45. ミュージカル

 翌朝私とニコルは、チャドとルーカスと個室にこもって話をした。だが2人はラストをミュージカルにするという意見を決して曲げることはなかった。


「どうせこれが俺の最初で最後の映画だ。どうせならパーっと明るく終わりたいんだよ」


 チャドのこんな言葉を聞いてしまったらこれ以上反論できっこなかった。私は腹を括ることに決めた。


「それなら私達と一緒に歌って踊ってくれる人たちを集めないといけないでしょ? 別にプロのダンサーやシンガーである必要はないし、たとえ一般人でも色んなバックグラウンドを持つ人たちを集めた方が良いような気がするんだよね」


 私はチャドにそんな提案をした。


「良い考えだ。その方がメッセージ性があるし、何より楽しそうだ」


 チャドは白い歯を見せて笑った。


 その後1週間でチャドはあちこちから一般人をスカウトしてきた。誰も彼もダンスや歌に関しては全くの素人だったが、ジャグリングで世界チャンピオンになったというメキシコ人のおじいさんや、夕飯の後にサンポーニャという民族楽器を使って『ガンジス川』を演奏することが日課というペルー人の中年女性、世界中のコインを集めるのが趣味というイエメン系の男の子など、個性豊かな顔ぶればかりだった。映画のラスト5分は、総勢100名ほどの一般人と私たち俳優陣が歌って踊るというかなりカオスな流れになるが、ユニークすぎる一般人たちと顔を合わせたときにはもうやるしかないと開き直っていた。


 一般人たちとの顔合わせの日、ブルーベルは脚本をもらって読んで一晩で書き上げたという曲を持って来た。どいつもこいつも天才か。天才なのか。


 ボイストレーナーや振付師を雇う予算は流石にないので、子供の頃にダンススクールに通っていた経験があるニコルが振り付けを考え、元々ミュージカル俳優になりたくてピアノと声楽をかじっていたジョーダンがボイストレーニングをすることになり、撮影と並行して練習が始まった。もちろん大勢の一般人も一緒に。


 最初子供のお遊戯会のようだったダンスも、ダンストレーナー顔負けのニコルの鬼のようなスパルタ指導により段々と見られるレベルに近づいてきた。リズム感も運動神経も皆無な私のダンスには、依然としてキレもメリハリもないが。


 1ヶ月が過ぎた頃、ある男性が撮影場所を訪れた。警官役として急遽映画に出演することに決まったというその男性の顔を見て驚いた。何故なら彼はあの銃撃事件の被害者だったからだ。


 彼の名前はダニエルといった。彼は私の顔を覚えていて真っ先に声をかけてくれた。


「撃たれたあと意識は朦朧としてたが、俺を撃った奴の車のナンバーと君が医者を連れてきてくれたことを覚えている。本当に助かったよ、ありがとう。君は命の恩人だ」


 彼はそう言って私の手を握った。筋張った逞しい大きな手だった。


「当たり前のことをしたまでです。それより……」


 私は躊躇いがちに次の台詞を発した。


「よく映画に出る気になりましたね、あんなことがあった後で……」


 ダニエルは笑顔で何度か頷いた。


「退院したばかりでリハビリがてら家のすぐ近くのスーパーで買い物をしていたときに、たまたま監督にスカウトされたんだ。俺のガタイと見た目が警官っぽいからだとよ。最初は断ったが、あんまりしつこいんで折れた。だがいい気分転換になりそうだ。家にいてもあの時のことがフラッシュバックして頭がおかしくなりそうだったからな」


 確かに筋肉質の身体と威厳のある雰囲気は警官役にピッタリではある。


「今もPTSDに悩まされてるよ。外に出るのが怖くてな。撃たれたときのことを思い出して夜中に飛び起きたり、突然傷口が痛むときもある。何で俺ばかりこんな目に、と絶望したよ。一生この経験を背負っていくのかと……俺の人生はあの犯人のせいで台無しになったと恨んだりもした。だがこの映画に誘われて思ったんだ。いつまでも被害者ではいたくない、まずは俺にできることをやろうと。それに元々警官役を一度やってみたかったんだ、悪を懲らしめるヒーローってやつをな」


 満面の笑みを浮かべて見せるダニエルはまさしく勇者だ。RPGに出てくる強い魔物ばかりの洞窟の中スウェット姿で一人戦う彼がいたら、私は真っ先に援護射撃をするだろう。


 バックダンサーの一般人はメキシコ系、アジア系、アラブ系など様々な人種の人たちが一様に介していた。一緒に歌ったり踊ったりしていると不思議と一体感が生まれ、性別も肌の色も職業も、一般人も映画関係者も関係なく打ち解けていくのが不思議だった。


 ある日はペルー人女性のサンポーニャの演奏に合わせて歌い、ジャグラー老人の神業に歓声を上げた。映画の撮影を通して出演者の間にありとあらゆる垣根を超えた不思議な絆が生まれつつあった。一人一人がお互いの違いを自然に受け入れ、ここに存在することが当たり前だという空気感はとても心地よく、この空気がそのまま映画から伝わっている気がしたし伝わっていればいいと思った。もし思い切ってミュージカルをやっていなければこんな経験をすることはなかっただろう。このアイデアを出してくれたタケオとジョーダンに感謝したし、できないと決めつけないで取り組んでみて本当に良かったと思った。


