事しか出来なかった。


 その光景を俺はスローモーションで見ながら、吹き飛んでいくテーブルと食べかけの蕎麦を見て、あ……とか細く声が漏れる。


 そして、一瞬音の消えた世界でそれらは壁にぶつかって、ガラガラと地面に崩れ去って器は割れて中身を床に撒き散らした。


 この場合、人に被害がなかった事は不幸中の幸いと言えるのだろうか。


 俺は、真横に立っていたその下手人に視線を向けた。


 ──そしていつの間にか、勝手に手が震えている事実に気が付いて恐れ戦いた。




「──ライ、ラ…………?」



 

 近くに居た人達が我先にと俺達の傍から離れて、次第に周囲に空白が生まれたが同時に野次馬も反比例して増えていった。


 そして、嫌に静かだった。誰も何も言わず、ここから厨房の換気扇の音が聞こえてくる程には静かだった。



「……………………」


 広い食堂を静寂の世界へと変えた白と黒のメッシュの少女。

 やはりと言うべきか、俺は彼女に見覚えがあった。


 ライラ・エタンセル。

 この国の名を冠する、紛うことなき王族の関係者。


 元々鋭いその視線は人を殺せそうな程に今や鋭く研ぎ澄まされて、軽蔑と疑惑と殺意の籠った目を一直線に俺へと向けていた。




 さながら胸中は、浮気がバレた夫の気分とでも言うべきか。

 俺はそんな事を呑気に考えながらも、思考の端で何とか打開策を考えて──そしてその悉くに失敗した。







「ユーロ」


「ぁ……はい」





 俺は彼女を怒らねばならなかった。

 危険な真似をして、食事まで無駄にした彼女を叱責せねばならなかった。

 だと言うのに、どうしてもそれが出来なかった。勝手に震える喉と恐怖の記憶が、今は俺にYESしか発言を許さなかった。


 そして──






「──死ぬか、殺されるか───選びなさい」






 胸ぐらを捕まれて引っ張られ、ほぼゼロ距離でそんな事を言う彼女に。

 泣き腫らした様な痕を残しながら、その顔を今怒りだけに染めている彼女に、無意識に殺して下さいと言ってしまいそうになって。




 しかし、未だに俺の左手を引っ張るノノアの存在が、今だけは俺に生を実感させてくれた。




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