第16話

「うん、それで、もう少し足を引いて……」

言われるままに体を動かす。

筋肉がきしきしと痛んだ。

群くんは容赦なく、首や手の角度を調整してくる。

されるがままに、空を見上げる。


「うん! いいんじゃない」

と、群くんが満足そうに言った。

そして、背後でマヨ先輩が叫んだのとは同時だった。

「おおおおっ! すげー!」

群くんはいたずらが見つかったときの小さい子供のように、ビクッと肩を震わせた。

マヨ先輩は大股で近づいてきて、時生の体をしげしげ眺めた。

「さっきとは別人だな。すげーいいじゃん。どうしたんだヨ」

「あ……そこの、群くんがなおしてくれたんです」

急いで帰り支度を整えて屋上を離脱しかけていた群くんは、ギクッとして愛想笑いをした。


「すみません、余計なことを」

マヨ先輩は群くんのそばに駆け寄ると、両手で肩をつかんだ。クレープを食べているときと同じ、満面の笑顔だ。

普段は猫背に仏頂面なのに、笑うと目尻にしわが寄って少し幼く見える。

マヨ先輩の茶色の瞳の中に、戸惑った群くんの色の白い顔が映る。


「お前、最高! サンキュー!」

直球の賛辞だった。群くんの目が、分厚い眼鏡の奥でめいっぱい見開かれた。怖そうな先輩の全力の笑顔を見たら、誰だってそうなるかもしれない。マヨ先輩は、群くんを上から覗きこみながら言った。


「何、もしかして経験者?」

群くんはあっさりと、

「はい。小学生のときまでですけど」

と、あっさり認めた。



時生の動揺をよそに、マヨ先輩は続けた。


「なあ、よかったらまたこいつに教えてやってくれねぇ?」


何を言ってるんですかマヨ先輩。群くんは僕が誘ったときなんてそりゃあもう、虫でも潰したかのような苦々しい表情をしていたんです。今日、屋上に来てくれたことだって奇跡のようなものなんです。


群くんごめんね、マヨ先輩、ほんといい先輩なんだけど、ちょっと独特な人だから、それにきみのこと、僕が連れてきたって思ってるみたいで、勘違いしてるからさ、またあとで、ちゃんと説明しておくから。


何と言って先輩と群くんの間に入ればいいのか、時生が逡巡していた間に、群くんが怪訝そうに口を開いた。怒りのせいか、困惑のためか、頬がうっすらと上気している。



「教えるって、何をですか?」

「ダンスだよ」

当然のように、先輩が言った。時生は頭を抱えた。


「あーっ、マヨ先輩、ちがう、待って」

「何でだよ。ちょっと見ただけで、お前の姿勢きっちり修正したんだぞ。できるやつなんてそうそういないって」


群くんは、怒ったような表情でこぶしを握りしめている。

まずい、地雷を踏んでしまったかもしれない……。

時生が取りなそうとした瞬間、群くんはマヨ先輩をキッと見上げた。

「ぼ……ぼくで、いいんですか」


おやおや?

群くん?

どういうことかな?


時生が固まっているのを尻目に、マヨ先輩は群くんの肩をトントンと叩いて言った。

「おまえみたいなのがいいんだよ。な、オレたちいつもここにいるから、お前も放課後来いよ。来られるときだけでもいいから」


群くんはうつむき気味に小声で、

「考えておきます」

と、言ってそそくさと屋上を出て行った。

そんな群くんを、マヨ先輩はひらひらと手を振ってのんきに見送った。


群くん、オレが誘ったときと全然反応がちがうんだけど?

え、どういうこと? 今のって、オッケーってこと?


様々な疑問が噴出してくる。

硬直からようやく抜け出した時生は、スポーツドリンクを飲んでいるマヨ先輩のもとへ駆け寄った。


「先輩ッ! 何ですか、今の! 群くん」

「何って何だヨ」

「オレが誘ったとき、虫でも見たような顔で嫌がってたのに! ぼくでいいんですかって言ってましたよ? どういう心境の変化? ダンス嫌いな子なんですよ」

「まあ、落ち着け」

と、マヨ先輩はフタをしたペットボトルで時生の脇腹を小突いた。

忘れていた鈍痛を思い出して、時生はその場にうずくまる。


「無理だって、あいつが本当にそう言ったのか?」

「無理とは――ちゃんと言っては、ないですけど……」

「あんな短時間で、お前の姿勢を完璧に修正したんだ。相当、やってないとああいうことはできねーよ。そんなやつが本気でダンス嫌いになるわけないと思うぞ。しかしまあ、逸材だな。やるじゃん堤」

でかした、と犬にするように頭をよしよしと撫でられて、時生は嬉しいような情けないような複雑な気分だった。


「さて、じゃあ子鹿ちゃんに今日はたたき込むぞ」

ギクッとして見上げると、マヨ先輩はさっきとは違った、にんまりした笑いをしていた。

「最後まで通すからな」

「えっ」

「エッ! じゃねぇよ。時間ねーかんな、体バラバラになってもついてこいよ」

戸次先輩、早く来てください!

そんな時生の願いもむなしく、学級委員の仕事が長引いた戸次先輩が来たのはもう夕日が沈みかけた頃だった。

文字通り、体がバラバラになる感覚を味わった時生は、屋上の床に背中をつけてへたりこみながらも、なんとか練習曲の振り付けを最後まで教わったのだった。

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