魂の籠を入手したが

 巨大な男の影は、無言でラティを見下ろした後、おもむろに長剣を振るう。


 ––––––それは随分と不思議な光景に見えた。

 長剣の先で切り裂かれた空気が、速度を落とすことなく海面を直進する。

 高く飛沫を上げる波を切り裂き、多頭の水蛇から逃げ惑う魚達の胴や鰭も切断し、ちょうど蛇の胴体が繋がった部分をスパッと真っ二つにした。


 切断面から噴き上がる蛇の血飛沫が上空高くに上がる。

 噴水のようなその光景に、ラティは思わず「おお……」と呟く。

 影から出される剣戟のわりに、想像以上の切れ味をしている。


 やがて、オーディンの影が放った衝撃波の余波が、砂浜にやってきた。

 幸い大量の波ではなく、ラティのふくらはぎ中程の位置までで済んでいる。

 このくらいだったら、住宅街の方まで流れる心配はなさそうだ。


 気がづくとオーディンの影はあとかたもなくなっていた。

 ミーミルの湖の水一滴だけだと、あの一撃分しか効力がないらしい。


「海にあんまり影響がなくて済んでよかったな。でも、大量の猛毒が混ざっているはずだから、あんまり長い時間足を浸さない方がいいんだろうなぁ」


 ラティは周囲を見回し、目についた消波ブロックに飛び乗る。

 すると、影になっているところに、息も絶え絶えな人魚を見つける。


 月明かりに照らされた彼女の顔に、見覚えがあった。

 確か、ラティのハーブティを飲んでくれた人魚たちの中の一人だったはず。

 彼女が胸に抱える籠を見てハッとする。


「ねぇ、君!!」


 人魚は苦しげにしながらラティを見上げる。


「あんたは……、世界樹の雫を飲ませてくれた子じゃないか」

「そうだよ! 怪我したの? 大丈夫?」

「あいつらから籠を奪ってくる時に、多少ね」

「あいつらって誰?」

「……人間の魂を使って化け物を作り出すのに、積極的な奴らさ。でも、もう大丈夫。私が奴らからこの籠を奪ってきたから、悪さは出来ないはずなんだ」

「その籠に人間の魂を集めておいていたんだっけ?」

「ああ。世界樹の素材を気楽に扱うあんたなら、神々のうち誰かと知り合いなんじゃないのか? この籠を安全に管理出来る誰かに託してほしい。頼む」

「わ、わかった!」


 そもそも、オーディンはこの”魂の籠”についての苦言をラティに話した。

 だからこれを持ち帰り、彼に渡したなら、本件は終了でいいだろう。


 人魚には他に聞きたいことがあったけれど、彼女は消波ブロックの上で力付き、意識を手放してしまった。背鰭などは動いているから、ちゃんと生きていてくれてはいるようだ。


「とりあえず世界樹の雫を振りかけてっと……、意識のない人魚って気軽に運べるのかな?」


 どうしたものかと右往左往していると、第一王子たち一行が浜辺に戻って来た。その中にはラウルの姿もあり、胸を撫で下ろす。


 波はすでに引き、濡れた砂浜が月明かりに照らされてキラキラと輝いている。

 その上を第一王子は走り、消波ブロックの上にいるラティの元まで来た。


「ラティ、無事か?」

「うん、ちょっと君の騎士たちの手を貸してほしいです。この下に気を失った人魚がいるんだ。助けてあげてほしい」

「人魚を助けるだと? 父は人魚の肉を食したのが原因で亡くなったんだぞ。それなのに……」

「この人魚は更なる災厄を防ごうと動いてくれたんだよ。私の言葉を信じて安全なところで休ませてあげてほしい」

「……そこまで言うならわかった。––––––おい、こっちに来てくれー!」


 第一王子の声がけで、彼の騎士たちがすぐに人魚を救助する。

 ラティも消波ブロックの下に移動し、ようやく一息つく。


「––––––それにしても、孤島ほどに大きなモンスターを倒した一撃……、あの衝撃波は貴女の腕の位置とずれているように思ったが、貴女はあの時何かを召喚したんじゃないのか?」

「結構遠かったけど、見てたんだね」

「暗すぎて見えなかったが、……まさかオーディンでは?」

「生のオーディンではないよ! 私はオーディンの影を呼んだだけです」

「影だとしても、快挙だ。昨日の戦いっぷりを見て只者ではないと思ったが、まさか神の影を呼んでしまえるとは……。貴女をナイトにしたのは正解だった」

「でも、持っている素材的に、同じことはもう出来ないと思ってほしい。気軽に採りに行けるものでもないし」


 ラティがこう言うと、第一王子一行はやや落胆して見せつつも、次第に「神の軌跡を垣間見た」と口々にその感想を話す。

 ラティにとってのオーディンは扱いが難しいおっさんでしかないが、他の人間たちにとっては、たとえ影であっても感動するような体験だったようだ。



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