 撮影も後半に差し掛かったある日、休憩時間にブルーベルと2人で話す機会があった。彼女はルーシーのことを気にかけていたみたいだった。撮影場所で会うと2人は以前のように笑顔で話してはいたが、お互いに苦い感情を噛み殺しているのではないかという懸念があった。


「ずっと気になってたの、ルーシーのことが」


 ブルーベルは言った。私はペットボトルの水に口をつけながら彼女の言葉に耳を傾けた。


「ルーシーは強がりで一見明るく見えるけど、本当はすごく繊細で脆いところがある。私が振ったことで気持ちが落ちてないかすごく心配だった。メールをしようにも動揺させてしまうんじゃないかって思うとなかなか……。だけど彼女に会って話してみて、思ったより大丈夫そうで安心した」


「人って案外強いよ」


 この言葉は、私を取り巻くここ数ヶ月間の様々な出会いや衝撃的な出来事によって生み出されたものなのかもしれなかった。


「弱いようで強い。もうダメだ、限界だって思ってたとしてもノックアウト寸前で立ち上がれたりする。ルーシーはきっと大丈夫。もし大丈夫じゃなくなったとしても私が大丈夫にするから」


 柄にもないクサい台詞を吐いた私に、ブルーベルはほっとしたような笑顔を向けた。


「あなたがルーシーの近くにいてくれて本当に良かった」


 そうこうしているうちに最後のシーンの撮影が始まった。真実を知ったポーラが港へ向かい、巨大なサンマ漁船に乗り込もうとしたゴンゾウと向かい合うシーンだ。ちなみにこのサンマ漁船はチャドが知人の漁師から撮影のためだけに借りたものだ。


 ポーラはゴンゾウを犯罪者と疑っていたことを謝り、ゴンゾウはそれを優しく受け止める。そして彼はサンマ漁船の看板の上からポーラに手を振る。だが出港直前に駆けつけた警官たちによって船が取り囲まれる。ダニエルをはじめとする警官たちが銃を構え車から降りてきて船内に突入し、人攫いの人間たちを外に引き摺り出し、異国に売られようとしていた若い女性たちを助け出す。


 その流れに乗じてゴンゾウはサンマ漁船から降りる。ポーラとゴンゾウはそこで亡き母の夢だった日本料理店を兄妹で開こうと誓い合う。


 最後ブルーベルの作詞作曲した"The Morning Comes"(朝は来る)という曲が流れミュージカルが始まる。テトラポットの影やらその辺に停泊されている魚船の中やら謎の小屋の中やら、あちらこちらから俳優たちと一般人がぞろぞろと登場し、港で歌って踊っての騒ぎになる。



朝は来る 


この街に日がのぼる


誰の心にも朝が来る


悲しみに暮れても


夜は明ける 


血が流されようとも


明日は来る


信じる心を失い


飢えに苦しみ


傷つき


恐怖に支配されても


遥か彼方


遠い国にも


朝が来る



 皆で歌って踊り、撮影が終了した時に思った。


 ミュージカルも悪くないなと。


 最終日は皆で記念撮影をし、個性豊かな一般人と一緒に広い屋敷の中でお祝いをした。少し前まで知らない者同士だった私たちの間には不思議で温かい絆が芽生えていた。讃美歌を歌う5歳の女の子の次にサンバを披露するブラジル人女性、火吹き芸を披露する大柄なハワイ人男性ーー。酔っ払いジョークを飛ばし合い騒ぐ人々、映画について熱く語るチャドとルーカスの脇で鼻から牛乳を飲んでみせるタケオ、酔ってジョーダンにうざ絡みしながら失恋について打ち明け泣くニコル。


 楽しい時間はあっという間に過ぎてゆく。


「もう終わりなんだと思うと寂しいわ、忙しかったけどすごく楽しかったから」


 私の横でルーシーは言った。


「そうだね、すごくあっという間に過ぎて名残惜しい」


 タケオの棒読みに何度も笑いかけたし、ミュージカルラストで揉めたり一般人たちと仲良くなったり、とにかく有意義で充実した日々だった。この賑やかな日々のことをしばらく夢に見るだろうと思った。


 撮影の全てが終わり、この自主制作の映画が試験的にYouTubeにアップロードされた。タイトルがずっと決まっていなかったのだが『リンク』に決まった。もちろん和製ホラー映画『リング』のパクリでもオマージュでもない。


 当初全く期待していなかったにも関わらず、『リンク』の再生回数は1日で1万回を超え、1週間で10万回、気づいた時には100万回を突破していた。コメント欄にはそれぞれ違う言語のコメントが書き込まれた。


『ゴンゾウが凄い棒読みで笑った』


『主役のメイドの子も怖がりの伯爵もいい味出してる』


『最後踊ってる一般人たちが濃い』


『面白い、期待してなかったがなかなかの良作だ!』


『皆頑張れ!』


 一部に批判や中傷はあるものの、心が温かくなるようなメッセージがほとんどで読むたびに励まされた。


「これはひょっとしたらひょっとするかもしれないぞ」


 ある日ジョーダンと私の家にやってきたタケオが、私のタブレットで映画のコメントをみて言った。


「賞取れちゃうかもね!」


 ジョーダンも目を輝かせた。


 このとき映画の再生回数は1億回を突破していた。

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