第7話

月曜日がやってきた。

今日学校が終われば、晴れてゴールデンウィークだ。

中一日なので、旅行だの惰性だのなんだので欠席をしているクラスメイトもいた。

どことなくみんな浮かれていて、長期の休みのことしか頭にないようだった。

教師の方もうきうきしている。こころなしか先生たちの表情も明るい。


時生は放課後がくるのをずっと待っていた。

HRが終わり、礼をするのもそこそこに教室を飛び出す。

目指すのは3年の教室だ。

階段を一段とびに駆け上がる。

心臓が苦しい。


3年A組のドアはあいていた。

中には誰もいない。

「あれ……?」


通りかかった隣のクラスらしき3年生が親切に教えてくれた。

「A組は今日5限が体育だとかでそのまま下校だよ」

「ええっ……じゃあ、戻ってこないんですか」

「うん。だいたいみんな更衣室に体育着持って行ってるしね。」


眼鏡の3年生は肩掛け鞄をひょいっとかつぎなおして、スタスタ廊下を歩いて行ってしまった。

窓からさし込む放課後の陽光を反射して、キーホルダーがキラっと光る。

部活を始めたらしいテニス部の、アップをする声が聞こえてきた。

時生は呆然とその場に立ちすくんだ。


「どうしよう……」

しかし、途方にくれている場合ではない。

今日は目的を達成するまで家には帰れない。

先輩に会うためには……

「そうだ、靴箱!」


時生は階段を駆けおりて、3年生の靴箱に向かった。

昇降口で待っていれば、もしかするかもしれない。

いや、でも帰ってしまっているかも。

だけど、あきらめてしまうのはいやだ。


靴箱に行くと、ちらほら人がいた。

そして――。


「先輩!」


声をかけてもその人はとまってくれなかった。

しかし、あの風貌と背格好は誰かと見間違えようがない。

時生は上履きのままで、その背中を追いかけた。

そしてもう一度叫んだ。


「先輩ッ!」

先輩は振り向いた。


「うるせーな。何だよ」

「マッ……マヨ先輩、ですよね。あのっ……ちょっと待ってください」

「わーったわーった。待ってっからさ、靴履き替えてこい」


はっと時生は我に返った。

上履きのまま、昇降口で先輩に向かって大声で叫んでいる一年。

好奇のまなざしが真夏のシャワーのごとく降り注いでいる。


「ね? 結構恥ずかしーから、コレ」

と、マヨ先輩は頬をかいて言った。


時生が靴のかかとをなおしながら、あわてて1年生の玄関から出てくると、マヨ先輩は柱にもたれて待っていた。

「で、なんでオレなの? 何か用事あんなら、戸次にじゃねぇの。一年坊主」

マヨ先輩はどことなく楽しそうに言った。

時生のことを、珍しい動物のようにじろじろと見る。

戸次先輩の背丈が高く大柄なので、マヨ先輩は比較的屋上では小柄に見えたが、近くで見るとやっぱり三年生だ。


時生よりもずいぶんと背も高くて、体つきもしっかりしている。

何より、ヤンキーとまではいかないものの、焦げ茶色の髪や鋭い目つきも相まって、少し怖い雰囲気がある。しかし、ここでひるんでいては何も変わらない。

時生はごくりとつばを飲み込んだ。


「あのっ……手紙くれたの、マヨ先輩ですよね。ピンクの」

「何のことだよ」

「オレ、分かったんです。なんでマヨ先輩がオレのこと呼び出したのかって。先輩は、オレに戸次先輩とのダンスを見せてくれたんですよね」

マヨ先輩は肩眉をあげて、何も言わずに時生を見ていた。

止められないのをいいことに、時生は話を続けた。


「オレ、正直、ダンスなんてって思ってました。男らしくないって。チャラい感じがしたんです。だけど、金曜日に屋上で、先輩たちの踊ってるの直に見て……なんか、うまくいえないけど、心臓のとこが痛くなったんです。オレ、……オレも、こういうふうになりたいって」

マヨ先輩は黙って時生を眺めていた。

その表情からは何を考えているのかは読み取れない。

時生は勇気を出して言った。

「ダンスがしたいんです」

少し考えて、マヨ先輩は口を開いた。

「お前のこと、中庭で見たんだよ。たまたま。そしたら聞こえちまった。戸次のこと喋ってるの」


時生は考えて、ふと思い至った。

七戸たちと昼ご飯を外で食べたとき。

中庭にはたくさん人がいたけれど、気にする余裕はなかった。

マヨ先輩にあの時の会話を聞かれていたとしたら――。


「先輩。あの、ダンスのこと。生意気言ってすみませんでした。オレ、全然分かってなかった」

「堤っていったっけ? あのな、勘違いすんじゃねぇぞ。オレはダンスをバカにされたから怒ってたんじゃねぇ」


マヨ先輩は柱に預けていた背をひょいと伸ばして、時生の肩をつかんだ。

至近距離で鋭い眼光に射すくめられる。


「ダンスなんかどーでもいいの。オレは戸次がけなされるのが許せねーだけ」


低い声だった。時生はぱちぱちと瞬きをした。

かろうじて、はい、と返答する。

頷く時生の様子をじっと見て、マヨ先輩はゆっくりと体を離した。

張り詰めていた空気がふっと緩む。

マヨ先輩は、スクールバックを肩にかけなおして言った。


「堤はどっち。オレは駅の方だけど」

「あ、オレも同じです。」

「んじゃ、一緒に帰ろう。クレープ食いに行こ」

「えっ? クレープですか?」

時生は思わず聞き返した。


クレープ。


マヨ先輩から、男子高校生、しかも三年生から放たれるとは思わなかった言葉だ。


「駅前のとこにクレープ屋があんだ。知らねぇ?」

「いや、知ってますけど……でも、あそこ、女子高生とかがたくさんいて……」

「んなもん関係ねぇ。うまいんだぞ、あのクレープ。バナナの入ってるやつが最高」

「マヨ先輩って……甘い物好きなんですね。意外に」

「バァカ、意外は余計だ」

「すみません」


マヨ先輩は時生の頭をこづいて歩き出した。

思っていたよりも、後輩をかわいがってくれる先輩なのかもしれない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る