夜明け前の来訪者

 喫茶店に戻ると、豊穣の女神フレイヤがラティの帰りを優雅に待ってくれていた。


 彼女によれば、スルトの目玉は唐突に消失し、その後一度も店の中に戻って来ていないとのこと。

 あれは一体どこに消えてしまったのだろうか?

 放置しては置けないと思うけれど、探しようもないから困ったものだ。


 フレイヤはラティが抽出したスミレのオイルのお礼として、強炭酸水を綺麗な細工の瓶に入れて持って来てくれた。

 こういう律儀なところが彼女と良い関係を保っていられる理由の一つなのだ。

 

 彼女はラティのシロップ作りを少しの間手伝ったのち、ふらふらと行方をくらました。


 翌日の朝には、常連の老婦人が予想外のプレゼントを持って喫茶店に来てくれた。

 それは、木彫りのドングリみたいな形状の大きな物体だ。

 老婦人は道端で拾ったようだが、何なのかは分からず、ラティに見てもらおうと持ってきたらしい。

 ラティはその物体のことをおぼろげに覚えていた。

 記憶が確かなら、その大きなドングリは霜の巨人の中でも術を使っていた者が所持していたはずだ。


 ラティがその場でポンポンと天井に向かって投げてみると、周辺が霜だらけになる。

 どうやらこのドングリは、特別な力がなくても魔法のような効果を生む道具のようだ。


 魔道具屋などに売ればそれなりの高値がつくはずなので、ラティは売却を勧めたが、老婦人は効果が判明しても持ち帰ろうとはしなかった。

 ラティが霜の巨人から助けたことを、とても感謝しているようで、この道具を是非ラティに使ってほしいとのことだった。

 そこまで懇願されてしまっては、ラティとしても断りづらい。

 

 レーヴァテインの方は扱いかねているけれど、このくらいの道具なら使いこなせそうに思え、ありがたく受け取っておいた。

 

 老婦人は大きなドングリだけではなく、彼女が飼っている家畜から採ったばかりの生クリームや牛乳、卵を荷車一台分持って来てくれた。

 

 霜の巨人と戦っている時は、自分は彼女に怖がられているのではないかと、少しだけ心が痛かった。だけど次の日に、こうして感謝の気持ちを示してもらったら、ネガティブな感情は消え去った。

 老婦人と、また店主と常連客として付き合っていけそうだ。


––––––そんなこんなで、老婦人からもらった大量の生クリームと卵を消費すべく、昼にはカルボナーラ、夜にはクリームスープなどを作って、喫茶店で提供したり自分で食べたりしたが、それでもまだまだ余った。


 そこで考えた消費方法が、バニラアイスクリームだ。


 王侯貴族や金持ちの食べ物なので数えるほどしか作ったことはない。

 しかし、ドングリで生み出した霜と、新鮮な生クリームと牛乳、卵の卵黄があれば、あとは喫茶店にあるもので何とかなりそうだ。


 さっそく小さな鍋の中で材料を混ぜ合わせて、卵に火が通りすぎないくらいに熱する。火から下ろした後、昨晩フレイヤと作っておいたワーズ家のスミレのシロップを少し加え、香りを良くする。

 ボールで生クリームを泡立てる段階で、ラティは自分の手首が腫れていたことを思い出す。


 昨晩フィル・ワーズの手刀で強打されたところが、今日になってもずきずきと痛み続けている。


「……手首痛くて泡立てづらいなぁ。あんなに強く叩かなくたって良かったじゃん」


 だけども、第三者からの介入があったからこそ、レーヴァテインから手を離せた。それはたぶん有難いことなんだろう。


 あのまま持っていたなら、ラティはたぶんやばかった。


 正気を失い、衝動のままにこの街を破壊し続けたかもしれない。

 だからフィルには感謝しなきゃいけない。

 今だって、手首はもの凄く痛むが心は驚くほど凪いでいる。


(あのままだったら、きっと後からとても苦しい思いをしたよね。考えたくもないや)


 少しだけ思考が暗くなった時、喫茶店のドアがカランとなった。

 

「こんな夜中に誰だろ?」


 泥棒だったら面倒だ。

 ラティは眉根を軽く寄せてから近くに立てかけておいていたホウキを手に持ち、カウンターから出る。

 窓からドアの方を見てみると、ちょうど考えていた人物が立っていた。


「フィルだ。約束した日よりも早いけど」


 彼なら特に警戒することもないだろうと、ドアの錠を外し、顔だけ出す。


「どうしたの? もう深夜なんですけど」

「明後日に約束しただろ。でも守れそうにないから、今来た」

「あー、そうですか」

「別のパーティから遠征の助っ人として呼ばれてるんだ。急な話だけど、ほしい武器が手に入るダンジョンだから、どうしても行きたくて」

「まー私が勝手にした約束なんで、守ってくれなくても良いですよ。せいぜい無事に帰ってきてくださいよ。さよならー」


 ラティは早口で言い切り、ドアを閉めようとしたが、向こうもSランク冒険者なだけあって、動きが素早かった。

 ドアの隙間にさっとフィルの足が挟まる。


 イラッとして、そのまま右手に力を入れて嫌がらせしようとするが、腫れている方の手だったのがわざわいして、鋭い痛みが手首に走る。


「いったー!」


 手首を抑えて痛みに耐えている間に、フィルが店内に入ってくる。

 睨みつける先に、性質の良くない笑顔がある。


「この痛みは君の所為なんだぞ! 嫌なやつだな! てか、ドロボーの動きだよ、それ!!」

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