ビターチョコレート

 領地を得たラティは、そこでカカオ農家に出会った。彼は飲まず食わずで海を渡ってきたようで、ラティに食べるものを要求してきた。

 食料のお礼としてもらったカカオは、美味しいと噂されているチョコレートの原料なのだと聞いたことがあるけれど、制作は困難を極めると聞く。

 手に入れたカカオで、美味しいチョコレートを作りたいものだ。


 チョコレートのことを考え続けるラティの目の前には、男女が二人、別れを惜しむ。


「––––––ナーテ。死んだらきっとお前を探しに行く。それまで待っていてくれるか?」

「ええ。ずっと待ってる。ラウル、良い人生を送ってね……」


 場所はパステイト市の城門前。

 ナーテとラウルは、おそらくこれから何十年間も離れ離れとなるのだ。


 しかしラティは当事者ではないので、何となく会話を聞きつつも、チョコレートのことで頭がいっぱいだ。


(数ヶ月前に、常連客のお土産でもらったチョコレートの味が忘れられない。自分で作れるようになったら、最高なんだけどなー)


「……チョコレートチョコレートチョコレート」


「「は?」」


「あー、いや。何でもないよ! 私のことは気にしなくていいから……」


 二人とガルムに物言いたげな目で見つめられ、ラティは慌てて自分の顔の前で両手を振る。空気を読まなきゃならない時に限ってデリカシーを無くしてしまうのを、何とかしたい……。


「じゃあ元気でね! もう一度会えて本当に良かった!」

「ああ。ラティに感謝だ。あんな別れ方のままだったら、死ぬまで苦しむところだった」

「そんなに思っててくれてたなんて……。有難う。ラティ、……そろそろお別れの時かしら?」


「そうだね。移動中に”魂の籠”に入るとはいえ、あまりにも外に出続けると、ちょっとずつ弱るだろうから」


「それはいけない。早く冥府に行くんだ」

「ええ、またね。ラウル」

「ああ……また」


 ナーテはホロリと涙を一粒流した後、自分から魂の籠に入った。

 ラウルほ方を見ると、寂しげな笑顔で手を振っている。

 何だか自分が恋人達を引き裂く極悪人みたいな気分になってくる。だけど、ここまで連れてきたのはラティなのだから、こうして別れさせるのも自分の責任なのだ。


 籠の扉を閉めて、ガルムの背に乗る。


「ラティ。研究所に貴女だけの部屋を用意してもらうよう、所長に掛け合ってみる」

「本当!? 自分の部屋を持てたら嬉しいなぁ」


 パステイト市までかなり距離があるため、世界樹の上の喫茶店とつなぎたかったのだが、半端な場所に作ったなら世界樹に悪人が来るかもしれない。

 ラウルに具体的な話を避けながら、パステイト市のどこかに良さそうな部屋がないか聞いてみていたのだ。


「部屋を用意できるか否かは、君の喫茶店に手紙を送って伝えることにするよ」

「待ってるよ、じゃあねー!」

「じゃあな、色々と感謝している」

 

 少し悲しげにしているラウルに手を振ってから、パステイト市からガルムと共に立ち去った。



 パステイト市からガルムの背中に乗り、図書館に一度寄り、世界樹の上のラティの喫茶店まで戻ってくる。

 喫茶店のカウンターの上に籠を乗せ、上部の扉を開く。

 恋人同士の別れを見てしまったから、気まずくはあるが、ナーテからレシピを聞くことになっているのだ。


 再び人間の形になった魂は、ラティにぺこりと頭を下げる。


「ラティ、有難う。断頭台の上からラウルの絶望する顔を見た時、この世の全てに絶望した。それなのに、こんな温かな別れが出来るなんて……。どんなレシピを教えたなら、貴女に恩を返せますか?」

「”君の心に残るレシピ”を教えてもらえないかな? 君はシェフだったから、大事にしているレシピが多いのかもしれないけれど」

「そうですね。けど……、ラティはパステイト市で何度かチョコレートと言っていた。それと、図書館でカカオ豆についての本を借りていた。もしチョコレートを自分で作りたいのなら、私が教えますか?」

「いいの!?」

「もちろんです。でも、本当に大変な作業だし、美味しいチョコレートを作れるようになるまで、何度も何度も練習をしなければならないと思います。それでよければ……」

「せっかくカカオの実をもらったんだから、頑張ってみようと思う! ちょっと待ってて、書くものを持ってくるから」

「はい」


 ラティが手渡したペンで、ナーテはスラスラとレシピを書く。

 とは言っても、そこまで材料の種類は多くはない。

 カカオの実の他は、砂糖や粉乳などしかなく、これで本当にチョコレートになるのだろうかと思ってしまう。


「材料はこれだけ?」

「そうです。とは言っても、カカオの実の扱い方が肝だからレシピそのものよりも、加工の仕方が大事なんですよ。まずはこの硬い殻を破り、中に入ったものを発酵や乾燥させる必要があります」

「え、そんな大変なんだ!」

「材料だけ知ったとしても、作れはしませんから、その手順も段階に分けて書いておきますね」

「有難う!」


 それなりの時間をかけて書かれた手順書を読んでみて、ラティは若干やる気がなくなってきた。これほど大変だとは思ってもいなかったのだ。


「これは、大仕事になりそうだなぁ……。君が冥界に行った後も、チョコレートの作り方について聞きに行っちゃうかもしれないよ」

「聞かれたら何でも答えます。でも、……疑問なんですが、冥界では気楽に知人と会って、会話などが出来るんですか?」

「出来るよ。お店を開いたりも出来るから、ナーテはレストランを開いてみたらいいんじゃないかな? ラウルが来るまで暇かもしれないし」

「レストランですか! 開いてみたいです。死んだ後に、目標が出来るなんて思いもしなかった」

「ナーテの料理、食べに行くよ。楽しみだなぁ」


 元国王をもてなすために選ばれた料理人なのだから、きっとかなり腕がいいんだろう。もしかすると冥府の主であるヘルも気に入るかもしれない。


 ヘルの仏頂面を思い出しながら、ナーテのためにユグドラシルブレンドの紅茶を淹れる。


 その豊かな香りにつられたのか、犬姿のガルムが外から喫茶店の中にぬっと鼻面を突っ込んできた。


「そろそろヘルのところに戻りたいよ。ナーテをついでに連れて行くけど、いい?」

「彼女に紅茶を一杯いれてあげているから、もうちょっとだけ待ってて!」

「しょうがないなぁ」


 新たな友人の為に淹れた一杯は、途中チョコレート作りのことを考えた所為で、濃くなりすぎた。

 カラメルソースよりは、ましな色をしているから大丈夫だろう。

 


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