【完結】地上399階の降誕祭

天野橋立

1 降誕祭嫌いのビネット

 クリスマス、ナビダート、そしてノエル。

 その人物の出自などによって呼び方は様々だが、この町が一年で最もにぎわう降誕祭ノエルの時期が、ビネット・ファリーンは大嫌いだった。


 戦争アトミック後の世界における、唯一最大の大都会、その名もシティ。世界中から集められ、積み上げられた富が、燃え上がるように輝く北方の町。その輝きが最高潮に達するのが、この降誕祭の季節だった。

 彼女が住む、暫定市街地の外れのうらぶれた商店街であっても、そのにぎわいの余波からは逃れることができなかった。

 ツリーを象った切り絵細工を商品ケースに飾ってみたり、電飾星イルミネーションを真似て店頭に放電灯を並べてみたり。貧しげな商店たちはそれぞれに工夫を凝らして、富のおこぼれを少しでも拾おうと必死だ。


 そんな通りを、セロトニン・スティックを唇の端に咥えたまま、不機嫌な顔をまるで隠しもせずに、ビネットは歩く。かなたに林立する超々高層ビルが、夕暮れの空で光り輝く姿をにらみつけながら。長い髪が、凍り付くように冷たい風になびいた。

 彼女の行く先は、シティ当局が運営する、公共労働斡旋市場リクルート・マーケットだった。

 世間がどんなに浮かれていようとも、働かなければ明日など来ない。古ぼけたカーキ色のワーキングコートの裾を翻し、防護靴の足音を苛立たし気に高く立てて、なじみの斡旋所へとビネットは足を踏み入れた。


 壁も床も天井も、モルタルむき出しの殺風景なフロアの真ん中で、演台に立った手配師の男が大声を出していた。

「お次はビル洗浄、羽ヶ淵ウイング・アビスの仕事だよ、払いはいいよ。高いところが怖いやつはやめときな、そうでなきゃ、こいつは割りのいい仕事だ」

「受けた」

 良く通る声で答えて、ビネットは右手を高く挙げた。高いところ? そんなものが怖くて、この摩天楼だらけの町で生きていけるものか。


「お、さすがはビネット姉さんだ。即受けだよ、まいどあり」

「あんたらに斡旋料を稼がせるのはむかつくけどな。あんたの仕事にゃ嘘がない、割がいいってのは本当だ」

 彼女の言葉に、周囲の男どももたちまち手を挙げて、募集の定員はあっという間に埋まることになった。


 手配師にぞろぞろと連れられて、ビネットたち労働者の一行は通りの裏手にある「駅」へと向かった。

 シティの各所に路線網を張り巡らせる、高架軌道Sバーンの支線の末端が、この暫定市街地まで通じている。しかし、この路線は旅客輸送用のものではない。各種作業用の資材を運ぶ、あくまで事業用の支線の駅だ。

 人を乗せる電動客車がここへやってくることはないわけだが、彼ら作業員は「資材」の扱いだったから、何も問題はなかった。

 そういうわけで、駅にたどり着いたビネットたちは、荷役台から資材運搬車へと乗り込み、仕事場所である高度集積地区コア・エリアへと向かうことになった。


「お、こいつは当たりだ。一等車ファーストクラスじゃないかね!」

 電気機関車イーエルに曳かれてやってきた車両を見た作業員たちは、喜びの声を上げた。

 最近は、労働者の待遇に配慮するとかで、屋根と簡単な囲いのある運搬車が用意されることがある。その「当たり」の車両を、彼ら労働者は冗談混じりに「一等車ファーストクラス」と呼んでいたのだった。厳寒のこの時期、吹きさらしの通常の運搬車に比べれば、破格の待遇と思えるのも無理はない。


 助かった、内心ほっとしているビネットの隣で、若い男が小さくつぶやいた。

「やれやれ、こんな程度の『施し』で喜ぶようになっちゃあ、人間いよいよおしまいだね」

 その言葉に、彼女は密かに顔を赤らめた。こいつの言うとおりだ。屋根を恵んでいただいてありがたいことで、などと有り難がるくらいなら、吹きさらしの車両に仁王立ちになって、全身を吹雪にさらすほうがよほど上等ではないか?


 高架線の上を走り出した運搬車からは、高度集積地区コア・エリアの超々高層ビル群がよく見えた。その中心にそびえる特別に高い摩天楼に、見覚えのある青いシンボルマークが輝く。

 それはシティ当局さえも傘下におさめる巨大企業群コンツェルナの中枢、羽ヶ淵ウイング・アビス本社セントラルタワーだった。

 この世界の事実上の支配者、羽ヶ淵本社のそのいまいましいマークは、彼女の人生のあらゆる場面において目の前に立ちはだかり、彼女を打ちのめしてきた。


 まだ暫定市街地の幼年学習所に通っていた頃、ちょうど今と同じ降誕祭ノエルのシーズン。きらびやかな装いを見せる通りを――実際にはみすぼらしい商業ブロックに過ぎなかったが、幼い彼女にはそう思えた――はしゃぎながら歩いて帰宅したビネットは、目の前の異様な光景に立ちすくんだ。

 わずか数マイクロファーレン先で通りがすっぱりと途切れて、その先には砂と石ころ以外に何もない荒野が広がっていたのだ。住み慣れた街の姿は、どこにもない。

「ヴィーナ!」

 背後から彼女の名前を呼ぶ母親の声がした。

 振り返った彼女が目にしたのは、いくつもの荷物バッグを持った両親だった。

「ヴィーナ、お引越しなの。このブロックは、たった今廃止が決まってしまったのよ」

 母親は涙を流していた。父親は、唇をかみしめている。


 暫定市街地は、その呼び名の通り、あくまで一時的に市民の居住用に開放されている区域に過ぎない。シティ当局が区域の正規利用を決定すれば、建物を載せた「人工地盤」ごと運び出されて、廃棄される運命にある。


「おい、お前ら何ぐずぐずしてる。早くこの場所を離れろ! 市街地廃棄が進まんだろうが!」

 横柄な口調で親子三人を怒鳴りつけた、その作業員の紺色の作業服の胸に、羽ヶ淵ウイング・アビスのマークがあった。彼らがこの土地を必要とし、シティ当局が従う。そこには、理由など必要とされない。

 ビネットたち親子三人は、ただ指示に従って、見知らぬブロックに用意された新しい住居へと重い足を引きずって行く。昨日までの友達も、ご近所さんも、一瞬にして何もかも失って。

 通りを彩る華やかなリース、金色の星を輝かせたツリーや、明滅する電飾星イルミネーション。そんな降誕祭ノエルのにぎわいは、三人の失意にまるで追い打ちをかけているようだった。


(2「390階の労働者」に続く)

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