番外・羽須美 綾の夜2


「──二個目、貰っちゃった……」


 夕飯もとっくに食べ終わって、普段だったらもうそろそろ、黒居さんとLINEしてるような時間。だけど、いつもわたしから始まるのが常なそのやり取りを、今日はまだ始められていなかった。


「ぅ、わぁ〜……」


 スタンプカードの、スリーブ越しにてらてらと照るキスマークがなんだか艶めかしい。今日で二つ目、まさかあんな流れで貰えるとは思ってもみなかったから、放課後からずっと心が浮ついている。雨に振り回されて始まった校内デートは、スタンプを押されてからはビックリし過ぎてどこをどう回ったのかも定かではないくらいで、だけどその中でした黒居さんとの会話は覚えていられた。

 彼女が階段から足を踏み外した、その瞬間も。


「……」


 肝が冷えたというのは勿論で、とっさに手を伸ばせたのは自分でもよくやったと思う。結果的に黒居さんに怪我が無くて本当に良かった。でもそれは、目の前で誰かが──それも自分の恋人が怪我をしそうになっていたら、誰だって同じ事をしただろうし。「礼はいらない」なんてカッコつけるつもりは無いけれども、まさかスタンプの話にまで飛躍するとは全く予想していなかったわけで。


「……黒居さん、読めない……」


 変わった人なのは間違いないと思う。眠たげな眼差しには、常に余裕と自信が見え隠れしていて。口数はそんなに多くないけれど、思考回路はわりと突飛だ。現にわたしは、その最たる例のキススタンプカードに翻弄されているわけなんだから。

 だけども一方で、今日みたいなベタな展開でときめいちゃうらしいし。思い返してみれば最初のデートで観た超王道な映画にもはまり込んでいたし。そういう、普通といえば普通な感性も持ち合わせていて、これは本当に彼女が無事だったからこそ言えることだけど……その、ギャップ萌えだ。

 何より本人もびっくりしてるようだったのがまた、こう、良かった。少し呆けた様子で滔々と“キュンときた”“ときめいた”と零すその様子の、なんと可愛らしいことか。いやでも、それを正直に言ってしまえる辺りは、やはり変わっているのかもしれない。ああ、そこもまた読めない感じがして……


「でも……けっこう好感触……だよね……?」


 机に置いたスマホのストラップ──クロイちゃんに問うてみる。当然返事があるはずもなく、机上にぐでっと身を預けるその姿はやっぱり、うたた寝してる時の黒居さんに似ているような気がした。返事がないなら自答するしかなく、そりゃ、好かれてるか嫌われてるかで言ったら前者だとは思うけど、でもときめいたって言うんならわりと脈アリなのでは?いやでも、別に顔が赤くなってたとかではなかったし……もしかしたらこう、吊り橋効果的な、足を滑らせてびっくりしたのを“キュン”と勘違いしただけかもしれないし……でもでも、そもそも校内デートに誘ってくれたのは黒居さんの方からで、少なくとも恋人同士という関係に前向きでいてくれてるのは確かだろうし……


「うーむ……」


 ちょっと伝染しつつある黒居さんの口癖を漏らしつつ、クロイちゃんの半透明な触角を指でつつく。ガラスの冷たい感触。今日繋いだ手も少しひんやりしていたような。自分の手が火照ってじっとりしていたから、なおのことそう感じただけかもしれないけれど。そんな事を思い出そうとしたら、余計に思考はまとまらなくなってしまう。頭を落ち着けようと、いつも黒居さんがしているように机に突っ伏してみ──ようとしたその瞬間に、スマホの画面が点灯した。


「っ!」


 メッセージ通知。

 慌てて姿勢を正し、待ち受けに浮かんだふきだしを確認する。


 

〈今日はお話しないの?〉


 

「〜〜〜〜〜っ!!」


 なんかもう、文面があざとい。可愛い。

 黒居さんは自分の魅力を存分に活かしてくるタイプだけど、でもたまに、分かっててやってるのか無自覚なのか判断が難しい時もあって。どちらにせよ恐ろしく可愛い事に間違いはないんだけど。


〈しますします〉


 初手から悶絶させられつつどうにか返信を──タップミスでします二連打になっちゃったけど──して、スマホを手に取りベッドへ向かう。夜のやりとりの時間はごろごろしながら過ごすのが、もうすっかり体に染み付いてしまっていた。転げ回りすぎてベッドから落ちる時もあるのは、黒居さんには秘密だ。彼女は今どんな姿勢でいるんだろうとかとりとめのない事が脳裏をよぎって、けれどもそれはすぐ、送られてきた返信に押し流されていく。


〈今日のデートで実感したんだけど〉


〈うん〉


〈羽須美さんって良い体してるよね〉


「ごっ?!」


 落としたスマホが鼻先にぶつかるのを、すんでのところで回避した。顔がカッカと火照りだすのを自覚しながらスマホを拾い上げる。え、これなんて返信すれば良いのっ?ありがとう?いやもっと攻めるべき?じ、自撮りとか送った方が良いかなっ??


〈しっかり抱きとめてくれて、安心感あった〉


 …………。

 ……あぶなーっ!変な意味じゃなかったーっ!めっちゃ健全なやつだったーっ!!

 そ、そうだね、フィジカル強いね的な意味での“良い体”ねっ。


〈どういたまして〉


〈いたまー〉


 しばらくのあいだフリックする指がぷるぷる震えていて、やっぱり翻弄されてるなぁって痛感したり。でも全然嫌な気はしないというか、いやでも振り回されて嫌な気しないってちょっと変態っぽいのでは……?とかまた新たに悶々としたり。そんな状態なものだから当然、黒居さんとのやりとりも怪文書めいたものなっちゃったり。

 

 それでもいつもの調子で返事をくれる黒居さんが、今日も寝るまで、わたしの思考の大部分を占めていた。




―――――――――――――――――――――――――――――――――――――




というわけで第2章、6月編でした〜。

一応、1章9話+番外の10話構成、全5章で完結の予定となっています。引き続き明日から第3章を投稿していきますので、ぜひお付き合い下さいな。もしよろしければブクマ、♡、☆、コメント、レビュー等々何でも頂けたらめちゃんこ嬉しいです。

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