第20話 そしてまた

 実質的な告白の言葉を口にしてから、白雪さんの舌が加速する。

 目尻に涙を滲ませて俺を睨むようにしながら、彼女は矢継ぎ早に続けた。


「だ、大体! 好きでもない男の子の頭を勝手に撫でるなんて、そんなことするわけないじゃんっ。ただの変態だよ!」


 俺と白雪さんが関わりを持つことになった初日の出来事。

 俺が狸寝入りしていると知らずに白雪さんが頭を撫でたことを言っているんだろう。


「いやそれに関しては好意の有無に関わらず変態というかなんというか」


「っ、う、うぁぁああ……っ!!」


 顔を両手で覆ってしまった。

 というか白雪さん? あなたなんかキャラ違いません?


 普段の白雪さんは母性的というかなんというか、落ち着いた印象があるのだけど。

 もしかしたらこれが白雪さんの素なのかもしれないな。


「と、とにかく! 好きでもない人の頭をそんなにずっと撫で続けられるわけがないのっ。神原くん、気付くの遅すぎるよ!」


「いやだって、最初に『不眠症のクラスメートを介抱するのも、保健委員のお仕事だから』とかなんとか言って――」


「そんなわけないじゃん!!」


 ……いやごもっとも。


 涙混じりに訴えかけてくる白雪さんに、なんだかすごく申し訳なく思ってきた。


 ともあれ、この一週間疑問に思っていた諸々のことには納得がいく。

 だが同時に、別の疑問も湧き上がってくる。


「好きでもない人と毎日昼休み過ごすわけないし! 好きでもない人の家に上がるわけないし! 好きでもない人の家で寝落ちするわけないし! うぁあああ!!」


 壊れた。白雪さんが壊れた。

 思えばスーパーでの早乙女さんの言葉は、好意に気付かれていない白雪さんを同情して放たれたものだったのか。


 寝室の床に二人して座り込み、一方は泣き面。

 なんだか俺がいじめているみたいな構図だが、俺にも俺の言い分というものがある。


「話はわかったけど、察せなくても仕方なくないか? だって俺と白雪さんは一年の時は別のクラスで、まともに話したのはそれこそ月曜日のあの一件からだろ? なのに白雪さんが俺のことを好きだなんて思えるはずがないって」


 おまけに白雪さんは学校一モテるような存在だ。

 白雪さんの好意に気付く手がかりがあったとしても、普通はそんなはずがないと一蹴する。


 俺の抗議に白雪さんはそれまでの勢いを失い、「そ、そうかも、だけど……」としどろもどろになっている。


「というか、白雪さんはいつ俺のことを好きになったんだ? もしかして以前に話したことがあったか?」


「え、それは……」


 俺のことを好きになるキッカケとなる会話なんて忘れるとは思えないが、どうにも俺には心当たりがなかった。

 まさか初対面で一目惚れした――なんてあり得ないと思うし。


 場の空気にあてられて勢いのまま訊ねると、白雪さんは口元をもにょもにょと動かし、また俯いた。

 髪から覗く耳を真っ赤に染め上げて、小さく呟く。


「……言いたくない。恥ずかしいもん」


 いまさら恥ずかしがる段階なのだろうかと思ってしまうが、その辺りは乙女心的なあれなのだろうか。


 あれだけ捲し立てていた白雪さんがすっかり黙り込んだことで、静寂が訪れる。

 さっきまでの諍いが嘘みたいな静けさだ。


 しかしそのお陰で、俺は大事なことに考えを及ばせることができた。


(……あれ? もしかして俺って今告られたんじゃないか?)


 よく聞く、「好きです! 付き合ってください!」的な文脈ではなかったし、こちらから訊ねる形ではあったが。

 白雪さんは俺のことが好きだと答えた。ラブ的な意味で。


 ……なら、それに返事をする必要があるのではないだろうか。


 言うまでもなく白雪さんは可愛い。

 人当たりもよくて、クラスの人気者だ。

 そんな白雪さんに告白されたなら、断る男子なんていないだろう。


 だがしかし、俺にとって彼女は優しすぎるクラスの保健委員だった。

 少なくとも、今この瞬間までは。


 だから彼女に対して恋愛感情とかそういうものは持っていないし、付き合うビジョンが見えない。

 何より、自分なんかで……という思いもあった。


「あー……その、色々と訊いておいて悪いんだけど」


 返事をしようと切り出した時だった。

 白雪さんが顔を上げて、その眼差しだけで俺の次の言葉を封じた。


 俺のよく知る、柔らかな笑み。その奥に強い芯のようなものを感じさせる顔つきで、彼女はゆっくりと首を横に振る。


「ごめんね、そういうつもりじゃないの。いまさらどの口がーって思われるかもしれないけど、神原くんとどうこうなりたくて、不眠症の介抱を申し出たわけじゃないから」


 にへらと笑い、彼女は続ける。


「弱みにつけ込んだみたいで嫌じゃん? だから神原くんの不眠症が治るまでは、そういうのはなしに手伝わせて欲しい。……つい暴走しちゃったのは、さーちゃんとの一件を勘違いして欲しくなかっただけだから」


 だから今まで通り、と。

 彼女は穏やかに微笑む。


 ……たぶん、ほとんどが本音なんだろう。

 純粋に彼女は俺のことを思ってこの一週間付き合ってくれていた。

 そこに下心がないであろうことは、短い付き合いでわかっている。


 だけど、彼女の笑顔には僅かに憂いが見えた。

 まるで俺の返事を察しているかのような。

 察した上で、有耶無耶にしようとしているような打算も感じられたのは、俺の気のせいだろうか。


 俺は一度目を瞑る。

 そうしてから、白雪さんに頷き返した。




 ◆ ◆ ◆




 その後、一度落ち着くためにリビングで温かいお茶を飲んでから、改めて寝室へと戻った。

 精油を垂らしなおしてベッドに入る。


 目を瞑った俺の頭に、いつものように白雪さんの手が伸びてきた。

 その優しい指使いはいつもと変わらない。

 変わらない……のだが。


(……なんか、すごいむずむずする)


 彼女の指が髪を梳き、額を撫でるために、得も言われぬ感覚が全身を駆け巡る。

 ここ数日はすぐに眠気が襲ってきたものだが、今日は一向に訪れない。

 どころか、むしろ意識が研ぎ澄まされていくような。


「神原くん、大丈夫……?」


 俺の変化を白雪さんも感じ取ったのか、気遣わしげな声で囁いてくる。

 その声にさえ、ぶるりとしてしまう。


 俺は目を瞑ったまま曖昧に頷き返す。


 この一週間が上手くいきすぎていただけで、元々俺の不眠症はこういうものだった。

 寝ようと思って寝れる方が稀だったのだから、今日みたいな日があってもおかしくはない。


 大丈夫。もう少ししたらまたいつもみたいに眠気が訪れるはず。


 そう自分に言い聞かせるが、それから一時間、二時間経っても寝ることはできず。




 この日から、俺はまた眠れなくなった。

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