第18話

練習場所は移転した。

体育館から少し離れた場所にある、校舎の隅の園芸倉庫。

その隣に舞踊場は建っていた。


「よぉし。ここが舞踊場だ」

戸次先輩が金属のドアをガラッと開けると、中から埃っぽい空気が流れ出てきた。

「ゲホォッ」

まともに吸い込んでしまった群くんが盛大にむせた。

群くんの背中をさすりながら、時生はそっと中を見た。

薄暗い室内は、木造の壁と床でまるで道場のようだ。だけど、奥側の壁が鏡ばりになっていてかなり広い。


「うわあ……」


時生は目をきらきらさせた。こんな広い場所で、しかも鏡にうつしながら練習ができるなんて、最高だ。


もちろん古くて汚れているところはあるけれど、今まで屋上でやっていたことを考えると環境に天と地ほどの差がある。

「今日と明日は掃除だな」

と、マヨ先輩が言った。いつのまにかマスクを装着している。

猪原先輩がどこからかバケツとぞうきんをもってきて、その日は一日舞踊場の空気の入れ換えと拭き掃除、そして虫退治に終始した。

どんな虫だったかは思い出したくもない……。




翌日、時生は放課後になるのが待ちきれなかった。


ホームルームが終わるやいなや、時生は群くんを引っ張って舞踊場へ走った。

「堤くん、そんなに走ってもまだ先輩たち来てないって!」

「だって早く行きたいんだもん!」

キャイキャイ言いながら去って行く二人を、七戸は温かく見送った。

「あいつら、女子高生みたいなノリで楽しそうだな……」


もちろん、舞踊場に着いたのは時生たちが一番最初だった。

鍵は施錠されており、戸次先輩が来るまで開かない。

屋上を使っていたときと同じだ。待っている間も時生はそわそわしていた。


「ほら、開いてないじゃん」

群くんがあきれたように言った。

「へへっ……でも、群くんだって楽しみだったでしょ」

「それは、まあ」


群くんはスポーツバックから水筒を出して一口飲んだ。飲みきれなかった麦茶がこぼれて学生服のシャツを数滴濡らす。だが、それもこの暑さなのだから、きっとすぐに乾くだろう。ジワジワと蝉が鳴いていた。時生もこめかみに垂れてきた汗を手の甲でぐいっとぬぐった。

群くんとそろって舞踊場の入り口の段に腰掛けて、先輩を待った。戸次先輩は案外すぐにやってきた。しかし、見慣れない人が一緒だった。


もじゃもじゃの髪をした背の高い男。

戸次先輩と同じくらいある。


「おお、早いな!」

と、にこっとした戸次先輩の後ろから、真っ赤なジャージを着たもじゃもじゃ男が時生たちを見下ろした。


「おはよっす!」

「おはようございます」


なぜか、ダンス部ではいつの時間でもおはようという決まりがある。

時生たちは先輩に挨拶をしながらも、謎の男が気になって仕方がなかった。


誰だろう?


不審そうな時生たちの様子に気付いた戸次先輩が言った。

「まだ紹介してなかったな。ダンス部の顧問になってくださった、生方先生だ」

「顧問?」


驚いた時生を、生方先生はじろっと見た。

正確には見たような気がした。

長い前髪の奥から垂れ目がちらりと見える。

睨んでいるようではないけれど、あまりに喋らないので変な迫力と怖さがある。

無口な先生なのかもしれない。


「中等部の先生なんだが、特別に引き受けてくれたんだ。」


時生が群くんに小声で、

「知ってる?」

と尋ねると、群くんも小声になって耳打ちをしてくれた。


「中等部の美術の先生なんだ。ほとんど喋らないんだけど絵が上手な先生だよ」

絵が上手いからってどうしてダンス部の顧問になるのだろうと思ったけれど、時生は黙っていた。察するに、先生たちにもいろんな事情というものがあるのにちがいない。

生方先生は無言で時生にビニール袋を渡した。


中を見るとスポーツドリンクと紙コップが入っている。


「ありがとうございます」

時生は礼を言いながら思った。喋らないので一見気むずかしそうな印象だったが、悪い人ではないみたいだ。


生方先生を顧問に加えて、ダンス部がようやく正式に始動した。

新しい部室の使い勝手は、古いけれども十分なものだった。何より、日陰があるというのが大きい。窓を全開にして、5つある備え付けの扇風機を強にすると、完全ではないけれど暑さはしのげるほどになった。校舎の四階よりも大きなけやきの木があって、その日陰の位置に舞踊場があったのは幸運だった。そうでなければ、さすがに風通しのよい木造建てといえども、この炎天下では使い物にならなかったかもしれない。

そして、練習曲の振り付けがようやく完成した。




そんなある日のことだった。


部室に集まった部員全員の前で、珍しく険しい顔の戸次先輩が言った。

「これが落ちていたらしい」

生方先生がいつになく緊張した面持ちで、手のひらの物を見せた。

時生は驚いた。


たばこの吸い殻だ。

生方先生の分厚い手のひらに、飴やお菓子のゴミも乗っていた。

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