ニヴルヘイムの門番
ファフニールの住処の近くで出会った魂は、暗色の紫色をしている。
ともすると視界から消えてしまいそうなソレは、意外にも自らの意思でラティの後をついてくる。
ラティは時折足を止めて、魂が追いつくのを待つ。
(ちゃんと付いてきてくれてるなぁ。やむを得ず罪を犯すことになっちゃった人の魂なのかな?)
色々想像しながら世界樹の幹や枝をぴょんぴょんと跳んで移動し、自分の喫茶店にたどり着く。
世界樹の幹のちょうど真ん中くらいにラティの喫茶店はあるのだが、ここまで登ってくると空気が変わる。
世界樹の葉の呼吸によって、木の中の水が水蒸気として撒き散らされるからだ。
その空気を吸うと、肉体にも精神にも良い効果をもたらす。
ラティは喫茶店のドアに手をかけながら後ろを振り返り、目をみはった。
見えずらかった魂の
魂の正体は二十代後半くらいの女性だった。
優し気な顔立ちをしていて、体型は少しぽっちゃりとしている。
印象的だったのは、彼女が身にまとう白い服だ。
シェフが着るような衣装に、エプロン。そして頭にはコック帽を被っている。
魂は生前で最も誇りにしていた姿をとるものだ。
だから彼女のこの姿から察するに、生前はレストランで働いていたんだろうか?
喫茶店の中に入るよう促すと、彼女は礼をしてから入店してくれた。
「ええと、声を出して私と会話できそうですか?」
ラティがそう言うと、店内のうっすらと見える女性は「……あ」「う゛ぅ……」と自分の声を確かめだす。
事情をよく知らない人間がこの場にいたなら、ちょっとしたホラーに思えたかもしれない。
「……会話できそうです。不思議ですね。さっきまで声を全く出せなかった。心の内側でただ悲しみの感情に耐えているだけだったのに」
「思考もしっかりとしていますね。もし覚えているなら君の名前を教えてください」
「ナーテです」
「私はラティです! 出会ったばかりの人に聞くことでもないかもですが、ナーテの死因はなんだったんですか?」
「処刑です」
「しょっ……処刑ですか。大変でしたね」
「……」
おとなしそうな外見をしているが、生前の彼女は重罪人らしい最後を迎えたようだ。
処刑されなければならない罪を、彼女はやらかしたんだろうか?
人は見かけによらないものだ。
ナーテは自分の死に方を恥じているのか、少し縮こまり、下を向く。
「……とりあえず、カウンターのスツールに腰を下ろしてください。コーヒーをお出ししますよ」
「この状態で液体を飲めますか?」
「私がコーヒーを淹れ終わるくらいには、飲めるようになると思う。断言はできませんがっ!」
「そうなんですね。では、失礼します」
キョロキョロと周囲を見渡しながら、ナーテはスツールに腰を下ろす。
それを見守ってから、ラティはコーヒーの準備を始める。
少しの沈黙の後、ナーテはずっと気になっていたであろう質問を口にした。
「ここはどこなんでしょうか? 私は処刑され、恐ろしく寒い場所で意識が戻りました。周りには見たこともないほど気味の悪いモンスター達がうじゃうじゃと居て……、とても怖かった」
「君が落とされたのは、九つの世界のうちの最下層、ニヴルヘイムだと思う。君はどうして上の層に来ることになったんだろうね? 何があったのか気になるなぁ」
悪人の魂というのは、自然死や病死、事故死した者達とは扱いが異なる。戦の只中で亡くなった者とも当然ながら大きく異なる。
ニヴルヘイムに落とされ、そこでモンスターに変異するのだ。
各地のフィールドやダンジョンに居るモンスター達は、大ていはニヴルヘイムに落とされた元人間だ。
ナーテも生前、処刑されなければならないほど大きな罪を犯してしまったのだとしたら、ゆくゆくはモンスターになる運命だった。
ナーテはニヴルヘイムでの出来後を思い出しているのか、声が震えている。
「……意識が戻ってからしばらくふらふらと漂っていたんです。そうしたら、目の前に大きな門が現れました。その門の近くには美しい犬が居眠りしていて……」
「犬? そいつって、ガルムって名乗らなかった?」
「ご存知でしたか。彼は目を覚まし、ガルムと名乗りました。鋭い目つきで私を観察したと思うと、一際大きな声で遠吠えした。その瞬間、激しい風が巻き起こりました。すると視界が悪くなり、森の中に移動していました。私には何が起こったのか全くわかりません」
「ふーん、ガルムにしては珍しいのかな」
「それはどういう意味ですか?」
「ガルムはニヴルヘイムへと続く門の番をしているんだ。えっと……、これからはただの想像なんだけど、多分ガルムは君と出会って、ニヴルヘイムに行くべき魂じゃないと判断したのかも? 最近彼と絡んだりはしてないから、真意は分からないけど」
「彼の
「んー、ガルムに危害を加えるようなことをしたり、罵倒したり、自分から逃げるようなことをしていないなら、大丈夫な気はしますけども」
「そんなことはしていません」
「そうですか」
ナーテが本当に悪人じゃないのか、ガルムの判断力が鈍ってしまったのかは分からない。あまり気が進まないが、あの犬と一度会うべきなのかもしれない。
ラティはミルでコーヒー豆を挽きながら、彼に関する記憶を思い返した。
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